第19話 秀ちゃんの恋 2
知大さんの手術も無事に終わり、一週間後に退院してきた。
もちろんまだ折れた腕の骨はくっついて居ないし、仕事に行っていない。
とりあえず、折れた骨以外は健康だから、退院ってことらしい。
いや、骨が折れているだけでも結構大変なんじゃないかと思うけれどね。
知大さんは器用にも片手だけで、いろんなことをこなしてしまう。
スーパーマンかよって思うけれど、人としての基礎能力が違うんだろう。
今までも、母が朝食の支度をしている間の結の面倒を見るのは知大さんの仕事だったらしいけれど、寝起きでぐずる結を上手になだめて、着替えさせておむつを取り換えてトイレに連れて行ってとの一連の行動を片手でやっている。
三歳になったばかりの結は、日中はトイレを教えられるけれど、夜はまだ失敗することもある。
大体は澪が全身で遊んで疲れ果てて寝ちゃったときとかに失敗が多いらしい。
普段なら夜寝る前にトイレに行って、朝起きてトイレに連れて行けば大体大丈夫みたいだけどね。
でも、いくら小さいからと言って三歳の子供を片手でトイレに連れて行って、用を足させるのは俺にはできないよ。
そこらへん知大さんはすごいと思う。
手を洗わせること一つとっても、結は水遊びみたいにばちゃばちゃやっちゃうから、両手で結の手を包んで洗わせるわけだけど、俺は片手では無理。
知大さんは折れた方の脇にタオルを挟んで、もう片方の手で結の手を包んでちゃっちゃと洗ってる。
親ってすごいと思う。
二週間たって、手術の腫れが引いたら、リハビリをして職場復帰だって言ってた。
元々腕を折ったのは、会社の受付で社員さんにストーカーしていた男が、知大さんをその人の新しい男だと思って殴りかかってきたからだってさ。
「僕には、千早さんがいるのにあんな頭の軽そうな女の子になんか声をかけるわけがない」
と憤慨していて、上司さんが仲裁に入ったけどその上司さんも殴られたので会社として相手の男を訴えたんだってさ。
その男の父親が某国会議員だったらしく、弁護士が飛んできてお金積んで被害届を取り下げるようにって頼まれたみたい。
しぶしぶ受け取って、接触禁止とかいう念書を取ったと聞いている。
無駄にまたお金が増えたから、秀君車買ってあげようかと言われたけれど、頷いてもいい物だろうか?
母はこの際だから免許取っておきなさいよとか言っていたのだ。
確かに、今のうちに免許取っておいた方が良いかもしれないな。
母が帰ってきたので、うちは通常通りになった。
結はまた母にべったりになって、澪の誘いを振り切っているらしい。
アイス片手にちぃちぃのところに行こうとか、公園行かない?とか涙ぐましい交渉をしているみたいだ。
俺は佐野のアドレスをゲットしたので、何くれと無く誘っている。
三勝一敗という結果で、誘うことに成功しているので、澪と結よりはましだろう。
一敗は教授に負けた。
誘いを掛けたら、これから教授がご飯おごってくれるからって断られたのだ。
教授には負けるよな。
だから、今まではちょっと友達って範囲の付き合いだったけれど、ここで勝負に出ることにした。
忍と呼ぶ権利が欲しい。
そして忍のことを独占する権利も欲しい。
代わりに俺を独占する権利を忍にあげたい。
日曜日、なぜが早起きしてきてにやにやしている澪とパジャマのままの結に見送られてデートに向かう。
待ち合わせの駅の改札を出たところで、白のカプリパンツにアイボリーのタンク、そして薄いブルーのシャツを羽織った佐野忍がいた。
くそ、可愛いなぁ。
足元は歩きやすいようにとスニーカーだ。
今日向かう先は水族館だ。
なぜかうちの母親は水族館が好きで、子供の頃の家族旅行も離婚してからの旅行も行先には必ず水族館があった。
驚いたことに、群馬県の山の中にも水族館は有ったんだぜ。
母親の一押しはジンベイザメで、大阪の海遊館でも沖縄の美ら海でも子供でなく母がジンベイザメの前からずっと動かなくって、最後は智兄が引きずって帰ってきたんだ。
以前知大さんに、うちの母親と水族館に行ったことがあるかと聞いたら、苦い顔をしていた。
結が望まない限りは、もう水族館には行きたくないと言っていた。
ブチブチと言っていることを継ぎ合わせて考えれば、水族館で知大さんより展示の魚を優先したとかいう事らしい。
うちの母親も大人げないなと思うけれど、魚如に嫉妬の炎をメラメラ燃やしている知大さんも知大さんだと思うことは内緒だ。
ということでホームである水族館ならアドバンテージが取れるかなと思って誘ってみたら、一も二もなく食いついてきたのでこっちが驚いた.
「佐野って水族館好きなの?」
「小野君はサンシャインの空飛ぶペンギン見たことある?」
「ああ、新装開店で話題になったとこな。澪が結連れて行くって言うんで、一緒に行った」
「あれすごくかわいいよね」
「佐野はペンギン好きなの?」
「ペンギンもラッコもトドもアシカも好き」
なるほど、海獣系ね。
「じゃ今度、福島行こうか?」
「福島?」
「アクアマリンって知らない?あそこも展示動物が多い水族館だよ」
「小野君行ったことあるの?」
「ある、うちの母親が水族館マニアというか、あの人はジンベイザメに恋しているから」
「小野君のお母さんってかわいい」
佐野がふふっと笑う。
あれは可愛いとは思えないけれどね。
前もって買っておいたチケットを佐野に渡して入場する。
ゲートから建物までの階段を上るときに、すっと手を出して佐野の手を握る。
「転ぶなよ」
「転ばないよ」
でも佐野も嫌がっているようじゃないから良いんだ。
そのまま入り口からエスカレーターで階下に向かう。
下りてすぐに大きな水槽があって、そこにはサメがいるんだ。
イタチザメとシュモクザメ。
俺はジョーズとかいう昔の映画を見てから、サメってなんか苦手だ。
あの目が好きじゃない。
「小野君鮫だよ」
佐野が小走りに駆け寄る。
「すごいねぇ、大きいねぇ」
俺はそっと佐野の後ろから囲い込むように抱き込む。
ぴくっと佐野が反応したけれど無視無視。
「結構デカいね。俺海でこんなのに遭ったら即逃げるね」
「小野君、ちょっと恥ずかしい」
「佐野周りを見て見ろ、人がこんなに居るんだから横二列に並んだら迷惑だろ?」
「あ、そうだね」
なんて丸め込みやすいんだお前。
その後できるだけ身体を寄せ合って、二人で歩いた。
薄暗い水族館は、それなりに静かで顔をよせて小声で話すしかなく、佐野が嫌がろうとも俺たちの密着度は上がるばかりだ。
この水族館の売りの大水槽で、回遊するマグロとカツオを見て順路的に明るい場所に出た。
あのふれあいコーナーって場所だ。
握っていた手を放して、佐野が水槽に飛んで行った。
「小野君、小野君。いそぎんちゃくだよ」
「食われるなよ」
「小野君イソギンチャクは人を食べないよ」
真面目な顔をして言われたのでつい吹き出してしまった。
小さい子に前を譲って、後ろから手を伸ばして順番待ちをしている佐野が可愛いなぁと思う。
やっぱりこいつが良いなぁって思う。
それから手を洗って佐野お待ちかねのペンギンコーナーに行った。
結構大きい水槽の端から端までペンギンが泳いでいる。
うわぁと声を上げて、嬉しそうにペンギンを見ている佐野を見ている自分がすごく安定していると思う。
変な言い方かもしれないけれど、自分の中で何かが欠けていて、それを佐野がいる事で補ってくれている感じがするんだ。
昔母が買ってくれた絵本に、「僕を探しに」という本があった。
円であるはずの僕の一部が欠けていて、そこに埋まる何かを探しに行く話だったと思う。
結末を覚えていないのだけど、僕は埋まる何かを見つけられたんだっけかな。
俺の欠けているパーツは佐野だって言ったら佐野はどう思うだろう?
ひとしきりペンギンと戯れていて満足したのか佐野がこっちに走り寄ってきた。
「小野君、一人で騒いでごめんね、小野君は楽しい?」
「俺はスゲー楽しいよ。佐野が可愛くってさ」
佐野は顔を真っ赤にして怒り始めた。
「小野君の意地悪。可愛いなんて可愛いなんて、澪とか結ちゃんに言うみたいに言わないでよ」
「俺、澪に可愛いなんて言った事ねーよ」
「え?」
「俺が今までに可愛いって、直で言ったのは佐野だけだ。結は妹だからかわいいと思っているけどな」
「え?え?」
あぁ、海岸で夕日を見ながら告白しようって思ったのに、こいつの所為で全部おじゃんだ。
いつ言うの?今でしょって感じだよなぁ。
「佐野。俺、佐野が好きだ。これからずっと付き合って、俺でよかったら結婚して」
固まったままの表情の忍のそばに立ち、耳元でささやく。
「ね、忍。俺だけにしておいて」
佐野の顔がこれ以上ないってくらい真っ赤になって、口を半開きにしてあわあわ言っているけれどそれでも十分可愛いと思うんだ。
真っ赤になって何も言えなくなって、照れたように笑って、それでも肯いてくれたからそれで充分。
「今から忍は俺のものだから、俺も忍の物だからな」
真っ赤になって棒立ちになっている忍をぎゅって抱きしめた。
あんまりかわいいからついキスしたくなったけれど、我慢した。
ここが外でよかったよ。
それから母にやっぱり免許取りに行くと言おうと心に決めた。
知大さんにいくらか出してもらうにしても、自分の稼ぎも使いたいからバイトして車を買おうと思う。
忍と出かけるなら、二人っきりが良いしね。
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