第11話 運命の恋人 母になれなかった人

今、会社の中で話題になっているのは、私が以前婚約破棄をした男性だ。



大学のときに勉強を頑張って、ゼミの教授が推薦書を書いてくれたので、この大手の会社に入社できた。



大学のときに付き合っていた男は、就職先を中小企業を選び喧嘩別れをした。

将来結婚するためにはお金がいるって言ったのに。

自分がやりたい仕事をしたいとか言って、大手を受けなかったのだ。

私と仕事どっちが大事なのと聞いたところ、一生涯の仕事を選ぶに決まってるだろうと振られた。



なら、結婚相手は会社で見つければいいやと思っていたのに、腰かけ気分は一日で吹っ飛んだ。

入社式の後、オリエンテーションのためにバスに乗せられて、海沿いの宿舎に入った。

その後、座学で社会人としてのマナーとビジネスマナーを学んだ。

社内でのコンプライアンス、社歴や人事にかかわること、労務管理などの今考えればごく普通のことなんだけど、専門馬鹿という言葉通り、文学部で源氏物語を専攻していた私は、常識的なことはほとんど身についていなかったのだ。

その日からメモ片手に、わからないことを周りに聞いて歩いた。

座学の先生、私のメンター、営業にまとめられた私たちのチューターなど本当にいろいろな人に教えを乞うた。


オリエンテーションで飛び交う言葉がわからなかったのだ。

これがフランス語だのドイツ語だのだったら仕方ないと思うが、日本語なのに。

ようはビジネス用語なんだけど、何を言っているのかわからなかったのだ。

勉強が足らず、入社してからも周りの人に教えて貰って、同期の足を引っ張らないように一生懸命仕事を覚えた。




一年二年と経って、仕事にもプライベートにも余裕ができたころ、気が付けば周りの同期達はカップルになっていたり、他に恋人が居たりして飲みの誘いにも応じてくれなくなっていた。



やばい。

このままじゃお局街道一直線じゃんと思った。



それから、社内のイベントにはできるだけ顔を出した。

どこに誰が転がっているかわからないからだ。

その中に居たのが、営業のトップエース、坂本知大だった。


坂本さんは、私たちの間でとても人気のある人だった。

一つ年上なだけなのに、とにかく人当たりが良く仕事ができた。

剣道をやっていたというだけあって、姿勢が良くすらっとしてかなりのイケメンだったし、国立の旧帝大を出ているという話だった。


若手が集められたBBQで、坂本さんがエプロンをして焼肉奉行をしていた時。

背の高い坂本さんがデニムのエプロンを首から下げているのがすごくかわいくて、可愛いですねと私から声をかけたのが始まりだった。


そのうちに、坂本さんが出る飲みの席に私も呼んでもらえるようになり、帰りの駅で告白をしたら、付き合うことになった。



知大はどこへ行っても人目を引いた。

私はその隣を歩いているだけでも、自尊心が満たされた。

一年付き合ってプロポーズをされて、それを受け入れた。


知大のご両親は優しそうだったけれど、知大から言われたブライダルチェックについては何となく嫌な感じがした。

自分だけが受けるということが、妊娠できる体なのかと、問われているようだったのだ。

一人で行くのは怖いし、ならばと知大も一緒にと言った。



結果、私には問題がなく、知大は乏精子症と診断された。

普通自然妊娠をするときの三分の一ほどしか精子がないそうだ。

このことを両親に相談したら、不妊治療は女性が主体になる。

痛いのもきついのも男じゃなくて女だと、父が言った。

「もし不妊治療を行っていると聞けば、ほとんどの人は男性不妊ではなくお前が不妊症なんだと思う。

自分の娘が他人からそういう目で見られるのは耐えられない」


「お前は不妊で無いのだから、どうしてもその男じゃないとダメなのか?」

と聞かれたけれど、絶対彼じゃないと嫌だとは言えなかった。

子供のいない家庭が想像できなかったのだ。

ましてや、私の両親にとって娘は私一人で、兄はまだ結婚しておらず、これで子供が生まれないということになれば、両親に孫は抱かせてあげられないからだ。



その結果が婚約破棄だ。


父は披露宴代と同じくらいのお金を包んだという。


周りの人に付き合っていたのはわかっていたし、婚約の話もしていたから、結婚しなくなったことを、知大を狙っていた女性から嫌味たっぷりに言われたのでつい、私の所為じゃないって言ったことが独り歩きした。


知大は乏精子症だけれど、種無しなんかじゃないのに。

知大より成績の悪い営業達が、鬼の首を取ったように知大を誹謗した。


あれだけ明るくはつらつとしていた知大が日を増すごとに、うつろになっていくのを、何もできず遠くから見ることしかできなかった。


気が付けば知大を社内で見なくなっていた。


その姿を見なくなれば、おのずとうわさも下火になる。

一年を過ぎるころには私の婚約破棄の話題も誰も口にしなくなっていた。

その中で、私に声をかけてきた人がいた。

知大と違って営業成績もそれほどよくはないが、普通の人だったはずだ。

なのに。

「一度ケチが付いているんだし、俺でもいいだろ?」

はっきり言って殴ってやればよかったと思っている。


知大が男性不妊だったから結婚が無くなったのに、なぜ私の価値が下がるのかと私は憤った。


私が30歳の時に父からお見合いが持ち込まれた。

父の会社の男性で、知大ほどイケメンでもないし、稼ぎもいいわけでもない人だった。

この辺りが私にはお似合いだという事なのかと、その話を受けた。

父が持ち込んだ話だったので、ブライダルチェックの話は出なかった。



相手は私より5歳年上で、少々髪が薄くなり始めていたけれど仕方が無いと思った。


結婚生活は特に何も問題はなく、ただ普通に流れて行った。


その日々の中で、やっぱり子供の話が出た。


「君、不妊検査に行ってくれないか?」

ガツンと頭を殴られたと思った。


「行くならあなたじゃないかしら。私は前のときにきちんとブライダルチェックを受けているわ。なんならその時の結果も持っているし」



夫は黙り込んで突っ立っていた。


この男も自分には何の瑕疵もないと思っているのかと、怒りがわいてきた。

「大体ね、不妊検査なんて女性の方が痛いし辛いのよ。人に勧める前に自分が行って検査してくるくらいの気持ちはないの?」


迸る《ほとばしる》言葉は止まらない。


「わかってる?男の検査なんて出すだけなのよ?」


酷い言葉を投げつけているとわかっている。


結婚して五年。

妊娠の兆候なんてひとかけらもない。

今まで夫の両親や夫の兄弟に、子供はと聞かれてあいまいにごまかしていたけれど、とうとうごまかしきれなくなったんだろう。

元々私は婚約破棄の前歴があったから、良くは思われていなかったみたいだし。

でも、夫が望んだ結婚だったはず。

なのに、自分には問題ないと思っているところが腹立たしい。


夫は黙って家を出て行った。

行先は実家か。


あの時。

検査結果を二人で聞きに行ったとき、知大はどうだったか覚えていない。




その知大が育休を取ると話題なっていた。

育休。

つまりは子供が生まれるということだ。


色々聞いてみればかなり年上のバツイチで子供連れの女性だという。

子供が欲しいから子連れの人と結婚したの?


いや違う。

育休取るんだから、子供が生まれるんだ。

知大の子供が。


ブライダルチェックで乏精子症って診断されたじゃない。

だから私はあなたとの結婚をあきらめたのに、今更あなたは子供を持つの?


ずるいじゃない。


会社のロビーで見かけた知大は幸せそうな顔で帰っていくところだった。

声を掛けようとして、なんて声を掛ければいいのかと躊躇ったすきに知大はロビーを出て行った。







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