第49話 そのことのためだったら、僕は幾らでも強くなれる。

「探してます」

「ふうん。何か、君、変わった格好ね」


 女性はそう言いながら、DBにゆっくりと近づいていく。何だろう、と彼は思う。

 街灯の下に来た時、あれ、と彼は思った。

 結構美人さんだ。ゆるくウエーブのかかった茶髪を後ろで一つに束ねて、あっさりとした格好だけど。


「変でしょう?」

「ええ、変ね。何かのパーティでもあったの?」


 さっきの少女達と同じことを聞く、と彼はくす、と笑う。


「悪いパーティが、あったんですよ」

「そう。それは可哀想に」

「それは別にいいんですよ。僕が勝手に行ったんだから、こうゆう格好になっても、それは僕の責任だし……」

「でもひどい格好よ。それに、どう見ても、あなた誰かにいたずらされてるじゃない」

「それはそうですけど」


 どうして初対面のひとに、こんなこと言ってるんだろう、と彼は思う。そもそも何でこの女性は、そんなことを聞くのだろう。


「ライヴハウスを探してるんです」

「ライヴハウス? でももうこんな時間よ」


 彼女はくい、と幾つか折ったシャツの下の腕を見せる。もう夜よりは、朝の方が近い時間帯かもしれない。二時間もすれば、夜が明けてしまうだろう。


「それでも、行かなくちゃ」

「行って、誰かが待ってるの?」

「判らない。だけど、僕は行かなくちゃいけない、と思ったから」


 ふうん、と女性はうなづいた。表情は特に変わる様子は無い。


「だったら、君、ずいぶん道を間違えてるわよ」

「え」

「近くまで行くの。一緒にどう?」


 よろこんで、と彼は大きくうなづいた。女性は大股に歩き出した。


「それにしても、本当にひどいパーティだったんじゃない? 私だったら、その格好だったら帰るの嫌よ」

「でも、大事な用事だったから」

「大事な用事だって、その格好じゃ、と思われるかもしれないでしょう?」

「そうかもしれない」


 彼はうなづく。だいたいライヴハウスに行ったところで、誰が待っているという保証があるのだろう。


「だけど、大事なひとに、約束したことだし」

「そのひとが待ってるの?」

「大事なひとのために、約束したひとが、そこの名を出したから。……僕は今、電車代の一つも持っていないから、とりあえずそこに行こうと思ったんだ。歩いて行ける距離だろうから」

「迎えを呼ぼう、とは思わなかったの? そのひどい格好じゃ」

「だってこれは僕の問題だったから」


 それで結局周囲に迷惑はかけてしまったけれど。


「何の問題だか判らないけれど、問題ってのは、解決しなくちゃあいけないものではないの?」


 女性は、並んで歩く彼の方を特に見ることはしない。半ば興味無さげに、聞くとも聞かないともつかない態度のまま問いかける。


「そうなんだ」


 彼もまた、女性の方は向かない。まっすぐ、前を向いたまま答える。


「もっと早く、僕は僕の問題を、解決しておくべきだったんだ」

「だったらもっと早く、すれば良かったんじゃあなくて?」

「でも、気付くのってのは、唐突だったから」

「言い訳ね」

「そうだよ、言い訳なんだ。ある日いきなり、それに気付いた、なんてのは、自分以外には言い訳だよ」


 頭では判っていた。

 だけどそうしなくてはならない――― そう動こう、という思いに達するのは別だ。そこには勇気が必要なのだ。意識的にせよ、無意識にせよ。


「気付いたの?」

「うん」

「それは良かった。それはじゃあ、君の大事なひとのため?」

「大事なひとと―――」


 P子さんの姿がふっと思い起こされる。だが、それだけではない。

 P子さん自身、ではなく、P子さんと過ごす自分、もその情景の中には存在していた。


「そのひとじゃないよ。僕が、そのひとと心地よく居られること、そのことのためなんだ」

「それは君のエゴじゃあないの? 自分勝手」

「かもしれない」


 否定はしない。


「でも、そのことのためだったら、僕は幾らでも強くなれる、と思うんだ」

「そう」


 軽く、女性は言った。


「だったら、そうなれたらいいわね」

「ええ」


 彼は大きくうなづいた。やがて大きな歩道橋が、彼らの目の前に現れた。


「私にも昔、そう思えるひとが居たわ」

「え」


 通りすがりだというのに、いきなり何を。しかし自分もよく考えてみたら、通りすがりの人だというのに、結構突っ込んだ話をしてしまっている。

 だが具体的な内容ではないから、逆に通りすがりに聞かせてしまいたい時があるのもしれない。女性は、階段を上りながら続けた。


「だけど、そうしたい自分が居ることに気付かないまま、そのひととはもう会えなくなってしまったのよ」

「え……」


 会えないって。


「昔の話。だから私は、今私の周りに居る大事な人達には、できるだけ幸せで居てほしい、って思うのよ」

「幸せに」

「そう、幸せに。私が彼女達を私のエゴに巻き込んでしまっている以上、それ以外の部分に関しては、できる限り、暖かくて、痛みの無い、幸せで居て欲しいって思うのよ」


 彼はどうそれに答えていいものか、迷った。


 やがて階段の最後の一歩を登り切る。

 案外広い歩道橋には、夜明かしするのだろうか、通りの向こう側のコンビニで食料や飲み物を調達し、座り込んで居る少年少女が居た。

 ライヴ帰りなのだろうか、とDBは思った。

 と、ふとその少女の一人が、奇妙な顔をしてこちらを見ているのに彼は気付いた。

 当初はその原因が自分なのだろうか、と彼は思った。

 だが、どうもその視線の向きが、態度が、先ほどまでに自分がすれ違った人々と違うような気がする。

 首を傾げ、眠りかかっている相棒を肘でつつき、不思議そうな顔をし。

 それが一度ならいい。

 だが、一人は焼きそばを口にしながら顔を上げた。

 一人はバニラ・シェイクの太いストローから思わず口を離した。目を丸くした。ええ? と小さく叫んでいた。

 何だろう。彼はそれでも女性がどんどん歩いて行くので、速度を緩める訳にはいかない。

 階段を降りる。あそこだ、と女性は既に灯りの消えた設置灯を示す。


「あそこの地下が、君の言う、ライヴハウス」

「地下」

「そう、地下。昔からあって、かび臭くて、昔は演芸場で、壁にポスターがべたべたと貼ってある、ライヴハウス」

「え」


 ふっ、と女性は笑った。このひとは。

 ポケットから女性は、携帯を出し、片手で器用に操作する。


「……ああ桜野サクラノ? そう。今、前」


 じゃ、と彼女がスイッチを切るか切らないか、というところで、中の階段がどたどたと音を立てた。

 地下へ続く階段から、大柄な女が駆け上がって来た。金髪だった。いつの時代にも流行の主流には決してならないような長髪の。


「早いじゃない、桜野」

「……待ってろって言うから、待ってたんですよ。―――HISAKAさん」


 は。


 DBは息を呑んだ。このひとが、HISAKA。PH7のリーダーで、ドラマーで、……


「初めましてDB君。そして、これからよろしく」


 よろしくお願いします、と彼が頭を下げるまで、たっぷり一分はかかっただろう。

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