土地神様の花嫁御寮 04
手の平を差し出すよう、伸ばした腕の先で力任せに練り上げた魔力が唸りを上げる。
「地脈の分際で私に暗示をかけようなんて、いい度胸ね」
「ちょっ、まっ――」
後退ろうとした痩躯を追いかけて。叶由来の魔力は、私の思うがままに紫電を弾けさせた。
四方を囲む
「――とりあえず殴ってから様子を見るのは君の悪い癖だぞ!」
その直後。飛び起き抗議の声を上げた鬼王谷――先代鬼王の記憶の
「それをわかっていて手を出したのなら、自業自得でしょう」
これくらいではなんの痛手にもならないようなので、私も方針を改める。
「蝴蝶!」
帳が取り払われ、開けた視界の端の方。大人しく太刀掛へと立てかけられていた一振の太刀が、「ここへ」と喚んだ私に応え、繰糸もないのに宙を舞う。
それを見て、私の溜飲が下がりきっていないことを悟ったのだろう。わかりやすく目を剥いた鬼王谷は脱兎の如く、玉砂利の敷き詰められた庭へと飛び出していった。
「それは本気でまずいやつ!!」
逃がすものかと、叶の腕を振りほどくよう立ち上がり、駆け出す体は人外の血を飲まされた直後のようあまりに軽い。
行儀悪く足をかけた
「あっぶね」
振り返りざまに無理矢理、胴を断つ一閃を躱した鬼王谷はバランスを崩してもう一度、今度は地面をごろごろ転がる。
「叶――」
魔力をもう少し。
目の前の獲物を追い詰めるため、このままでは踏み込めない一歩のための力が欲しい。
声ならぬ声を上げる私の求めに、いつか呑み込まされた目玉が腹の底でどくりと大きく脈を打って応えた。
とくりとくり。一定の
それを、きっと目の前の少年こそが誰よりもよく知っている。
「お前はせめて中立でいろよ!」
深山かなでのままではけして踏み出せなかった一歩。その向こう側で、音さえ切り裂く刃が悪足掻きのよう張られた障壁を砕く。
硝子の割れるような酷い音がして。その刹那、私が握る太刀の切先は、仰向けに転がる鬼王谷の首元へと揺るぎなく添えられていた。
少しでも動けば、容易く首を刎ねられる位置。叶の魔力がもたらす人外の膂力と蝴蝶の斬れ味がそれを可能とすることは、今更証明して見せるまでもない。
「どうしてあなたがあの子の名前を知ってるの」
「……
訝しげに顔をしかめて見せる
「香夜子の名で、私に暗示をかけようとしたでしょう」
「それは、君の名だろう。他の誰のものでもない。深山かなでとしての君が死んだ今となっては尚更だ」
「質問に答えて」
「……君が
半ば、予想していた――けれど、そうでなければいいいと願っていた――答えに、構えた太刀の切先が震える。
はくりと一つ、吐息を呑んで。後退る私を、いつの間にか追いついてきていた叶が支えるように抱き竦めた。
あるいは。逃げられないよう、捕まえられてしまったのかもしれない。
「覚えてない……私、何も覚えてないの。ずっと、
「君はどこからともなく俺のところへやってきて、一緒にいてくれると言った。……それも、忘れてしまったのかい?」
途方に暮れたような声に、むしろ聞いている私の方が泣きそうになって。髪が乱れるほどの勢いで、激しく首を横に振りたくる。
それは。その言葉だけは、覚えていた。
だからこそ。気がつけば一人ぼっちにされていた事実を、心のどこかで裏切られたよう感じていたのであって。
二度そんな思いをしたくない一心で、今度こそ誰からも裏切られないよう生きてきた。
それなのに――
「ずっと、ここにいたの」
「君がいないのに、どうやって立ち上がれと?」
「千年も」
「未練がましい男だと、嗤ってくれてもいいんだぜ」
自分が確かに立っていると思っていた場所が、土台からがらがらと崩れ落ちていく。
そんな感覚に呑まれ、膝をつく私を、それでも叶は離さなかった。
「……君に話すつもりはなかったんだ」
そうだろう。
話すつもりがあれば、機会はいくらでもあったはずだ。
深山かなでとして生まれてこの方、私が地脈と繋がっていなかったことなんて、それこそ死ぬまで一瞬たりともありはしなかったのだから。
「どうして……?」
「君が俺のことを忘れたなら、それが答えだろうから。それでもやり直したいと思ったのは俺の勝手で、君には悪いことをしたと思ってる」
鬼王の生まれ変わりめいた存在である叶を選ばせるために、鬼王谷は私をみすみす死なせた。「悪いこと」とは、そのことを言っているのだろう。
けれど不思議と、失われた命を惜しんで憤る気にはなれなかった。
それより余程、夢の中で暗示をかけようとしてきたことの方が腹立たしい。
「私、いつかあなたのことを思い出せる?」
「俺のことなんて、思い出さなくていい――」
叶にしがみつかれながら膝をつく私に、玉砂利の上をにじり寄ってきた鬼王谷の手が触れて。血の気の失せた頬を温めるよう、両手でやんわり包まれる。
「だから頼む。もう二度と、俺の前からいなくなってしまわないでくれ」
「――
懇願めいた言葉に、私は自然と微笑み返していた。
そのために、あの日、全てを捨てる覚悟を決めた。それだけは、絶対に間違いのないことだったから。
「私が一緒に、いてあげる」
できることなら、もう一度やり直したい。
それが私の、偽らざる本心だった。
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