第33話 雪解けの氷姫

 次の日の夜。

 俺は兵舎の食堂で飯を食べていた。

 衛兵たちの会話は騎士団のことで持ち切りだった。


「今まで横暴だった騎士団の連中が、急に大人しくなったよな」

「巡回中に出くわしたら、ありったけの嫌味や軽蔑を吐きかけてくる上、手を出してくることもあったってのに」

「やっぱり、氷姫の指導が効いたんじゃないか?」

「昨日の打ち合いを見てたってのも大きいだろ。ジークの戦いぶりを見て、衛兵に対する見る目が変わったんじゃないか?」


 騎士団に変化が生じたのではないかということらしい。

 俺もそれは感じていた。

 巡回中に騎士たちに出くわすと、


『おい見ろ。ジークだ……!』

『ジークって言うと、昨日、エレノア副団長を打ち負かしたっていう……!?』

『お前はその場にいなかったな。恐ろしかったぜ。完膚なきまでに叩きのめして。まるで鬼神のようだった』

『そ、そんなにか……』

『機嫌を損ねようものなら、首を撥ねられるぞ』

『『ジークさん! 今日も巡回ご苦労さまです!』』


 噂に尾ひれがついて独り歩きしていた。

 ……いや、俺はそんな修羅のような男じゃない。というか、街中で仰々しく挨拶するのは辞めてほしい。周りからの視線が痛い。


 まあ、騎士団が大人しくなったのなら良かった。

 これで街の人たちが理不尽に苦しめられることも減るだろう。

 そんなことを考えていた時だった。


「うおおっ!?」


 と騎士の一人が飛び跳ねるような声を上げた。

 ざわっ、とその場に動揺が走った。


「……ん? 何だか騒がしいな」


 食事に虫でも入ってたのか? 

 そう思いながら衛兵たちの視線の方を向いた俺は、


「……む」

 と衛兵たちと同じように驚いた声を上げてしまった。


 食堂の入り口のところに立っていたのはエレノアだった。

 騎士団の副団長の突然の来訪に衛兵たちは色めき立っていた。


「ジークはいるかしら?」


 動揺する衛兵たちを尻目に、エレノアが口を開いた。

 彼女の研ぎ澄まされた佇まいに気圧されたのだろう。

 衛兵たちは「あそこですっ!」と一斉に俺の方を指さした。

 ……こいつら、あっさり同僚を売ったな。

 エレノアと目が遭う。すると、こちらに近づいてきた。俺は椅子に座りながら、彼女は傍に立ったまま相対する。

 互いに見据え合う。

 その様子を遠巻きに眺める衛兵たちはざわついていた。


「な、なぜエレノアがここに……!?」

「騎士が衛兵の兵舎に来るなんて、前代未聞だぞ!?」

「きっと、昨日、打ち合いで負かされた報復をしに来たんだ。今から血で血を洗う戦いが始まるんだよ……!」

「俺に何の用だ?」と尋ねた。

「……あなたに伝えたいことがあって来たの」

「伝えたいこと?」

「ええ」


 エレノアは頷くと、しばらく黙り込んだ。前髪を弄り、そわそわとしている。俺は彼女のその様子を見て小首をかしげた。


「どうした? 伝えたいことがあるんだろう」

「その……」


 頬を朱に染めたエレノアは、躊躇いがちに言った。


「……私はどうやら、あなたに惚れてしまったみたいなの。だから、結婚を前提にあなたに交際を申し込ませてもらうわ」

「なるほど。交際をな――ん?」


 俺は復唱したところで、違和感を覚えた。思わず尋ね返す。


「……すまない。聞き間違えか? 今、交際を申し込むと聞こえた気がするのだが。俺が決闘を交際と空耳したのか?」

「いいえ。間違っていないわ。私はあなたに決闘ではなく、交際を申し込んだの。恋人としてお付き合いをしたいと」

「…………」


 俺はフリーズしていた。


「……なぜ?」


 やっとのことで振り絞った言葉がそれだった。


「言ったでしょう。あなたに惚れてしまったようだと。……ジーク。私の一番好きなものが何か分かるかしら」

「嫌いなものなら多少は分かるが」

「ふふ。それは光栄ね。少なからず私に興味があるということかしら」


 いや、そっちが尋ねてくるから不可抗力的に得た知識だが。……まあ、ここは余計な口を挟まない方が賢明だろう。


「私が一番好きなのは、私よりも強い人よ。ジーク。あなたに負けてから、ずっとあなたのことが頭から離れないの」


 エレノアは胸に手を宛がって、真剣な表情で語った。


「あなたのことを考えると、胸が高鳴って、自分が自分じゃなくなるようなの。最初は魔法にでも掛けられたかと思ったわ。それで心配になって部下に相談してみたの。相手があなただとは伏せた上でね。そうすると、それは恋だと言われたわ。その時に初めて、私はあなたに惚れていることに気づいたの」


 エレノアは、氷姫としての無機質さを失っていた。その目は情熱的な熱を帯び、頬にはうっすらと朱が差している。

 氷姫の氷は、溶けてしまっていた。

 雪解けをし、完全に乙女の表情をしていた。


「返事を聞かせて貰ってもいいかしら?」

「そう言われても困る」


 何しろ予想外だったのだ。


「……分かったわ。すぐに結論を出せとは言わない。二人の将来に関わることだもの。じっくり考えるくらいでちょうどいい」


 理解してくれたのは助かる。


「……ところで、随分と大荷物を持っているようだが」

「これはね。騎士団を辞めて、衛兵団に入団しようと思って」

「――は?」


 意表を突かれた。


「いや、でも、騎士としての誇りはどうなる?」

「もちろん、騎士としての誇りはあるわ。けれど、一番尊敬できるあなたが衛兵団に所属しているんだもの。なら、私も共にありたい」

「…………」


 エレノアはどうやら本気のようだった。

 マズい。

 このままだと俺が原因で彼女が騎士団を辞めることになる。


「待ってくれ。考え直してくれ」


 俺はそう言うと、エレノアの両肩に手を置いた。


「きょ、距離が近いわ……」

 エレノアは恥ずかしそうに目を逸らした。

「俺は衛兵として、お前は騎士として、それぞれ街を守っていこう。それにエレノアには騎士団にいて貰わないと困る」

「……どうしてかしら?」

「衛兵団と騎士団の関係は良好とは言えないからな。俺とお前が、衛兵団と騎士団の架け橋になれればと思うんだ」

「それは私を信頼してくれているということ?」

「ああ」

「……分かったわ」


 エレノアは頷いた。


「他ならぬあなたのお願いだもの。私は引き続き騎士団に籍を置くわ。本当はすぐにでも衛兵団に入りたいところだけど」


 良かった。

 何とか納得して貰えたみたいだ。

 それに騎士団との関係を取り持って貰えれば、衛兵団としてもやりやすい。二つの組織が連携すればより街を守りやすくなるだろう。

 ただ――。


「また来るわ」


 エレノアはそう言い残すと、微笑みを浮かべながら踵を返した。上機嫌に、軽やかな足取りで兵舎を後にする。

 ……まさかこんなことになるとは思わなかった。

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