血を吸う鬼と護身刀 17

 浴槽に湯をはる時間と手間を惜しんで、簡単にシャワーを浴びただけの湯上がり。

 遮那に取ってきてもらった部屋着に着替え、脱衣所を出たところで、半日ぶりにまともな家人と出会した。


「――おや」

 天音あまね理鶯りおう

 色々と事情があって深山の家に居候している同い年のは、私の姿を認めるなり片眉を跳ね上げて、これみよがしの溜息一つ。

「ようやくお目覚めですか」

 そんな態度をとられる心当たりがなくもない。私は何食わぬ顔で行き先を変え、あとをついてきた理鶯に促されるがまま、台所に置かれたテーブルセットのベンチへ腰を下ろした。

「何かあった?」

「そりゃあありますよ。誰かさんが碌な根回しもしないまま屋敷神を襲ったせいで、色々と滅茶苦茶です」

 厭味ったらしく愚痴りながらも二人分の麦茶を注ぎだして持ってくるあたりは、完全な習性ならいせい

「こういう時のためにお前と雲雀ひばりがいるんでしょう」

「もちろん、手が回る範囲でフォローはしておきましたけどね。この件で、姉さんはナカオの機嫌を取るくらいしか役に立ってませんよ」

「ナカオが来てるの……?」

 半日ぶりのまともな水分は、湯上がりということもあって心地良いくらいするする喉を滑り落ちていった。

「あと、三橋みはし先生も。揃って母屋に詰めてらっしゃいますよ」

「なんでまた」

「あれでも蝶野の血筋ですから。何か感じるところがあったのでは? 最初は単なる様子伺いのような顔で来ましたけどね。壊れた社を見られてしまえば、何があったのかは隠しようもない。都留媛が討たれたのならあなたの無事を確かめるまで帰れないと……まぁ、口ではそういいましたけど。要するになんの保証もなく外へ出るのが恐ろしいのでしょう」

「それでナカオと一つ屋根の下ってのも、凄い状況ね」

 私の飲みっぷりを見た理鶯は座ったばかりの席を忙しなく立ち上がり、麦茶の入ったピッチャーを手に戻ってくる。

 甲斐甲斐しく注がれた二杯目を綺麗に煽ったところでようやく、私の喉も潤った。


「『お孫さんを僕に下さい』とか、そういう面白系の展開は?」

「ありません」

「残念」

 ところで……と、向かいの席に腰を落ち着けた理鶯が視線を流す。

「昨日、香子かおるこを連れて行きました?」

「いいえ」

 私と目を合わせていられなくなったのは、話の内容が内容だけに、少なからず責任を感じてのことだろう。

 すっかりそっぽを向いて、理鶯は作業台を兼ねたテーブルへ頬杖をついた。

 挙句、物憂げな溜息一つ。

「あなたが結界を破って……気がついた時には消えていました」

「香子だけ?」

「消えたのは」

 なんとも、含みのある言い方だ。

「勿体つけないで」

「確証が持てるまでは言いたくなかったんですが……」

「理鶯」

「凄まないでくださいよ。ちゃんと話しますから……」

 理鶯の口の重さに比例して、ぞわぞわと悪寒じみた気持ちの悪さが背筋を這い上がってくる。

 半ば以上、これから聞かされる「悪い知らせ」の内容を確信しながら。無意識のうち、私の手は跡形もなく消えてなくなった傷痕の上をなぞっていた。

「朝から、香子と瓜二つの女性がかなで君の傍にいます」

「――それを先に言え!」


 仕留め損ねていたかと、ひっ掴んだ護身刀を手に席を立つ。


 けれど――

「急に動くと危ないよ」

 そのまま、台所を飛び出そうとした体から立ち眩みのよう力が抜けて。倒れ込みそうになったところを、小さな龍を模した姿をふつりと掻き消し、私の正面で人型をとった叶に抱きとめられる。

 体ごと、力の抜けた手から零れた護身刀がごとりと床を転がった。

「かなで……?」

 背後からかけられる理鶯の声は、まるで信じられないものを見たとばかり。

 私だって、自分の体がこれほど思い通りにならなかったのは初めてだ。

「叶」

「ん?」

「血を」

「いいの?」

「いいから。早く」

 リスクとリターンを天秤にかけるまでもなく縋った血は、触れた舌が火傷しそうなほどの熱を帯びていた。

 それでいて酷く甘く、喉へと流し込んだそばから私の体を叶の魔力で満たしていく。

「なんですか、それ……」

「――新しいペット」

 満たされた魔力の分だけ研ぎ澄まされていく感覚が、私に今知るべきことの全てを教えてくれた。

 勝手にかけられたの比ではない。自ら望んで求めた力は、私に私が期待した以上のものをもたらして。想像していたより遥かに容易く、あっけないほどの従順さで私の思うがままに操られた。

 ダンッ、と踏み鳴らした音で結界を。まず逃げ道を塞いで、叶に正面から抱き竦めるよう支えられていた体を立ち上がらせる。

 どうしようもなく弱っているなら、霊力で無理矢理に動かすという手もあった。けれど、叶の血が効いているうちはそんな必要もない。

 翳した手の中へ飛び込んでくる護身刀をかたく握りしめ、今度こそ離れを飛び出した。

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