血を吸う鬼と護身刀 01

 嗚呼、なんて無様な死に様だろう――。


 力なく倒れ伏す姿を一目見て、それが尋常の生き物でないとわかった。

 わかっていたのに、惹かれてしまった。

 だからもう、どうしようもなかった。


「お前、どうしたの」

 月明かりを浴びて煌めく銀の毛並みはどろりと濡れて、耳を澄ますまでもなく聞こえてくるほどの呼気はなんとも忙しない。

 苦しげに上下する胸。広がっていく血溜まりに、気付けばぴちゃりと、足をつけていた。

「死ぬの?」

 その目は「嫌だ」と言っていた。死にたくない。こんなところで終われはしないと、生きることへの執着にぎらぎらと輝いて。

「助けて欲しい?」

 誘うよう差し出した手へ、牙を剥いた獣が喰らいついてくる。


「っ……」

 勢い余って押し倒されて、アスファルトの地面に頭を打ちつけた――次の瞬間。それどころでない痛みが片腕を襲う。

 無我夢中で突き立てられた牙はなんの抵抗もなく皮膚を食い破り、すぐさま抜き取られていった。

 途端に溢れ出す鮮血を、伸ばされた獣の舌がべろりと舐める。二度三度と這わされたのち、大きな舌は人の唇に変わっていた。

「はぁっ……」

 艶めいた声の主は、覆い被さるよう私に伸しかかっている。銀髪の男。女のような細腕が性急に動いて、放り出していたもう一方の手を痛いくらいに握りしめた。

「あまい――」

 痛すぎて熱いくらいだった腕の痛みが引いて、頭上にかかる満月のような双眸と視線が交わる。

「もっと」

 口元を人の血でべったりと汚し、人外の美貌に溶け落ちそうな笑みを浮かべて、は強請った。

「代わりにお前は何をくれるの」

「お前は何が欲しいんだい」

 すりすりと甘えつくよう私の胸元へ頬を寄せ、すっかりと癒えた片腕を慈しむよう撫でさする。金銀揃って綺麗な鬼はおもむろに私を引き起こすと、かしいだ拍子に晒された首へと強く吸いついた。

 牙の代わりに音を立て、離された唇の下にはさぞやはっきりとした痕がついていることだろう。

 噛みつかれた腕の傷のよう、それも舐めたくらいで癒えればいいが。


「お前に救われたはもう、骨の髄までお前のものだよ。

 だから……ねぇ、いいだろう? 殺しはしないと約束するから。私に、もっと――」

「駄目」

「えぇっ……」

 されるがままに弛緩していた体を起こす。自力で立ち上がろうとしても引き止められるようなことはなく、気遣わしげに添えられた手にも出番はなかった。それくらい、流した血の量は大したことがない。むしろあれくらいで回復するなら何故、今にも死にそうなていで倒れていたんだと、直前までの弱りきって見えた様子がいっそ胡乱なほど。

「見えるところに痕をつけた罰」

「見えないところならいいの?」

「お前が私のものだというなら、それは許してあげる」

 きょとりと丸まった双子月に微笑みながら、誰かさんの唾液でしとった腕を汚れたシャツへとなする。

「お前、名前は?」

「つけて」

 無責任な言葉を吐く唇の赤が、ふと目について。手の平で乱暴に拭うと、悍ましい口元でにんまり笑った銀の鬼は、汚れた手の平を更に己の舌で拭った。

 ぴちゃぴちゃと水音を立てながら僅かばかりの血を舐めとって、機嫌のいい猫のよううっとりと目を細めて見せる。

「私以外にそういうことしたら牙を抜くから」

「しないよ」

「どうだか」

「しないったら」

 人を喰らうような人外ばけものの美しさは、得てして人を魅了するために磨かれたものだ。この手の人外は息をするよう人を誘惑する。

 やめれば飢えて死ぬだけだろう。

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