血を吸う鬼と護身刀 11
もう一人いる神使は到底侵入者の排除には向かない。結界を破られたことに気付いた屋敷神当人がのこのこ出てくれば、願ったり叶ったり。そうでなくとも結果は同じだ。
私という忌子はどうしようもなく、この地で神を相手取るのに向いている。
「結界が消えた」
「張り直すどころじゃないんでしょう」
道なりに走って竹林を抜けた先。蝶野の屋敷には目もくれず、首元のたっぷりとした毛を引っ張ることで獣に行き先を示す。
庭先をぐるりと回って見えてきたのは、池の畔に建てられた屋敷神のための社。そこにいるだろうと思っていた屋敷神当人やもう一人の神使の姿は何故か見当たらず、姿を隠して潜んでいるような気配もなかった。
「止まって」
どういうことだろうと、内心では盛大に首を傾げながら。それはそれとして、体は「いつか」と夢見ていた通りの動きを淡々となぞる。
体に纏わり付いていた触手を振り払うよう獣の背中を飛び下りて。後ろ手に引き抜いた護身刀は、押しつけた手の平を傷付け呪われた忌子の血にまみれた。
そのまま突き立てた白刃は社の周囲にめぐらされた結界を容易く斬り裂いて、社の扉を突き抜ける。中に収められた神体を砕いてしまえば、それで終わりだ。
なんとも、あっけない幕引き。
「死んだ……わよね?」
相手の神性などまるで関係なく、手にした刃が届くことはわかっていた。それでも必死で抵抗してみせるだろうと思っていたのに。蓋を開けてみれば、抵抗らしい抵抗は皆無という不可解な有様。
いくら勝てないとわかっていたとして。有象無象の人外でさえ、もう少し生き汚く足掻いてみせるだろうに。
「かなで」
なんとなく気が抜けて。立ち尽くす私の手の平に、獣から人へ姿を変えた叶の舌が這わされる。
結構な勢いで地面に落ちていた血は、叶の足下から伸びる触手が表面をなぞるよう触れたそばから消えていき、あとには少しも残らなかった。
「――静」
前触れもなく現れた気配に気付いて、目を向けた先。池の向こう側で、遅れ馳せ姿を見せたもう一人の神使が膝を折る。
九朗と静。神使としてそこらの人外では相手にならないほどの神性を持つ二人が揃って、不自由な人の体に――いっそ封じるかのよう――押し込められていたのは、彼らの主人である屋敷神にそうするよう命じられていたからだ。
霊視のできない徒人とも接することができるという利点を帳消しにして余りある欠点ばかりの、足枷のような
そして。仕えていた神を失くした以上、静は最早神使ではない。主人でもない人の子に高い頭を下げたとして、なんの問題もないというわけだ。
「あなたたちのことをどうこうするつもりはないから。どこへなりとも好きにお行き」
静の性格で、元主人の仇討ということもないだろう。蝶野の屋敷神へ仕えることになった経緯自体、無理矢理も同然だったと聞いている。
敵対するなら容赦はしないが、そうでないなら興味もない。私がそういう
「これまでと変わらずお仕えさせてはいただけませんか」
私の目を盗むよう伸ばされた触手が撫で回し、すっかり綺麗になった刀身を鞘へと納めてから。改めて、平伏する静へと向き直る。
「変わらず、誰に仕えようというの」
「深山と蝶野のかなで様に。不自由な人の身で、九朗とともに」
緊張、しているのだろうか。静の声は、普段よりも幾分強張っているような気がした。
「七三の契約が呑めるなら――」
伏せられた表情は窺えない。地面につかれた指先の白さも、相手が人の皮を脱ぎ捨てた真性の人外であるならあてにはならないだろう。
それなのに。つい譲歩するようなことを言ってしまうあたり、私も大概
「お許しいただけますか」
「――許す」
人でないものを相手に交わす約束事は、それが口約束だろうと案外強力だ。破れば相応のしっぺ返しがあるうえ、その場合の
「ありがとうございます」
心底ほっとしたような笑顔を見せて、静は姿を掻き消した。どこかにおいてきた体へ戻ったのだろう。
私が追加の仕事を片付けて戻る頃には、昨日までと変わらず少し早めの朝食を仕上げて、まるで本当に血の繋がった家族であるかのよう馴れ馴れしく出迎えてくれるに違いない。
そのためにはまず、静が求めた「条件」を満たしてやる必要があるのだが。
(九朗の状態、そんなに悪いのかな)
そうでなければ静もあんな条件は呑まなかっただろうと、いよいよ不機嫌そうな叶を急かし、結界を破った木戸の前まで戻ってみれば。案の定、私がほんの少しの間――屋敷神の神体を壊してしまうまで――足止めするだけのつもりで仕掛けた呪いにやられ、九朗は閉じ込められた体諸共死にかけていた。
「なにやってんだか」
体との霊的な癒着が深すぎて、とっくに出られなくなってしまっていたらしい。
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