第31話 氷姫

「え、エレノア副団長……? いったい何を……?」


 喉元に剣先を突きつけられた騎士は、顔を引きつらせていた。

 つう、と首筋に冷や汗が伝う。


「あなた、私の一番嫌いなものが何か分かる?」

「か、感情に任せて怒声を上げる者でありますか……」

「いいえ。それは二番目よ」

「でもさっき、一番目だと……」

「乙女の心というのは、移ろいやすいものなのよ」


 エレノアはそう言うと、更に先を続けた。


「私が一番嫌いなのは、騎士の誇りを忘れて驕り高ぶっている者。騎士は常に、気高い心を持たなければならない。そうでしょう?」

「は、はい……」

「あなたたちはそれを忘れ、傍若無人な振る舞いをした。……これは制裁が必要ね。性根を叩き直してあげるから覚悟しなさい」

「え、エレノア副団長の制裁……!?」

「受けた者はまるで人が変わったようになるというあの……!?」

「か、勘弁してください!」

「逃げられると思わないことね。あなたたちには騎士道を一から叩き込む。恥ずかしくない騎士であるためにもね」


 エレノアは呆然とする騎士たちから視線を切ると、少年の方を見やった。


「あなた、騎士に暴行を受けたそうね」

「え? う、うん」


 少年も、そして俺たちも目の前の光景に驚いていた。

 エレノアが少年に向かって、深々と頭を下げたからだ。


「本当にごめんなさい。全ては私の管理が出来ていなかったせいよ。謝って許して貰えるとは思わないけれど」


 騎士団の副団長が、年端もいかない少年に謝罪の意を示した。

 それは普通では考えられないことだった。


「だ、大丈夫だよ。衛兵のお兄ちゃんたちに薬を貰ったから」


 少年は慌てたように言った。


「だから、そんなふうにしなくてもいいよ。頭を上げてよ」

「……ありがとう」 


 エレノアは小さく呟くと、ようやくそこで面を上げた。

 遠巻きにその光景を眺めていた俺は言った。


「彼女はどうやら、他の騎士たちとは違うらしいな」

「はい。エレノア副団長は騎士道を重んじている方ですから。その端正な容姿と、冴えた剣の腕前から氷姫という異名があるほどです」


 氷姫か……。

 確かに言い得て妙かもしれない。


「しかし、エレノアのような者がいてなぜ、騎士連中があんなことになる?」

「最近までエレノアさんは今回とは別の長期の遠征に行っていましたから」

「彼女が遠征に出るまでは騎士たちはあそこまで酷くなかったからね。監視の目が外れた途端に緩んでしまったのかな」


 当時の様子を知るファムが推察を口にした。

 ということは、彼女がこれからは多少はマシになるかもしれないわけか。先ほどのやり取りを見るに期待できそうだ。


「あなたたちもごめんなさい。私の部下が迷惑を掛けてしまったわね」


 エレノアは俺たちにも頭を下げてきた。


「そんな……エレノアさんがそこまで謝らなくても……」とセイラが言った。

「いいえ。彼らは私の部下たちだもの。彼らが何か失態を犯したというのなら、その責任は全て上司である私にあるわ」

「そうは言ってもよお。謝れば済むって問題じゃねえぜ?」


 スピノザが威勢よく口を挟んできた。


「ごめんで済んだら、世の中に衛兵や警吏はいらねんだよ。誠意を見せたいのなら、相応のものを出して貰わねえとな」

「……ウフフ。さすがスピノザだ。付け入る隙を見るや、すぐにたかりにいく。ハイエナも君には真っ青だろうね」

「へっ。褒めんなよ」


 いや、褒めてはないと思う。


「……要するにお金ということかしら?」

「ま、そういうこった」


 とスピノザは笑った。


「取りあえず、有り金全部置いてけ。ジャンプしてみろよ。な?」

「残念だけど、それは出来ないわ。私に出来るのは誠心誠意の謝罪だけ。お金を払うのは更なる問題を招くもの」


 謝意は示しつつも、これ以上は譲歩しないという姿勢。


「……ちっ。面倒臭い奴だ」


 強請っても素直に折れることはないと悟ったのだろう。

 スピノザは早々に諦めたようだ。


「分かって貰えたようで何よりだわ。それよりあなたたち、衛兵団でしょう? 聞きたいことがあるのだけど」

「聞きたいことですか?」とセイラが言った。

「この前のアンデッド軍との防衛戦。私は遠征に出ていたのだけれど、一人の死傷者も出さずに勝利を収めたそうね」


 エレノアは言った。


「それも騎士団は一切出動せず、衛兵団だけで。いったいどんな策を使ったのか、私にもご教授願えないかしら」

「騎士団長は言ってなかったか。兵器を使ったんじゃないかって」

「まさか。そんなものがあれば、騎士団で把握しているはずよ。それに兵器を作るだけの予算は衛兵団にないでしょう?」


 ご明察だった。

 騎士団長よりは話せる相手のようだ。


「策も何も、俺たちは使っていないが」

 と俺は言った。

「正面からやってきた連中を門前で迎え撃って倒した。それだけだ」

「あたしたち四人でな」とスピノザが付け加えた。

「……私の一番嫌いなものが何か分かる?」

「騎士の誇りを忘れて驕り高ぶっている者だろ」

「いいえ。それはさっきまでの話。答えはつまらない冗談よ。たった四人でアンデッド軍を壊滅させられるわけがないでしょう?」

「そう言われても困る。事実なんだからな」

「なるほど。あなたたちはあくまでもそう主張するわけね」


 エレノアはそう呟くと、俺に向かって言った。


「なら、私と手合わせ願えないかしら。あなたたちが言っていることが真実かどうか、私に直接確かめるための機会を頂戴」

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