第3話 運命の恋人は

「運命の恋人は?」


 あれから10年がたち、長女は看護学校に行き看護師になった。

結婚もして子どもにも恵まれた。

長男はようやく大学を出て春から就職が決まっている。

どうも遠方が勤務地になりそうで、彼女から別れを迫られているらしい。

末の双子は無事に全寮制の高校に入り、青春を謳歌しているようだ。

ハリーポッターみたいだよと連絡が来た。

その費用に元夫は青息吐息らしいぞ。

なんせ一人でも月10万はかかるらしい。

それが二人分だ、せっかく減ったのにまた元の金額を払うってなんか可哀そうだなぁと思ったけどな。

まぁ。元夫が学費その他を出すことになっていたので、全寮制と言う提案が有った時に、自分の懐は痛まないので、頑張れとは言ったけどね。



 私は離婚後、親族に再婚を勧められるも、家付きこぶ付きなので不良債権しか来ないってどういうことなのかと大噴火した。

曰く、引きこもりの40代長男、家から出たくないっていうのになぜ結婚して私が引き取ることになるのかと、伯母に説教をした。

曰く、就職氷河期を乗り越えられずコンビニバイトの40代次男、専業主夫が希望ですって言いながら、洗濯機の使い方ひとつわかってない奴を、どうやって教育するのかと母方叔父にひざ詰め談判をして泣かせてやった。


まだ若いから色々教えてあげてという母の友達よ、若いからって言っても30代長男は若くはないと思うよ。

ましてや、魔法少女を愛している男はうちにはいらないのよ。

双子の片割れが、あれは危ない絶対にイヤって怒っていたぞ。




大体いつ私が再婚したいって言ったよと大声で叫びたい。

離婚したらすぐ次にと再婚しないと、将来孤独死よと言ったおばちゃん。

望むところだと言っておこう。

とりあえず家はある。ローンはない。地下鉄直行ではないが、地下鉄に乗り入れている私鉄沿線駅から500メートルはかなりの有効な財産だから、余計なおせっかい止めといて。

いざとなればこの家売って老人ホームに入るし。




 

一人になってからも、仕事は順調だ。

それに働き方改革とやらで、月当たり2日の有給休暇は必須となっている。

その有給休暇も孫の子守で潰れるがな。

今日も今日とて、ママは病院パパは海外とちびは私の元に預けられている。


「ハルちゃん、婆とお使いに行こうよ」

「いくー」

二歳児はかわいいわぁ。

上着をもって、エコバッグを持って財布をもって、二人で近所のスーパーまで買い物に行く。



ところで、レジ前の小物のお菓子は何とかならんかね?

「お菓子買って」

「今日は買わない」

「買って」

「今日は・か・わ・な・い」

「買ってよぉ」

「絶対にか・わ・な・い」

「買って買って買ってぇ」


ここで負けたら孫の言いなりと娘に怒られるし、晩御飯が食べきれなくなる。


「だから、買わない」

無理やり取り上げると床にひっくり返って泣き出す二歳児だ。

納得するまで付き合うぞ。なに時間はある。



今回は10分足らずで、納得できたようで、ようやくしぶしぶお菓子を手放した。


「次は買ってくれる?」

「いい子にしてたらね」

「この前いい子だったよ?」

「あの時は買ってあげたでしょ。でも今日は約束してないし、ママに聞いてもいないでしょ」



「ぷぷ」



後ろで笑い声がした。


振り返ったら、毎朝通勤の通り道で会う男性だった。

軽く頭を下げる。



「親子で仲が良いんですね」

「ママじゃないもん」

「私は親じゃありません」

「え?」

「ママもっとかわいいもん」

「ざーんねんでした。ママと婆はよく似ていると言われますぅ」

「ええ?」

春哉は不満げに口を尖らせた。


「私はおばあちゃんでこの子は娘の子どもです」


「ええ?お孫さん?」



なんでかちび連れて買い物に行くとよく言われる。

結構容赦しない言い合いになるからかな。



「お若いおばあちゃんですね」

「ありがとうございます」

若かないけどね。



ちびはようやくお菓子を手放したので、若い男性にかまっている暇はない。

さっさとレジを済ませて今夜の夕食の用意をせねばならぬ。



レジを通して、買ったものをエコバッグに入れて、店を出ようとしたら、眠くなったのかちびがぐずり出した。

「ハルちゃんおうちまで頑張って」


その時後ろから声をかけられた。


「近くまで一緒なんですから、先ほどのお詫びに荷物もちます」



詫びなんていらん、と言えたらいいんだけど、ぐずる2歳児は重いから、荷物を持ってもらう事は天の助けに等しい。

「え?良いんですか?悪いわぁ」

とにっこりとエコバッグを差し出した。


それから春哉を抱き上げた。


隣を歩く男性が言う。

「毎朝駅までご一緒してますよね。坂本と言います。年は36歳で普通のサラリーマンです」

「私は小野と申します。この子は娘の子どもで春哉と言います。今二歳です」

他愛のない話をして、家まで送ってもらった。



春哉はずっと寝ていたので、そのままベビーベッドに入れた。



夕方になってようやく目が覚めたようなので、一緒にお風呂に入って晩御飯を食べてしばらく遊んだらまた寝た。

よく寝る子供は好きだ。




今日は娘が日勤夜勤なので夜中の12時過ぎに帰ってきた。

旦那が海外出張中は、いつも実家で居候だ。

実子とは親に甘えるものなのだろうか?

あ、私も離婚のときに父親の知人が弁護士だったなと笑う。


夜中に食事をしながら今日の春哉の話をしていると娘が言う。

「お母さん、見も知らない人に家まで送ってもらうって危なくない?」

「うーん、そんな人には見えなかったけどなぁ、結構イケメンだったし」

「一見普通の人が危ないんだと思うわよ」

何かあっても50になる婆が一人だし特に問題はないだろうと思うぞ。

それに、養育費も慰謝料として分捕った分も、子供達の進学費用に消えてしまったし、うちに余分なお金はない。


これで何かあったら、ネットに流してみたいもんだと笑った。

三日後、娘婿が帰ってきたので、娘と春哉はマンションに帰って行った。






朝の駅のホームは人でいっぱいだった。

私の後ろで叫び声が上がった。

驚いて振り返ったら、あの坂本さんが屈んでいた。

思わず駆け寄り声をかけた。


「大丈夫ですか?どうかしましたか?」

「急に腹痛がして、吐きそうです」

「立てますか?」

「ちょっと無理みたいです」



そこに駅員が寄ってきて私たちに言う。

「急病ですか?救急車呼びますか?」

坂本さんが、少し考えて

「申し訳ないのですが、救急車を呼んでいただけますか」

と言った。

どうやら頭痛腹痛で立てないらしい。


駅員が二人、坂本さんの両側を支えてエレベーターで降りて行った。

私は自分のバッグと坂本さんの荷物をもって慌てて階段を駆け下りた。



坂本さんは駅事務室で、長椅子に横になって体をくの字に曲げて呻いていた。


私はバッグの中のまだ封を切っていなかったペットボトルのお水のキャップを緩めて、坂本さんに差し出した。

「お水飲めますか?」

坂本さんは体を少し持ち上げて、差し出したお水を少し飲んだ。



そこへ救急車が到着して、救急隊員と少し話をした後、ストレッチャーに乗せられて救急車の中に入って行った。

隊員の人が私に向かって言う。

「お知り合いの方ですか?同乗できますか?」


会社は既に遅刻だ。

こうなりゃ乗り掛かった舟と言うではないか。


「私が一緒に行きます」

駅員もお願いしますと言って送り出されてしまった。



私は駅で知人の具合が悪くなって一緒に病院に行くので今日休めるかどうか、会社にお伺いのメールを出した。

次長はすぐに返事をくれてとりあえず半休をくれた。

もしずっと付き添いが必要なら全休にすると言ってくれたので昼前に連絡すると伝えた。



救急車はこの辺りの指定病院に入った。


ERの入り口にいたのは娘だ。

「え?病人ってお母さん?」

「違うわよ、この間話した人なんだけど、駅のホームで具合が悪くなってしまって、結局一緒に来たの」

坂本さんはストレッチャーで運ばれていった。

娘はたまたまER横のナースセンターに用事があってきていたところだったらしい。

お前泌尿器科の看護師だもんな。





なんやかんやの検査の結果、坂本さんは盲腸らしいので手術が必要だと言われた。

私は家族ではないので、同意書のサインはできないから、家族を呼んでほしいと言った。

坂本さんのご実家は新幹線で一時間ほどのところだそうで、家族が来るまで付き添っていて欲しいと病院で言われた。

結局私は一日休むことにして、坂本さんのお母さんが来られるまで付き添うことになった。




酷い痛みの中で、何度も申し訳ないと言って居たが、処方された痛み止めの所為かしばらくして寝息が聞こえた。

無防備に寝ている姿が可愛いなあと思った。

男の人をかわいいなんて思うのも久しぶりだ。



看護師が渡してくれたタオルを濡らして、汗が出ていた額をぬぐう。

あぁ、まだ髪の毛あるんだぁと思ったのは前夫の所為か。




昼過ぎに坂本さんのお母さんがやってきた。

経過を説明して、看護師に繋ぎを取り、私はその場から辞した。



盲腸かぁ。

手術前に下の毛剃るんだよねぇと笑った。

うちの娘がやるのかな。





坂本さんの手術はうまくいって、お母さんは三日後には帰って行った。

私は退院までの間に二回お見舞いに訪れた。



坂本さんは退院したら、お礼にお食事でもいかがですかと私に言った。





坂本さんの家と私の家は通りを挟んで向こう側とこっち側だった。

何度か誘われたけれど、本当に仕事の都合がつかず結局一緒に食事をしたのは退院して一カ月もたったころだった。



「手術どうでした?」

「局部麻酔って聞かされていましたけれど、手術中に気が付いちゃって、縫合の糸が違うって看護師さんが怒られている時で、どうしようと思いました」

「え?そうなんですか?」

「ええ、この糸は太いとか何番を寄こせとか、結構ちゃんと覚えている物ですね」

「私は手術の経験がないのでよくわからないのですけれど、そういうものなのでしょうか?」

「僕も初めての経験なのでよくわかりません」

「初めてと言えば、術前処置しました?」

「術前処置?」

「盲腸の手術のときって、下半身の毛をすべて剃ったって高校のとき友達が言っていました。

それで夏休みのプールのときにタイムが縮んだとか言ってました」

「はい、剃りました。今はチクチクし始めていますけど」

「そうなんですか。見てみたかったなぁ」

「え?」

「いえ、坂本さんのブツを見たいってわけじゃなくてうちの子供が手術する時はみたいなぁと思って」

坂本さんはお腹を抱えて笑い始めた。

「あまり笑わせないでください、治ったと言ってもまだ引き攣れて痛いです」

「そういえばその友達も、入院した時にみんなでお見舞いに行って笑ったら痛いって泣いていました」



私の一言が二人の垣根を取ったようで一気に親しみを感じて、仲良くご飯を食べた。

また行きましょうとラインを交換して、また私の家まで送ってくれた。



月に一回のご飯が、月二回になり、毎週末一緒に出掛けるようになるまで半年もかからなかった。



映画に行ったり、水族館に行ったり、話題のフラワーパークに行ったりしたのに、なぜか肉体的な接触は手をつなぐだけだった。

キスくらいしてくれてもいいのに。


もちろん、私からも坂本さんからも好きだとか付き合って欲しいとかの意思表示はなかったけれど、この状況ではすでに交際真っ最中ではないか。



これは私がバツイチのばあちゃんだから、恋愛範囲外なのだろうかと思っていた。




ちょっと車で遠出をした帰りに渋滞に巻き込まれて、普通の恋人同士ならホテルにお泊りだろうという時間になってしまった。


いつまでもだらだらするのは性に合わないので、意思表示をしてみようと思う。




コンビニで車を止めてもらった。

「あのね、私あなたを押し倒したいと思っているのだけれど、年上すぎて迷惑かしら?」

坂本知大は固まった。

「別に千早さんが年上だからってわけじゃなくて、僕には重大な欠陥があってそれを言っておかないとと思っていて」

「つまり?」

「僕は男性不妊なんだ」

絞り出すように小さな声で知大さんは言った。

「それは不能とかEDとかってこと?」

「いや、勃つよ。セックスはできると思う。でも乏精子症なんだけど、精子の数が少ないというか妊娠させる能力がほとんどないから、顕微授精とかでも子供が持てない可能性がある」

「あのね、私今更子供が欲しいわけでもないのよ?もちろんあなたの子供を産めたらとは思うけれど、実際もうすぐ50歳だし、子供なら四人もいるし孫もいるから赤ちゃんに不自由はしてないのよ」


知大は黙って聞いている。


運転席に座る知大の太ももに手を置き、少し顔を傾げて言った。

「女にも性欲はあってね、好きな男とセックスしたいと思うのよ」


「それって僕のことが好きってこと?」

「ええ、だから泊まらない?あそこに」

私は通称ラブホテルと言われる場所を指さした。



それから駐車場を使わせてくれたコンビニに敬意を表して、いくつか必要なものとか飲み物とかを買ってラブホテルに入った。






どうだったかって?

最高だったわよ。

私は、子供達に知大を紹介して再婚も視野に入れていると話し、まずは一緒に暮らすことから始めることにした。



もしかしたら、上手く行かないかもしれないし、前とは違って上手く行くかもしれない。

それはやってみないとわからないし、私には子供たちが居るから熱に浮かされてよしいけーとはならないのよ。


もし運命の恋人なら上手くいくかもしれないしさ。


とりあえず私が再婚まで行きつけると良いんだけどね。



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