血を吸う鬼と護身刀 18

(酔いそう)

 離れ。母屋。庭先。その向こうまで。

 叶の血によって途方もなく拡張された感覚が、そこらじゅうで起きるありとあらゆる出来事をつぶさに知らせてくる。

 集中の仕方を間違えた途端、意識を押し潰されてしまいかねない情報量に、私の気分は高揚していた。この全てを余すことなく利用できたらどれほどのことができるだろうと、考えるだけで胸が躍るのを止められない。

 どこか浮かれたような心地で開け放った障子の向こうに、はいた。

「――三つ子?」

「馬鹿言わないで」

 と姉妹なんて冗談でも御免だと、心にもない笑顔を浮かべながら。手にした護身刀を抜き放つ。

「かなで」

「奏は下がってて」

 最愛の弟。

 私ではない「もう一人の奏」と揃って、廊下に立つ私を振り返った女の容貌は香子――理鶯が依代として仕立てた人形――と瓜二つ。

 つまるところ、香子のモデルになった私とよく似ていた。――もちろん、双子の弟である奏とも。

「いいから止まれ」

 室内へ一歩。踏み込んだ私の前に立ち上がった奏は、まるで香子の中にいる鬼女を庇おうとでもするかのよう、腕を広げて私を阻んだ。

 威丈高に命じられ、体が動かなくなってしまうのは私の習性ならいせい

「香子を勝手に持ち出したことは謝るけど、これはもう僕の護法だ。手を出すならかなででも許さないよ」

 元より奏を傷付けるつもりはなくて。そう広くもない室内、立ち塞がられてしまうと護身刀一本でできることはたかが知れている。

 もっとも、それは私がであればの話だが。

「お前に社を壊されて、神格は失くしちまったんだ。呪いを貰わなかっただけ儲けものだと思って、女の一人くらい気前よく見逃してやれよ」

 奏が庇った香子の向こう。断りもなく開けた襖に手をかけ口を挟んできたのは、雲雀を連れた龍神ナカオ。

「外野は黙ってて」

「土地神代行殺しかけといてそりゃないだろ」

「あんまり煩くすると、あなたを鬼王の次に指名するわよ」

「雲雀の前で冗談きついぜ。――第一、お前が相手じゃ勃たねぇよ」

 斜に構えたナカオが一歩でも部屋の中へ入ってこようものなら、香子共々使い慣れない魔力の餌食にしてくれようと。叶を真似て、足下の影へと混ぜ込んでいた魔力が乱れる。

 それは、私が制御を失敗したというより、その提供元おおもとである叶に端を発する混乱のようで。あるいは、私に自分の魔力を使わせていた叶が、私の動きを止めるために意図した結果でもありえた。

「っ……」

 外側から乱され、制御を失いかけた魔力を取り上げられて。途端、立っていることもままならなくなった体を抱きとめられる。

「なんの話?」

 抜身の護身刀だけは、なんとか気合で取り留めた。

「おお、こわ」

 まるで心にもないことを言うような調子で、大仰に肩を竦めながら。ナカオはそれとなく体をずらして、その背に雲雀を庇う。――要するに、口先ほどの余裕はないということだ。

 ぴりぴりと険を帯びた叶の魔力を感じられない――霊感皆無の――雲雀だけが、何が何やらわかっていなさそうな顔で事態を静観している。

「俺、やっぱ雲雀とあっちで待ってるわ。恨むなよ、都留。ありゃあ俺の手に余る」

 言うが早いかナカオはぱしんっ、と襖を閉めきって。宣言通り、雲雀を伴いそそくさと元いた居間へ引き上げていく。

 私だって、逃げられる距離にいればそうしたかった。


「お前とあの蜥蜴が、なんだって?」

 この辺りでは一二を争う高位の人外で、水神としての神格をも有する龍を蜥蜴呼ばわりとは恐れ入る。


「その話は後でしてあげるから。魔力を戻して」

「鬼王はのことだろう? は私だ。――そうだよね?」

「おぬし……」

 ここにきてようやく、口を開いた香子の声は明らかに震えていた。

「よもや儂一人殺すために棺を開いたのか!」

「――だったら、何」

 自惚れるのも大概にしろと、言ってやりたいのはやまやま。けれど結果としては、そうなったも同然。

 言い訳がましく経緯を説明してやるのも癪で、私は叶に支えられたまま香子を睥睨する。

 都留媛という霊的な中身――擬似的な――を得た依代は、まるで生きた人間のよう生々しい質感を伴って動き、奏に縋った。

「ぬしさま、諦められよ。儂ではそやつに勝てん」

 話が読めない。

「……そっちこそ、なんの話?」

 屋敷神としての神格を有した状態でさえ、手も足も出なかった都留媛が。依代に匿われた有様で、私に一矢報いることが叶うとでも思っていたのかと。都留媛の不可解な言動を訝る私に、離れからあとをついてきていた理鶯が訳知り顔で告げてくる。

「奏君は、あなたがやろうとしていたことをそっくりそのままやり返すつもりでいたんですよ」

「私がやろうとしていた、って……神殺しを!?」

 どうしてそんな危険なことをと、信じられない思いで見つめる先。苦虫を噛み潰したような面持ちで、奏は香子を庇うため私の前へと広げていた腕をようやく下ろした。

 理鶯の言っていることが本当だとすれば。その必要はもうないと、冷静に判断したのかもしれない。

「僕のために呪われようとした君が、君のために呪われようとした僕を責めるの」

「だって……下手したら死んでたかもしれないのよ?」

「それをあなたが言いますか」

 どうやら。この件に関して、理鶯は奏の味方らしい。

「都留媛が忌子わたしを呪うなら、鬼王との力比べよ。土地神の守護とその代行に過ぎない屋敷神の呪詛がぶつかって、土地神が負ける道理がある!?」

「よく言う。鬼王の生存を誰より疑っていたのは、他ならぬあなたでしょうに。いないものをあてにして呪いを受けようだなんて、どうかしてますよ」

「――お前、奏が香子を使うのを見逃したわね」

 を、私を傷付けるために使えないことははじめからわかっていた。そんな依代ものを、私が「蝶野の屋敷神」を殺すため用意するつもりでいた「次の鬼王」を害するために利用されるというのは、完全に想像の埒外。

 やりようによっては成し遂げられるだけの性能が香子には備わっているだけに、今更のよう背筋が凍った。

「見逃すもなにも、あれはとっくにあなたへさし上げたものですよ。元より僕の管理下にはありません。……そもそも、本気であなたの振りをした奏君を僕が見破れると思いますか」

「威張って言うことか」


 あぁもう。

 どうしてこう何もかも上手くいかないのだろうと、頭を抱える。


 最低でも殺す必要のあった屋敷神は――依代へ押し込められているとはいえ――何食わぬ顔で生き長らえているし。とっくに舞台から退いていたはずの土地神本人が出張ってきただけでも大事なのに。極めつけがこのだ。

「あなたはもっと、僕たちのことを信用するべきでした」

「家族だと思って大事にしてきた結果がこれよ!」

 やってられるかと、地団駄踏んで叶を押しやる。

「どいつもこいつも勝手なことばかりして……」

 放り出すよう開いた手から落ちていく鞘と抜身の短刀は、瞬き一つする間に一人の少年姿へ転じた。

「もう知らない!!」

 それこそ子供のように叫んで。ふらつく体へ、しつこく腕を回そうとしていた叶へ自分から飛びつく。

 私の睨みつけるような視線を受けて。我が意を得たりと、叶は広げた黒衣で私を包んだ。


 ――どぷんっ。



 それからのことは、記憶にもやがかかったよう上手く思い出すことができない。

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