第30話 騎士団の副団長
石畳に顔面を叩きつけた騎士は完全に気を失っていた。
白目を剥き、歯は砕け、無様に尻を突き出して倒れている。
俺は視線を切ると、蹲る少年の方に目を向ける。
すでにセイラが駆け寄って、介抱していた。
「おい。大丈夫か?」
「う、うん……」
「ファムさんが治癒薬をくださったんです。ひとまず痛みは引いたようですよ」
とセイラが説明してくれた。
「そうなのか。よく治癒薬を持っていたな」
「いつ何が起こるか分からないからね。備えあれば憂いなしさ。治癒薬から松明、トングに至るまで常備しているよ」
「最後のはどこで使うんだよ……」
俺がそうツッコミを入れた時だった。
「あの……」
少年がおずおずと口を開いた。
「衛兵のお兄ちゃん。助けてくれてありがとう」
「気にするな。――それより、悪かったな。もっと早く助けに入れなくて。お前に不必要に痛い思いをさせてしまった」
「ううん。僕は平気だよ」
「そうか。お前は強いんだな」
と俺は少年の頭を撫でた。
「へへ……」
少年は照れ臭そうにはにかんだ。
「おい!!」
和やかな雰囲気を突き破るように怒声が響いた。
騎士たちが鬼のような形相で俺の方を見ていた。
右からも、左からもひりつくような殺気が伝わってくる。
取り囲まれていた。
「お前、随分と舐めたマネをしてくれたな……? 俺たち騎士に手を出して、タダで済むと思ってるのか?」
「この世界を守ってるのがいったい誰だと思ってるんだ? 俺たちが光のオーブを守ってるからお前らは生きていられるんだ」
「なるほどな」
と俺は言った。
「バカに付ける薬はないと言うが、あれは本当らしい」
「何だと?」
「つけ上がるのも大概にしろ。秘宝を守っているからと言って、お前たちが好き勝手振る舞って良い理由にはならない」
それは気に入らない者を痛めつける免罪符にはならない。
掲げた大義により、自分の身の程を勘違いするのは愚かだ。権力や立場によって、人はいとも容易く人格を歪められてしまう。
「ご高説、ありがとうよ」
と騎士の一人が言った。
「けど、話が長くてとても聞いていられないからよ。残りは地獄でやってくれや」
騎士たちは、腰に差していた剣に手を掛けた。
――どうやら、彼らは本気のようだな。
「皆さん、剣を収めてください! 私たちはお互い、街を守る同志でしょう!? 喧嘩をしても何にもなりませんよ!」
セイラが慌てて場を取りなそうとするが、騎士たちは聞く耳を持たない。邪魔する者は斬らんと言わんばかりだ。
「セイラ。こいつらに何を言ったところで無駄だぜ」
スピノザはそう言うと、大槌を肩に担ぎ、騎士たちを睨み付ける。
「ボコボコにしてやらないと、分かんねえんだよ」
「僕も加勢するよ。最近の彼らの横暴な振る舞いは目に余るからね。ここらで一つ、お灸を据えておくのも悪くない」
とファムも乗ってきた。
……やれやれ。まさかこんなことになるとはな。
後でボルトン団長にどう説明したものか。
俺が内心でそうぼやいていた時だった。
「……さっきから、随分と騒がしいようだけれど。あなたたち、ずっと往来で止まって何をしているのかしら」
騎士団の有する馬車の中から声がした。
御者台の後ろ――座る席のところに掛けられた幕が開いた。
姿を現したのは、白銀の鎧に身を包んだ女性だった。
腰にまで伸びた艶やかな髪。
絶対零度の冷たい眼差し。凜とした端正な顔立ち。すらりとした手足。迂闊に近づいた者の身を切りそうな剣呑な雰囲気。
「エレノア副団長……」
騎士たちがそう呟くのを俺の耳は捉えた。
副団長――。
この女性が騎士団のナンバーツーと言うことか。
それも納得だった。
一目見ただけで分かる。彼女は強い。平の騎士たちとは格が違う。剣に打ち込む者だけが纏える風格を有していた。
「あなた、私の一番嫌いなものが何か分かる?」
「ハッ! 部屋の汚れであります!」
「そうね。それは七番目に嫌いなものよ」
とエレノアは呟いた。
「一番嫌いなのは、感情に身を任せて怒声を上げる人たち」
「「……っ!」」
凍てつくような視線に見据えられ、騎士たちは萎縮していた。
「この状況を報告してくれる?」
「そ、それがですね。この衛兵たちが我々に刃向かってきまして! 不届き者たちを成敗しようと思ったところです!」
エレノアはその冷たい眼差しを、今度は俺たちに向けてくる。
すると、俺たちに危機が及んでいることを理解したのだろう。
先ほどの少年がエレノアに対して訴えかけるように言った。
「あ、あのね。僕がボール遊びをしてたら、ボールが騎士の人たちの前に転がって。騎士の人たちが僕を蹴ってたら、衛兵のお兄ちゃんが助けてくれて……。だから、お兄ちゃんたちは何も悪くないんだよ。悪いのは全部、僕なんだ」
「…………」
「バカが! 俺たちに刃向かった時点で、衛兵共も同罪なんだよ!」
「エレノア副団長! こいつらは騎士団に刃向かった国家反逆罪なんですよ! 国賊には罰を下してやらないと!」
「――そうね。確かに罰を下さないといけないわ」
とエレノアは頷いた。
それを聞いた騎士たちは勝ち誇ったように嗤った。
「はっはっは! お前ら、聞いたかよ! 副団長が加わればこっちのもんだ! 死以外の未来はたった今潰えた――」
ヒュンッ!
高笑いをしていた騎士の喉元に、剣先が突きつけられた。
彼の笑みが引っ込む。
「え……?」
騎士に剣を突きつけていたのは――エレノアだった。
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