第15話 認めさせる

 俺とスピノザは戦うことになった。

 上司として従うだけの力があることを、彼女に認めさせなければならない。そのためにもこの勝負には必ず勝たなければ。


「それで? 勝負の方法はどうするんだ?」

「単純にやり合ってもいいが――うっかりあんたを殺しちまったらマズいからな。ここは力比べと行こうじゃねえか」


 スピノザはそう言うと、空樽の上に腕を置いた。


「腕相撲で白黒つけようぜ」

「なるほど。穏便なやり方だな」

「穏便? ははっ。確かに穏便かもな。大槌に潰されて死ぬことに比べたら。だが、腕は使い物にならなくなると思うぜ?」

「大層な自信じゃないか」


 俺が言うと、セイラが口を開いた。


「スピノザさんは衛兵の中でも随一の怪力の持ち主ですから。人の背丈ほどもある大槌を軽々と振り回して戦うことが出来るほどの」


 ちなみに、と彼女は続ける。


「前任の分隊長が退職されたのは、スピノザさんと腕相撲をした時、腕の骨を折られたのがトラウマになったのが一因とか……」

「まさか、あんなに弱っちいとは思わなかったんだよ。手加減したんだぜ? なのにほんの二割程度の力で折れちまうとは」


 スピノザは鼻を鳴らした。


「あの野郎、『俺が女に腕っ節で負けるわけねえだろ』って息巻いてたのにな。あっさり返り討ちにしてやったぜ」


 スピノザは得意げにそう言うと、壁に立てかけてあった大槌を手に取った。一トンは下らなそうなそれを軽々と振り回す。

 風圧で大気が唸り、迫力を醸し出していた。

 スピノザはひとしきり大槌を振るうと、挑発的に口元を歪める。


「単純な力の強さであたしに敵う奴はこの世に一人もいねえ。生まれてこの方、誰にも腕相撲で負けたことはねえしな」


 確かに彼女は常人離れした力の持ち主らしい。

 素行不良を許されているだけのことはある。

 だが――。


「俺にもその大槌、持たせてくれないか」

「あん? あたしに張り合おうってんなら、止めといた方がいいと思うぜ。普通の奴には持ち上げることも出来ねえよ」

「いいから。貸してみてくれ」

「強情な奴だな。後悔すんなよ? ……ほら」


 スピノザは肩に担いでいた大槌の柄の部分を差し出してくる。

 俺は床に落としてしまうこともなく、それを受け取った。右腕一本で持ち上げると、彼女がさっき俺に見せたように振り回す。

 ブオン、と空気が獣の咆吼のような音を響かせた。


「す、凄い……! 片手であんなに軽々と……!」


 セイラは驚嘆の声を漏らしていた。


「へーえ。あんた、中々やるじゃねえか」


 今までは小馬鹿にするようだったスピノザの表情がそこで変わった。口元に浮かぶ笑みは嘲笑のものから、愉悦へと変化していた。


「その大槌を軽々と振り回すとは、ただ者じゃねえな。……運や立ち回りだけで分隊長に就任したってわけじゃないらしい」

「そりゃどうも」

「こりゃ、うっかり腕をぶっ壊しちまうこともなさそうだ。いつぶりだろうな。二割以上の力を出せそうな相手は」


 空樽の上に肘を置き、俺を真っ直ぐに見据えた。


「掛かってきな。捻り潰してやるよ」

「望むところだ」


 俺も樽の上に肘を置き、スピノザの手を握る。


「セイラ。審判を頼めるか」

「は、はいっ。分かりました」


 セイラは俺たちの間に立つと、緊張した面持ちになった。こほん、と一度間を取るために咳払いをすると口を開いた。


「それでは――始めっ!」


 彼女が挙げた右手を下ろすと同時に――両者共に力を込めた。


「一瞬で終わらせてやるよ!」


 スピノザは短期決戦に持ち込もうと、序盤から全力を注ぎ込む。――しかし、彼女の手は中央の位置からビクともしない。


「ぐっ……!」

「どうした? ご自慢の怪力はそんなものか?」


 俺が煽るように言うと、スピノザの顔つきが変わった。


「言ってくれるじゃねえかよ。おい!」


 こめかみに青筋が浮かび、目に怒りの火が燃え盛った。


「まだまだほんの五割ってところだ! あたしの全力はこんなものじゃねえ。あんたの腕をへし折ってやるよ!」


 込められた力の総量が一気に膨れ上がった。

 彼女の言うとおり、今まではまだ全力じゃなかったようだ。組んだ俺の手の甲は、後ろの方へと次第に倒れつつあった。


「ははっ。あんた、大したもんだよ。あたしにここまで力を出させるとはな。けど、もう勝負は決まったも同然だ!」

「――それはどうかな」


 俺は握りしめていた手に力を込めた。

 彼女に押し倒されそうだったのが、みるみる内に元の位置に戻っていった。完全に五分の状況へと仕切り直した。


「……おいおい。マジかよ。あの状況から挽回するか……?」


 スピノザの表情からは余裕が消え、引きつっていた。

 額や首筋には汗が滲んでいる。


「……つーか。あんた、代謝が悪いのか? 汗一つ掻いてねえけどよ。ポーカーフェイスが随分と得意なんだな」

「別にそういうわけじゃない。ただ、余裕があるだけだ」

「――なっ!?」

「今度はこっちが攻める番だな」


 俺は握りしめていた手に力を入れ、相手側に押し込む。


「ぐおうううっ……!?」


 スピノザは必死に押し返そうとする。

 歯を食いしばり、瞳孔が開いていた。

 しかし、俺の手を戻すことは出来ない。


「くっそ……! ビクともしねえ……! 岩みてえだ……! マズい……! このままだと押し潰されちまう……!」


 ぽたり、とスピノザの首筋から汗がしたたり落ちた瞬間だった。俺はとどめを刺すために更に力を入れて押し込んだ。


「があああああああああっ……!?」


 必死の抵抗も虚しく、スピノザの手の甲は空樽の上についた。余りの力に、彼女の手の甲は樽の内側にめり込んだ。


「勝負あり、だな」

「じ、ジークさんの勝ちです!」


 セイラは慌てて俺の手を取り、宣言した。


「…………」


 スピノザは呆然としたような表情を浮かべていた。


「二日酔いだったから、調子が出なかったか?」

「……いや。例え万全の状態だったとしても、敵わなかっただろうよ。どうやら、あんたの力は本物みてえだな」


 スピノザはふう、と息をつくと、笑みを浮かべた。


「完敗だ。あんたは強い。信じられねえくらいにな」

「約束通り、出勤して貰うぞ」

「おう。……けど、このままじゃ終わらねえぜ。必ずリベンジしてみせる。負けっぱなしってのは性に合わないんでね」

「そういうことなら、いつでも相手になろう」


 こうして、スピノザを引っ張り出すことができた。

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