第35話 闇墜ち
時と場所は変わり。
エストールの街からしばらく北に向かった先にある洞窟。
その最深部にて【紅蓮の牙】の面々はレッドオーガと対峙していた。ナハトが受注したAランクの討伐任務をこなすためだった。
天を突くように屹立する二本の角。
妖しげに光る金色の瞳。
どっしりと筋肉質な体躯は、返り血を塗り固めたような色合いをしている。
A級モンスターであるレッドオーガの猛攻を前に【紅蓮の牙】の面々はまるでなすすべもなく全滅の危機に瀕していた。
「グオォォォォォォ!」
レッドオーガが魔法使いのハルナに向かって突進しようとする。
ハルナは魔法を放つための詠唱体勢に入っているため、躱しきれない。
「ちっ……! バカが!」
剣士のナハトが防波堤として突進の軌道上に立ち塞がった。
「えっ!?」
「……ウソでしょ!?」
ハルナも、そして弓使いのイレーネも驚きの表情を浮かべていた。
自分以外の誰かを守るための行動をする。それは今までのナハトにとっては、到底あり得ないことだったからだ。
彼女たちは、それだけナハトは必死なのだろうと思った。
ジークが抜けてからと言うもの、【紅蓮の牙】は任務失敗してばかりだった。
ギルドや他の冒険者たちは今の【紅蓮の牙】に懐疑的な目を向けていた。
【紅蓮の牙】の強さを実質的に支えていたのはジークではないのかと。
最近、王都アスタロトの門番として就職したジークが、アンデッド軍との戦いで大活躍したという噂もその説に拍車を掛けていた。
だから、ナハトたちは今回、無理を言ってAランクの任務を受けさせて貰った。自分たちの力を証明するために。
失敗すれば、完全に信用を失ってしまうことだろう。
地位も名誉も、積み上げてきた全てが懸かっている。
だから、ナハトは必死だったのだ。いつもなら絶対にしないような泥臭いことでも、なりふり構わずにやった。
ハルナを庇うという行動も、その思いからだった。
しかし――。
それが通用するかどうかはまた別の話だ。
ナハトは盾で突進を受けようとするが、レッドオーガの体躯がぶつかった瞬間、全身の骨が弾けるような物凄い衝撃を受けた。
「ぐああああ!?」
ナハトの足裏が地面から引き剥がされ、背後の岩肌に叩きつけられた。胸元にせり上がってきた熱を吐き出す。血だった。
レッドオーガは再び、ハルナの方へと標的を変えた。
「喰らいなさい!」
まだ充分に魔力を練りきることは出来ていなかったが、これ以上は待てないと判断したハルナが火球を放った。
全力とは程遠い威力のそれは、レッドオーガの体躯に触れるとかき消えた。まるで傷を負わせられた様子はなかった。
「……ダメね。魔力を練る時間が足りなさすぎる。全力の火魔法さえ放てれば、あいつを丸焼きにだって出来るのに」
嘆いていても始まらない。今はとにかくこの場を乗り切らないと。このままだとレッドオーガに全員殺されてしまう。
ハルナは決意を固めると声を張り上げた。
「イレーネ。撤退するために転移魔法の準備に入るから援護して!」
「……りょーかい」
イレーネは小さく頷くと、弓に矢をつがえた。
レッドオーガの注意を引くために矢を放つ。次々と体躯に命中するが、それらはいずれも肉を穿てずに地面へと落ちた。
だが、問題ない。目的はすでに討伐から逃走へと切り替わった。
その間にもハルナは帰還のための転移魔法を練り上げていた。
魔法陣が地面に描かれていく。
「おい! ふざけんな! 何が転移魔法だ! 勝手に判断すんじゃねえ! みすみす任務を放棄するつもりか!」
「仕方ないでしょ! このままじゃ全滅するんだから!」
「お前らが諦めようが、俺は諦めねえぞ! ここで尻尾を巻いて逃げ帰ったら、ギルドや街の連中にバカにされるだろうが!」
ナハトは必死にハルナを止めようと叫びを上げる。
「【紅蓮の牙】がなくなっても良いってのか!? これは命令だ! 今すぐ止めろ! 俺といっしょにレッドオーガを倒すぞ!」
「うるさいわね! 命には代えられないでしょ!」
とハルナはかき消すように叫んだ。
「それに今頃になってやっと気づいたけど、【紅蓮の牙】なんて、あいつが辞めた時点でとっくになくなってたのよ!」
「なっ……!?」
「……だよね。それ、うちも思ってた。ジークがうちらを守ってくれてたから、凄い火力を生み出せてたんだって」
イレーネも追従するように呟いた。
「て、てめえら……!」
「よしっ。出来た! それじゃ、転移するわよ!」
「おい、止めろ! 俺の言うことが聞けないのか!」
ナハトの制する声を無視して、ハルナは転移魔法を発動させた。足元に描かれた魔法陣が放った強い輝きが【紅蓮の牙】の面々を包み込む。
レッドオーガがイレーネに向かって強烈な爪の一撃を繰り出したが、それは当たらずに空を切るだけに終わった。
☆
「くそっ……ふざけやがって……!」
ナハトは薄暗い路地裏をさまよい歩いていた。
まるで幽鬼のような足取り。
目は爛々と獣のように輝き、顔色は酷く悪い。
負のオーラが全身から立ち上っていた。
Aランク任務を失敗した後、【紅蓮の牙】は解散した。
冒険者ギルドに解散させられたというわけじゃない。
ハルナとイレーネが『ねえ。今からでもジークに頭下げて、戻ってきて貰わない?』と言ったのを聞いたナハトが二人を追い出したからだ。
『やっぱりあいつがパーティの要だったのよ。あたしたちが戦えていたのは、あいつが敵の攻撃を受け止めてくれてたから』
『だよね。うちもそう思う。いなくなるまで、気づけなかった』
その言葉が許せなかった。
自分よりもジークの方が優れていると主張する彼女たちが。
【紅蓮の牙】が解散したことによりナハトは一人になった。
すでに任務を失敗したことは街中の噂になっており、元々素行の悪かったナハトのことを受け入れてくれるパーティは現れないだろう。
「こうなったのも、あいつのせいだ。全部あいつの……!」
『悔しいか? 何もかも奪われて』
呪詛を吐きながら暗い路地を歩いていたナハトの前に突如、声が降り注いだ。地の底から湧き出てくるような暗く冷たい声。
「誰だ……!?」
『安心しろ。私はお前の味方だ』
黒い影はナハトに向かって声を掛ける。そそのかすように。
『お前のことをバカにした連中を全員、見返してやりたいと思わないか? 私がお前に力を与えてやろうではないか』
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