グレイト・マザーの揺り籠

UMI(うみ)

グレイト・マザーの揺り籠

「こうしてこの『解放』によって私たちはようやく真実の歴史を手にすることが出来るようになったのです」

 教壇で先生がそう言うと、生徒の一人が手を上げた。

「はい、ユルグ」

「それでは三年前まで教えられていた歴史は全て嘘だったということなのですか?」

 先生は大きく頷いた。

「その通りです。我が国がアバリス国との戦争に偉大なる勝利をしたという一点をとってみても嘘でした。アバリス国とはずっと戦争状態だったのです。アバリス国の革命軍を迎えたことによってオールドによる支配は終わり、私たちは解放されたのです」

 オールドというのは僕らの国を治めていた旧政府のことだ。アバリス国との敗戦をこの国は「解放」と呼んでいた。呼ばされている、というのが正しいだろうか。

 先生は三年前まで僕らに教えていた歴史を嘘だと言い、百八十度違う歴史を誇らしげに真実だと言う。僕は本当に今教えられている歴史も本当なのだろうかと自問自答せざるを得なかった。もっとも過去の過ぎ去った歴史が真実か偽りかなど僕にとって些細な問題だった。問題はもっと他のところにあった。

「先生」

 僕はすっと手を上げた。

「はい、ミーシャ」

「では『グレイト・マザー』は一体なんだったのですか?」

 グレイト・マザーというのは旧政府、つまりの僕らの指導者だったモノの存在の名称だ。

「それはオールドが作り上げた『偶像』です。最初から存在しなかったのです。私たちを管理し、支配するために作り出された虚像にすぎません」

 全てはグレイト・マザーの為に、産めよ、働けと言っていた口が、そう言った。

「今や私たちは自由に生きることが許されるようになったのです」

 僕らはそのグレイト・マザーの為に生きていたというのに、今やそれが全否定されていた。

「解放、万歳。自由、万歳」

 先生がそう言うと、クラス中が推し量ったように唱和した。

「解放、万歳。自由、万歳」

「解放、万歳。自由、万歳」

 僕は口だけを動かしてそう言った。黒板の横に張られた大きなポスターにはこう書かれていた。「君たちは、自由だ」



「ただいま」

「お帰りなさい」

 僕は授業を終えて自宅に帰ってきた。家に帰れば両親がいる。それは三年前の解放によって初めて出会った本当の両親だ。

「夕飯出来ているわよ」

「うん」

 僕は自室に通学鞄を置くと、ダイニングへ向かった。ダイニングでは温かい湯気を立てたシチューが用意されていた。だけど、僕はそれを美味しそうとは思えなかった。むしろその匂いは鼻について不快だった。三年経っても施設暮らしだった僕は温かい食事というものに慣れないでいた。施設では食卓に並ぶ頃には料理はすっかり冷めているのが普通だった。それでもあの頃は食卓には仲間がいた。

「お父さんは今日は遅くなるらしいから先に食べましょう」

「うん」

「冷めないうちに食べなさい」

「うん」

 僕は椅子に座ると「神様」に祈りを母と捧げた。解放により僕らはグレイト・マザーでなく神様を信じるように教育された。いるかいないかわかりもしない神様。それはグレイト・マザーとなにが違うのか僕にはわからない。

 三年前の解放まで、僕らの親はグレイト・マザーただ一人だった。生まれて直ぐに実の親から離されて子供たちが共同生活する施設に入って暮らすのが普通だったのだ。そこで僕らはグレイト・マザーの為に自分たちの人生は存在するのだと教えられた。一人一人がグレイト・マザーのかけがえのない子供たちで、グレイト・マザーに全てを捧げることが幸せなのだと。

 施設に入れられた僕らは同じ服を着て、食卓で冷めた食事を囲みながらグレイト・マザーについて語り、四人部屋の二段ベッドに横になりながら、グレイト・マザーの子供であることを誇りに思いながら眠った。

 あの頃はただグレイト・マザーの為だけに生きれば良かった。今はなんのために生きればいいのかわからない。僕らは自由だという、自由は何にもまして素晴らしいモノだという。解放まで僕は自由という単語すら知らなかったというのに。

 僕はスプーンですくったシチューをふうふうしながら冷まし、生ぬるくなったそれを飲み込んだ。生ぬるいシチューは口の中でべたついてやたらと気持ち悪かった。

 食事中は特になんの会話もない。目の前の貧相な女性が自分の母親だと思うと酷く惨めな気持ちになった。


 食事が終わると。僕は無言で部屋を出た。母はなにも言わない。部屋の中は当たり前だが僕一人だ。一人でいることは解放前までは当たり前ではなかったのに、いつしか普通のことになってしまった。

 腹の底から重たい寂しさが僕を襲った。僕はベッドの下に隠してあったポスターを取り出すと、それを床に広げた。それはグレイト・マザーの肖像だった。解放後、処分される寸前で僕が盗んだのだ。

 解放以前は街中のどこでも見ることのできたポスターだが、今ではそれは「君たちは自由だ」というポスターに取って代わられていた。グレイト・マザーが恋しくなると僕はこっそりこの肖像を見ることが日課になった。解放までは己の真の母だった。世界で最も偉大なる存在だった。それは未だに僕の中では変わっていない。

 グレイト・マザーの穏やかな微笑を見ながら僕は祈るように言った。

「グレイト・マザーよ、僕らをお導き下さい」



 週末、僕は学校のレポートを提出するために図書館に行った。ここに来るといつも僕はクラクラする。所狭しと並べられた本の数々。それはまさしく本の山だ。見渡す限り本、本、本だらけ。僕を威圧するかのようなおびただしい蔵書の数々に常に圧倒される。

 昔からこの図書館は存在していたのだが、解放後その中身は様変わりした。というより、蔵書は全て入れ替わった。解放前はグレイト・マザーを賛美する本や、グレイト・マザーを中心に回っているこの社会体制がいかに素晴らしいかという内容の本ばかりだった。

 それらは全て図書館から撤去された。その本の行方は知らない。新政府の元で保管されているとか、焼かれてしまったのだとか色々言われているが、真偽のほどはわからない。

 今は様々な種類の本が山積みだ。いわゆる真実の歴史とやらが書かれた歴史書から、政治、経済、娯楽のための小説。小説なんて解放前の社会では風紀を乱す汚れた書物と教えられていたほどだったのに。

 僕はレポートを書くための資料になりそうな本を探して、ぐるぐる図書館内を回った。けれど資料になりそうな本は見つからない。そこは果て無く続く迷路のようだった。五周図書館内を回ったところで、ふと気付いた。そもそもレポートの題材を考えていなかったことに。

 レポートの題材は自由に自分で決めろと先生に言われたことを今更になって思い出した。僕は茫然と立ち尽くしてしまった。何も思いつくことがない。自由に選ぶこと、自分で決めることなど解放まではなかったことなのだ。僕は突如として言い知れぬ不安感に襲われた。

 それまでは全てグレイト・マザーが全てを決めてくれた。読む本から将来の仕事まで。僕らは何も考える必要はなかったし、不安を持つこともなかった。一日のスケジュールから一年、そして一生を決められていたのだから。言ってみれば僕らはグレイト・マザーの揺り籠の中にいたのだ。

 その揺り籠から唐突に放り出されたのだ。そのことを突如として僕は理解すると、堪らずに図書館の出口へと向かった。


 僕は落ち着きなく街をうろついた。街中でも僕の不安感は消えることがなかった。至る所に張られた「君たちは自由だ」というポスターを見るたびに、むしろ不安感は増していった。

 行き交う人々の顔には一様に笑顔が浮かんでいる。そこには不安感など微塵も見受けられなかった。僕だけなのだろうか。こんなにも自由に対して不安と息苦しさを感じているのは。誰も彼もが自由を謳歌しているように見えて、僕はすっかり住み慣れた街なのに異邦人のような気持ちになった。

 怯えた猫のように身を縮こませて、隠れる場所を探すように歩いていた時だった。

「ミーシャ」

 名前を呼ばれて僕はびっくりして飛び上がった。

「おい、ミーシャ」

 恐る恐る振り返ればそこにいたのはクラスメイトのマイクだった。

「なにしているんだよ」

「あ、レポートをやろうと思ったんだけど、気が乗らなくて……」

 僕がそう言うと、マイクは納得したように頷いた。

「ああ、レポート面倒だよなあ。俺も終わってないや」

 あはははっと笑ってマイクは頭をかいた。

「でも提出期限は一週間後だろ。焦ることないよ」

「……うん」

 でも、と僕は思った。一週間経ってもきっと僕はこのレポートを一行も書けていないだろう、と。

「それよりも、一緒に映画でも見に行かない?」

「え……?」

 正直なところ、僕は映画には興味がない。正しくは興味がなくなった。

「気になっていた新作の公開が始まったんだ」

「まあ、いいけど……」

 興味はなかったが、書けないレポートを抱えて街中をうろついているよりはマシかもしれないと思い、マイクと映画に行くことに僕は決めた。ここじゃない場所ならどこでもよかったのかもしれない。


 映画は解放までは禁止されていたアクションものだった。スクリーンには目を覆いたくなるような人間同士の醜い争いが映し出されていた。僕は大きくため息をついた。だから今の映画には興味がないのだ。

 三年前までは僕らは争うことは禁じられていた。施設や学校では些細な諍いは確かにあった。デザートの量が違うという難癖やおもちゃの取り合いとかだ。けれどそんな時でも僕らは妥協点を探して仲直りをした。グレイト・マザーが争いを望んでいなかったからだ。誰もが平等で仲良く助け合う社会を理想としていた。なんて平和な社会だったのだろうか。それに比べて今はどうだ。そんな理想すら捨ててしまったクソのような社会だ。

 反吐の出そうな思いを堪えて見続けると、主人公はヒロインと恋に落ちた。一時の感情に流されて生涯の伴侶を選ぶなんて馬鹿げている。人の心は移ろいやすいモノだというのに。


『君こそ俺の運命の人だ』

『私にとってあなたもそうよ』


 運命の相手とやらが見つからなかった人間はどうすればいのだろうか。今まで僕らの結婚相手はグレイト・マザーが選んでくれていた。誰にでも相応しい相手を見つけてくれたのだ。それはとても平等なシステムだったと僕は思う。結婚できずに一生を終わってしまう人もいない。気の迷いで相性の悪い相手と間違って結婚することもない。

 グレイト・マザーがいなくなった今、僕はどう生きていけばいいのだろうか。主人公が声高にスクリーンの中で叫んだ。


『自由とはなんと素晴らしいのだ』


 僕にはなにが素晴らしいのかちっともわからなかった。自由を知れば知るほどグレイト・マザーによって導かれていた社会がどれほどよく出来ていたのかを僕に実感させるだけだった。解放以前の社会がどうしようもなく恋しかった。



「映画、面白かったな」

 マイクがコーラを啜りながら、そう感想を述べた。僕らは映画を見終わった後、近くのファーストフード店に入った。

「そうかな?」

 僕は目の前に並べられたハンバーガーやフライドポテトを見てため息をついた。こんな身体に悪いモノを平気で食べられるのが信じられない。ファーストフード店も解放までは存在しなかった。

 僕らは身体を大事にしなさいと教わってきた。社会の担い手となる大切なグレイト・マザーの子供だったからだ。それが今では将来身体を悪くするモノだと知りながら添加物で一杯の食物(これを食べモノだと言うならば)を自ら口に入れている。害になるモノを食べる自由なんて果たして必要なのだろうか。

 おまけにざわざわする店内が落ち着かない。小さな子供を連れた家族、カップル、友人同士でだべっている奴ら。食事は静かにグレイト・マザーに感謝して食べるものだったのに。解放から三年で社会はすっかり不道徳なものになってしまったとしか僕には思えなかった。

 僕が上の空だったのが気に入らなかったのだろ。マイクが不満げに言った。

「そうかなってなんだよ。つまらなかったのか」

「まあ、そうだけど」

 僕がそう言うとマイクは驚いたような顔をした。

「今年最高傑作って言われているんだぞ。変わった奴だな」

 マイクはそう言ってハンバーガーに噛り付いた。僕はそんなマイクを見て眉をひそめた。バンズの間から滴り落ちるケチャップやミンチ肉の油が不快だった。

「でもさ、やっぱりいいよな」

 マイクは手に付いた油を気にすることなく、今度はフライドポテトに手を伸ばした。

「いいって、なにが?」

 今のところ、今日は何一ついいことなんか僕には起きていない。

「だってさ、今は好きなモノを食べられるし、好きな女の子と恋愛だって出来るんだぜ。解放前はあれも駄目、これも駄目、自由なんてなに一つなかったじゃないか。全てはグレイト・マザーの為に、だ。馬鹿げていたよな」

 フライドポテトを指先でつまみ上げて、マイクは僕に同意を求めた。自分と同じ考えに違いないという断定した言い方だった。僕はカチンときた。バケツから水が溢れるように、なにかが決壊したのを感じた。

「自由のなにがいいだんよ。マイクだってレポートが書けてないって言ったじゃないか。本一冊選ぶのにどれだけ時間をかけなきゃならないんだ?グレイト・マザーがいた頃はこんなくだらないことに時間を浪費することもなかった」

「おいおい、どうしたんだよ」

 黙ったままだった僕が急に雄弁に話し始めたので、びっくりしたのだろう。マイクはフライドポテトをつまんだまま目を丸くした。

「あの映画だってそうだ。低俗極まりない。人間同士が争い合って、殺し合って。それのどこが面白いんだ。グレイト・マザーの子供として助け合って平和に生きていたじゃないか。恋愛だってそうさ。好きな女の子と恋愛できるのは素晴らしいこととマイクは言うけど、好きな女の子が自分ではなく、他の男を選んだらどうだ?悲しみや憎しみしか生まないじゃないか。そもそも恋だなんて一時ののぼせた感情に過ぎないよ。そんな気の迷いみたいなもので一生の伴侶を選ぶなんて、間違っている」

「どうしちまったんだよ」

 唖然とするマイクを尻目に僕は言った。

「今の社会は異常だ」

「はあ?」

 マイクは大きくため息をついて、コーラを一口飲むとようやく口を開いた。

「今の社会のどこが異常だっていうんだ?」

「異常だよ」

 僕ははっきりそう言った。

「だって、そうだろう。解放までは僕らはグレイト・マザーの元で平和な社会を営んでいたじゃないか。競争することも争うこともなかった。一人は皆のため、皆は一人のために生きていた。恋愛なんかしなくても結婚相手と出会うことが出来た。誰もが平等だったんだ。貧乏な家に生まれても施設で平等な食事と教育を受けられた。そこに差別なんかなかった。自分の身体だって皆もっと大事にしていたじゃないか。こんな脂ぎったモノも口にすることはなかった」

 そう言って僕は目の前の手つかずのハンバーガーを指さした。

「まるでグレイト・マザーがいた頃の方が良かったような言い方だな」

「そう言っているんだよ。人間は直ぐに醜い争いを始めるし、直ぐに楽な方に流されて堕落する。グレイト・マザーの導きが必要なんだよ」

「お前はまだ信じているのか?グレイト・マザーはオールドが俺たちを管理するために作り出した偶像に過ぎなかったんだぞ」

「百歩譲って偶像だったとしてもグレイト・マザーの存在自体は間違ってはいなかった」

「お前さあ」

 マイクが僕を指さして言った。

「『再教育』をもう一度受けた方がいいぜ」

 『再教育』とは解放後の社会に馴染めない人間のメンタルケアのことだ。馴染めない人間とは、例えば僕のようにグレイト・マザーが社会にとって必要だと信じている人間のことだ。全てが自由だと言いながらグレイト・マザーの存在を肯定する自由を新政府は認めないのだ。だから僕はこれを再教育ではなく『洗脳』だと思っている。

 マイクもこのすっかり再教育によって洗脳されてしまった一人だった。僕も再教育を受けたがマイクと違って洗脳されることはなかった。

「もう、いい」

 僕はマイクとこれ以上話しても無駄だと悟って、席を立った。油とヤニがこびりついたゴミの吐きだまりのような場所を僕は後にした。

 店を出ても街中は同じようなものだった。けばけばしい服装をして、臭い香水をぷんぷんさせた不健全な人間たちが歩き回っている。グレイト・マザーがいなくなり、人はかくも誇りを失い堕落した。僕は怒りで全身が震えるのを感じていた。

 街中の至る所に張られている「君たちは自由だ」というポスターが僕の怒りに油を注いだ。

自由、自由がなんだというんだ。僕はこんな自由なんかちっとも望んじゃいなかった。平和で誰もが平等な社会を愛していたというのに。

 僕はカッとなって、映画のポスターの横に張られていたそれに手をかけた。そして思い切り引き裂いてやった。「自由」という文字が真っ二つに裂け、ビリビリという手に伝う感触が気持ち良かった。

「ちょっと、君!なにしているの?」

 周囲から非難の声が飛んだが、僕は気にすることなく、次から次へとポスターを破っていった。結局のところ、五枚目を破ったところで僕は警察に羽交い絞めにされて警察署へと連行されることになった。


「どうして、こんなことをしたんだい?これは器物破損だし、新政府への名誉棄損になることは知っているだろう」

 取調室での警察官の優しく諭すような態度が余計に僕を苛立たせた。

「復讐のためです」

 僕がそう言うと警察官は少し驚いたように幾度か瞬きをした。冷静さを保つためだろう一つ大きく深呼吸をした。

「なんのため?誰に対しての復讐なんだい」

「グレイト・マザーを否定する社会に対してです」

 僕がはっきりそう告げると、警察官は大きくため息をついて、深く腰を下ろし直した。安っぽいパイプ椅子がギッと耳障りな音を立てて、狭い取調室に響いた。

「グレイト・マザーはオールドが作り出した偶像にしか過ぎないんだよ」

 優しく物分かりの良さそうな口調で耳にタコが出来るほど聞いた台詞を言った。

「もう、グレイト・マザーは存在しないんだ。君は自由なんだよ」

「自由なんて、くそくらえだ」

 僕が敵愾心を露わにしてそう言うと、警察官は諦めた表情を僕に向け、そして傍らに立っていたもう一人の警察官にこう言った。

「再教育だ」



 こうして僕は再教育のための更生施設に入れられることになった。施設では真実の歴史やグレイト・マザーは最初から存在しなかったのだということ、オールドが僕らを管理し、支配するための偶像でしかなかったこということを延々と教え続けられた。そしていかに自由が素晴らしいモノであるかということも。

 それは外での学校教育となんら変わりはなかった。違う点は少しでも反論しようとすれば容赦なく殴られ、独房に送られて食事をもらえなかったことだった。

 そこで僕は仕方なく従順な振りをした過ごすことにした。意味のない生活だと思っていたが、意外にも収穫はあった。

 仲間の存在だった。解放から三年経った今では更生施設では僕の他にはたいして人はいないだろうと思っていたのだが、思ったよりも多くの人間がそこには収容されていた。僕と同じくグレイト・マザーの存在の必要性を信じる健全な人間たちだった。

 僕らは再教育係の目を盗んで、小さなメモでやり取りをした。誰もが今の社会の堕落を嘆き、グレイト・マザーの存在の必要性を信じていた。僕一人ではなかったのだという事実が、僕に勇気を与えてくれた。

 施設を出たら、グレイト・マザーの元で再び人々が一つとなる社会を生み出そうと僕らは固く約束した。



 三か月後、僕の再教育は完了したとして施設から出ることになった。施設では僕は模範生徒として表彰されたが、施設に入る前と僕はなにも変わらなかった。いや、むしろグレイト・マザーへの敬愛の念は深まったといってもいいかもしれない。なんの生きがいもなかった自分に生きる目標が出来たのだ。

 いずれ仲間たちも施設から出てくるだろう。そして僕らでこの堕落した社会を一掃してやるのだ。グレイト・マザーの存在を知らしめてやろう。果てしない自由の海で彷徨うだけの哀れな人たちを救ってやるのだ。

 そうだ、僕がやろうとしていることは革命ではない。救済なのだ。グレイト・マザーの元で一つとなり、一つの家族として生きることが本当に人間らしい生き方なのだとわからせてみせる。

 人々はグレイト・マザーの揺り籠の中に戻るべきなのだ。

「グレイト・マザーよ、僕らをお導き下さい」

 はりぼての自由を着て闊歩する人々の雑踏の中で僕は天を仰いで祈りの言葉を捧げた。




























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