第17話 運命の恋人 私のカワイイヒト後
坂本知大さんは、朝通勤のために駅に行く途中で一緒になる人だった。
この普通の住宅街では珍しく長身でかっこいい人だった。
若くてイケメンが歩いていれば、ちょっと見てしまったりしない?
あぁ、朝からイケメンを見たわ。眼福眼福、今日はいいことがあるかもなんてね。
同じ電車に乗るんだけど、人って決まった車両だったり入り口だったりするのは次の乗り換えのためだったりするんだけど、それで自分の近くに居たりすれば自然と目が行く。
イケメンなのに何となく寂しい感じのする人で、もったいないなぁと思っていた。
笑ったらかわいいだろうなぁとか、既に親目線だけどね。
孫の春哉は、娘が夜勤になるときは、平日なら私が保育園に迎えに行ってそのまま娘の迎えを待つ。
そして帰っていく。
休日なら、朝からうちに来るというスタイルで預かっていた。
基本的にうちは今私一人なので、家事なんてしなくても春哉に付きっきりでもいいのだ。
春哉のご飯なんて離乳食に毛が生えたものだし、大人のご飯を別取りして煮込んでかゆにしたり、うどんをくたくたに煮込んだり、たまに一緒にゼリーを作ったりプリンを作ったりすればそれだけで時間が稼げる。
天気が良ければ公園に行って、悪かったら家の階段で覚えたてのじゃんけんでグリコやったり。
身体を動かせば昼寝も早いし、一緒に添い寝しているうち私も寝たり。
子供を育てている時は、家事に振り回されて、正面から子供と向き合うことは少なかったように思う。
春哉とは一対一のタイマン勝負だ。
家事なんて一切投げ捨てて、体当たりしている。
どうせ春哉には帰る家があるのだから、春哉が帰ってから家を片付ければいいだけのことだ。
だからなのか、春哉はうちに来ることが楽しいようだ。
孫と祖母ってそんな気楽な関係なのがいいのかもしれない。
そんなのどかな日々の中で、春哉と出かけたスーパーでいつものレジ前のお菓子を買うの買わないの戦争の真っ最中に坂本知大が私に声をかけた。
たったそれだけだったのに、それがきっかけとなって私は彼を知った。
きっかけがあれば、朝あった時に黙礼位するようになる。
そして、あの日。
坂本さんは急病で救急車で運ばれた。
なりゆきで私が付き添ったけれど、病室のベッドの上でスーツの上着を脱いで、ネクタイを外して、シャツのボタンをいくつか外した坂本さんが、痛みに呻きながら私に謝罪する姿に、心が揺れた。
自分が体調が悪い時くらい、周りなんて気にしなければいいのにって思った。
元夫は、家事が一切できない人で、できないことが誇りのような人だった。
もちろん一番悪いのは、長男大事大事で育てた姑だけれど、結婚して共働き家庭でそれは通らない。
何度家事を仕込んだことか。無駄になったけれど。
私が40度近い熱を出して寝込んでいる横で、
「ラーメン取るけれど何がいい?」
て聞かれたときは、頭の上のアイスノンを投げつけてやろうかと思った。
コンビニに走らせて、ポカリとゼリー飲料を買ってこさせたけれど一つづつしか買ってこないありさまで、明日の分は私に買いに行けというのかというとまたコンビニに走るという愚行を犯した奴だった。
そのくせ自分が体調が悪いと、あれ買って来てこれ作ってとうるさい奴だったのだ。
なぜ自分がしてもらったことが、相手にできないのかと熱が下がった後二時間くらい説明をしたけれど、全くわかっていない奴だったのであきらめた。
あれ以来、食品や日用品のストックを管理して在庫が3個になると買い足さなくてはという恐怖に近い圧迫感を感じるようになってしまった。
それなのにまだ若い坂本さんは、他人である私に迷惑をかけたとすごく恐縮している。他人だから余計恐縮したのかな。
鎮痛剤の効果かようやく寝息を立てるさまを見て、可愛いと思ってしまった。
私より背が高く若くカッコイイ人が、私の目の前で弱っていてそれでも申し訳なさそうにしている姿が、若い子の言い方ならキュンとしてしまったのだ。
よく捨てられた犬みたいな目で見るからというセリフを本で見たけれど、これかと驚いた。
坂本さんの家族が来るまでと、眠っているイケメンを見つつ、タブレットで仕事の指示を出しながら待っていた。
イケメンは寝ていてもイケメンだった。
おまけに若い分肌がすべすべだ。
伏せているまつげが長い。
すっと通った鼻筋も、黒い毛穴つまりもない。
本気でうらやましい。
薄い唇がきりっと端が上がっていて、それが時たまゆがむのがまたいい。
指でなぞったらどんな顔をするのだろうか?
ようやく坂本さんのお母さんが来られて、子細を説明して看護師に引き継いだ。
それから会社に戻っても仕方ないので、家に帰ったけれど、思いのほか自分がウキウキしているのを感じて思わず笑った。
虫垂炎の手術後おならが出るまで、食事もとれないと元同級生が言っていたけれど、今はどうなのだろう。
それでも、手術が終わって三日後くらいにお見舞いに伺った所、何となく坂本さんとお母さんはぎくしゃくしているようだったので、それとなく間に立って二人の会話の糸口にでもなればと、智の間抜けな話をした。
家族で蕎麦屋に行ったときに、智がざるそばを頼んだのだけれど、あれはよく食べるのでもう一枚頼もうかと言った所、智はこの網の下にもあるから大丈夫と言ったのだ。
ないよと言ったら、ショックを受けたようで、この量でこの値段なのと別の意味でびっくりしていた。
確かにあの箱ものは、下に何か隠してあるように見えると家族で笑ったものだ。
というような話をしたら、坂本さんは笑い出して傷が痛いと言っていたし、お母さんは子供あるあるですねとほほ笑んでいた。
後に、あの話の流れで自分と母親が和解に至ったと聞いて、智の間抜け話も役に立つものだと思った。
二回目のお見舞いで時間つぶしのために、市販の漫画本を差し入れしたけれど、あれは笑ったと後に言われた。
孤独のグルメは笑う本か?
食べたくて仕方なかったというのならわかる。
坂本さんのセンスと言うか笑い所がわからない。
それとも一緒に差し入れした日本人の知らない日本語の方か?
退院後、お礼をしたいと連絡を頂いたけれど、ちょうど私が繁忙期で、仕事の予見が出来なくてしばらくたってからと返事をしたけれど、毎朝逢う度にまだ忙しいんですかと聞かれてちょっとうざくなったのは内緒だ。
ようやく時間が取れた週末、一緒にご飯を食べに行った。
その時にお互い独り者で、ご飯を作りたくないときがあると話したら、激しく同意されたので、その時は連絡をください一緒にご飯を食べましょうとお追従を言ったけれど、まさかそのまま受け取られて月2~3回呼び出されるようになり、毎週になり、それから映画に行く話になって、ほぼ毎週末一緒に過ごすようになるとは思ってもみなかった。
正直に言えば、自分よりはるか年下の若くてカッコイイ長身の男が私を誘い出すことに一生懸命になっているさまを見て天狗になっていたことは否めない。
なぜとも思ったけれど、久しぶりの異性からの誘いに私は調子に乗っていた。
そして、いつの間にか坂本さんは私の心の闇に潜んで私を虜にしたのだ。
ちくしょう。
間抜けなことに気が付けば私は彼の誘いを心待ちにするようになっていていた。
イケメンずるい。
坂本さんの誘いを断るときに、春哉を預かるから出かけられないと言ったことがある。坂本さんはなんと自分の車にチャイルドシートを用意して春哉ごと私を誘い出すという暴挙に出た。
そこまでするならと私は娘の許可を取り、ちょっと遠くの公園まで三人で出かけた。
三人で草っぱらの公園で走り回ったり、シートを敷いてご飯を食べたりのんびりしたのである。
春哉は坂本さんのことを最初は警戒していたけれど、そのうちに一緒になってキャーキャーと追いかけっこもどきに興じていた。
彼は子供が好きな人なのかと思った。
私には大きくなったとはいえ四人の子供が居るので、子供が嫌いな人とは付き合えないと思っていた。
だからそれを見て安心したのである。
春哉を連れ出したことがきっかけで、娘に彼氏もどきの存在がばれてしまった。
「付き合っているの?」
と聞かれたけれど、その答えはノーだ。
私たちはまだお互いに世間で言う告白をしていないのだ。
なりゆきという流れに乗っているだけである。
でも私は彼を好きになりつつあった。
きっかけはたぶん手を繋いだことだ。
出かけた先で手を繋いだ。
まるで高校生が初めてのデートの時のように、恥ずかしくって嬉しかった。
久しぶりの大人の男の手の大きさと暖かさに心がときめいたのだ。
普段は小さい子供としか手を繋いでいないから。
大きな手とつなぐと自分が守られているように感じる。
小さな手とつなぐと自分が守らなければと思う。
そして、元夫の運命の恋人の意味を知った。
私たちは家族になりすぎて、慣れてしまったのだ。
子供が居るということは免罪符にはならないけれど、目の前に面倒を見なければならない存在が居るとき、夫と手を繋ぐよりも、子供と手を繋ぐことが多かったのだ。
私たちはたまには子供を忘れて二人の時間を取るべきであったのだ。
それが例え恋焦がれて結婚したのでなくても、夫婦としての時間を取ることが大事だったのだと今ならわかる。
いつの間にか夫婦が親になりお互いの名前を呼びあうことも無くなり、お父さんお母さんになり果ててしまった。
恋心という刺激を外に求めた元夫の気持ちがいまさらわかっても仕方ないけれど。
子供がおかーさん僕のことすきぃ?と聞かれて好きだよとかかわいいよとかいうのと同じように、元夫に愛しているとか好きだとか言うべきだったのだ。
それを言わなくなってどれくらいたっていたのだろうと反省する。
気が付いたときに手おくれはない。
今度は私が彼を捕まえに行く。
もちろん断られたらそれで諦める。
私は賭けに勝った。
坂本知大を手に入れた。
最初で最後の私の恋だから今度は手放さない。
ずっと好きだと可愛いと言って甘やかして、私から離れられないようにしたい。
でも、私は年上だから、もし他の人を好きになったと言ってきたら、頑張って諦める努力はするつもりだった。
なのに、うっかり妊娠してしまったので、知君は私から離れられなくなってしまった。
彼が切望していた子供を、私が齎した《もたらした》のだ。
私が年寄りになっても、子供が居る限り彼は私を見捨てることは無いと思う。
ごめんね、ずるい大人で。
でも、私は心からあなたを愛しているし可愛いと思っているから。
それで許してほしい。
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