最終話 大公妃ミエ
「声。はい声です。拡声器入ってます? あー、あー、ただいまマイクのテスト中。ただいまマイクのテスト中ですー。みなさーん、聞こえますかー?」
樹上から響く女性の声に中央通りに広場の群衆たちから笑いが漏れる。
こんな喋り方をする為政者はこの街に一人しかいない。
クラスク大公の第一公妃、大公妃ミエである。
「ところでマイクってなんだ?」
「さあ?」
まあ拡声器はあってもまだマイクは存在していないため、ミエの言っているその単語は完全に意味不明なのだが、聞いている者はあまり気にしない。
ミエ様はそういうものだ、という常識と信頼がすっかり街の住人に浸透してしまっているからだ。
「というわけで旦那様……じゃなかった大公閣下。お言葉をどぞー」
群衆から漏れる苦笑。
けれどそれは決して相手に呆れたり軽蔑したりといった類のものではない。
どちらかと言えばその親しみやすさに対し好意的なものを覚える者が殆どのようだ。
それはまあ街の為政者が峻厳で厳格な人物よりは愛らしく親しみやすい人物の方がいいに決まっている。
それで街の運営がしっかりしていて住民たちがその恩恵にあずかれるのなら言うことはないではないか。
そしてクラスク市はそうした条件をどこよりも満たしていると言えるだろう。
「アー、大公クラスクダ」
クラスクの声が拡声器越しに街中に響き渡り、樹下の者達がどっと沸く。
中央広場に集まらず、各地の屋台で商売に精を出している者達も完成を以てそれに応えた。
この
その偉業を為した人物が一体誰なのかを彼らは知っているからだ。
「言イタイコトあっタ。デモちょっト考え中。ミエ、その間何か話繋イデ欲シイ」
「いきなり無茶ぶりなんですけどー!?」
頭上から響き渡るコントに街中がどっと笑いに包まれる。
この緩さと住民たちとの距離の近さもまたこの街の為政者たちが愛される所以であろう。
「やれやれ。まあ仕方あるまい。演説してやれ大公妃姉様」
「ミエ様なら大丈夫でふ!」
「はい。ミエ様の演説皆楽しみにしておりますね」
「エィレ一言一句聞き漏らさないようにします!」
「もーみんなまでー!」
クラスクの妃たち…一部違う者もいるが…皆今日は珍しく美しいドレスに身を包んでおり、そんな彼女らに背を押され、ミエはバルコニーの一番前へと押しやられる。
よく見るとネッカの腹が少し膨らんでいるようだ。
食べ過ぎ…とも思えない。
とすると妊娠しているのだろうか。
「ええー…えっと、皆さんこんにちわー。クラスク大公閣下…でいいんですよね? 合ってます? の妃、ミエですー」
うおおおおおおおおおおお、と群衆のボルテージが一気に上がり、ミエが驚きびくりと身を竦ませた。
クラスクに負けず劣らずの盛り上がりようである。
まあそれはそうだろう。
なにせ彼女はある意味クラスクより有名人なのだから。
「ミエ様…」
「ミエ様だ」
「聖母ミエ様……」
「聖女様も後ろに控えておられる」
「ありがたや」
「ありがたや」
「なんか皆さん反応おかしくないですかー!?」
ミエのツッコミが飛ぶがこれは致し方ない。
なにせこの地方では今やすっかりある常識が定着してしまった。
不幸にも魔族に相まみえてしまった時、ミエ様の名を唱え祈りを捧げると魔族が怯えて逃げ出す、というのである。
これに関しては様々な調査の結果、紛れもなく真実であるということを教会が保証した。
そしてその祈りを捧げる対象たる『ミエ様』が、クラスク市の太守夫人(当時)その人であるということを、魔導学院が証明した。
つまりこの街の太守夫人を魔族どもが怖れ怯えているということを、もはやこの地方の誰もが知っているのである。
理由はわからない。
だが魔族が邪悪な存在であり、自分達
その相手から恐れられている以上、その女性はきっと偉大な人物に違いない…とまあ、そんな噂がすっかり広まってしまっていたのである。
「えーっとぉ……なんなすごい盛り上がってますけど、別にそんな大したこと言えませんよー? メモとかも用意してないですしー」
ざわめく人の群れを見下ろしながら、ミエは少し困ったように微笑んだ。
想像以上の過熱っぷりに少し困惑しているようにも見える。
「ここから見下ろすと、この街がすっごくおっきくなったのがわかります。街の端っこの方とか、もうあんなに遠く!」
ミエが指さした先は街の西の端だ。
西大外大門がその指の先にある。
まあ今はそのあたりの作物の多くが商品作物に変わっていたけれど。
「はじめここには小さな村しかありませんでした。あの頃を考えれば隔世の感がありますねー。まあ言うほど時間経ってないんですけど」
ミエの言葉を聞きながら、子連れの女性が目を細めている。
クラスク市がこの地に誕生した、その時からずっと村と共にあったかつての棄民の娘、ラルゥである。
その腹は膨らんでおり、新たな子を宿しているらしい。
隣で彼女と視線をかわしたオークは彼女の夫、ドゥキフコヴ。
かつての若々しく向こう見ずな様子とはだいぶ趣が変わり、大人の落ち着きを感じさせる。
「街がおっきくなるのはいいことだと思います。規模が大きくなれば予算も増えますし、予算が増えればより大きなことに使えますからねー」
ミエの背後、その壁際にいた
アーリンツ商会の大店主、アーリンツ・スフォラボルである。
かつて川辺に捨てられていたという彼女は、今やこの地方では知らぬ者なき押しも押されぬ大商店の店長となっていた。
「でも……街が大きくなればなるほど、逆に困ることもあります」
そう言いながら、ミエは眼下の人々に目を向けた。
彼女と視線が合った男たちが自分を見たいや自分だと盛り上がる。
「……お互いが、見知らぬ人となることです」
だが……ミエが続けたその言葉に、群衆は少し虚を突かれた。
祭りの席で語る言葉としては些か奇異なものだと感じたからだ。
「村ができたばかりの頃、わたしは住民全員の顔と名前を知っていました。覚えていました。でも今はもうわかりません。街が大きくなりすぎて、人が増え過ぎたからです」
己の胸に手を当てて、ミエは話を続ける。
「皆さんはあまり困らないかもしれません。日々働いて、家族を養うことに必死なら、もし知らない人がたくさんいても気にならないかもしれません。もちろんそれは治安さえよければ、という前提の話ですが。でも……街を治める私たちからすると、少し困ります。目が行き届かなくなるからです」
ミエは眼下に広がる広い街に目を向けながら、そう告げた。
「人が増えれば、それだけいろんな好みがあることでしょう。種族が増えれば、それだけ多くの譲れないものもあるでしょう。この街にはたくさんの方が、たくさんの種族が集まっていますから。でも……領主が敷いた法でそのすべてを掬うことはできません。どうしても目の届かないところ、手の届かないところが出てきてしまいます」
全員に無理にでも目を向けようと法の目を細かくすれば、規則でがんじがらめになって不満が出るし運用する側の負担が増え過ぎる。
かといって法の目を粗くすれば法によって救えない、手を差し伸べられない者がたくさんできてしまう。
そしてそうした問題は、人口が増えれば増えるほど顕著になってゆく。
「だからわたしは皆さんに期待します。困っている人がいたら、迷っている人がいたら、それが街の人でも、旅の人でも、たとえどんな種族でも、それに目を向ける人に、手を差しのべられる人になって欲しいと」
それはミエにとっての当たり前。
そして同時に彼女の信念でもあった。
「別に無理をしてまでやらなくたっていいんです。自分を捨ててまで他の誰かを助ける必要なんてありません。でも食べものがなくて困ってる人に、炊き出しをしている教会の場所を教えてあげることなら、案内してあげることならできるはず。他人のためだなんて思わなくったっていいんです。自分のため。そうした優しさを自分が、そして他の人が持てるなら、いざ自分が困った時に他の誰かに助けてもらえる、そんな打算でいいんです」
いつの間にか、群衆は静まり返っていた。
樹上から語るこの街の大公妃に、この街の為政者の言葉に、耳を傾けていた。
「打算か……よう言いよる。当人はそんなこと欠片も思っておらんじゃろうに」
「ま、あいつの場合うはどう考えても素だよなあ」
「おー……誰かに優しくするのいいこと」
樹上の壁際、アーリの隣で、いつもの如く…もといかつての如くシャミルとゲルダとサフィナが語る。
全員多忙につきなかなかこうして集まる機会が取れないからだ。
「そうではない。こころもちの話じゃ」
「おー…むずかしいことよくわからない。でも…」
「でもなんじゃ」
「シャミルおめかし。よく似合ってる」
「いやそこは別に関係ないじゃろ!?」
「確かになー。リーパグの奴が喜ぶんじゃねえか?」
「やつは別に関係ないじゃろ?!」
「おー…おおいにかんけいある」
「あるだろ」
三人が三人とも今日は奇麗にめかし込んで、特にゲルダなど数年前の自分自身に見せたらきっと指を差して笑いこけたに違いない。
いや別に似合っていないというわけではなく、信じられぬほどに女性的になったという意味で。
「ゲルダも似合ってる…」
「あー…そいつはどーも」
「確かに。ラオクィクの奴が喜びそうじゃの」
「……………………」
「悦ばせたのか」
先程の逆襲とばかりにシャミルが皮肉を述べたが、ゲルダの微妙な反応から己の言葉が皮肉でも何でもなかった事を悟りジト目でツッコミを入れた。
「仕方ねーだろオークなんだから!」
「これ大きい声を出すでない。下に響くではないか!」
小声で言い合うシャミルとゲルダ。
その横で……エルフづくりの自慢のおべべのスカートのすそを摘まみ少し持ち上げながら、サフィナがやや憮然とした表情で唇を尖らせている。
なぜワッフーは自分にはそうしたことをしてくれないのかと御不満の体なのだ。
そんな背後のいつものやり取りをよそに、ミエはさらに言葉を続けた、
「自分の事以外に目を向けるのは難しいことだと思います。だってそれは心に余裕がないとできないことですから。だから皆さんは心に余裕を持てるような人になってほしいです。ただ……」
ミエは、そこで手を横に延ばした。
そして背後にいるこの街の為政者たちを指し示す。
「心の余裕は生活の余裕がないと生まれません。そして生活の余裕を作り出すのは……私たちの役割です。皆さん、私たちと一緒に、心に余裕のある街を目指しませんか?」
ミエの言葉が途切れ、しばしの静寂が残った。
そしてその後に、これまで以上の大きな大きな歓声が街を覆った。
大きな声だった。
「…ナンカイイコト全部言われタ気がすル。俺の言イタイ事大体そんな感ジ」
「ちょっと旦那様それずるくないですかー!?」
横からのそりと現れて言葉を継いだクラスクに、ミエが素で突っ込む。
その日幾度目かの、どっとした笑いに街が包まれた。
「ミエイイコト言っタ! これ以上偉イ奴ノ退屈ナ話抜きダ! サア! 祭りを楽シムトイイ!!」
クラスクの大音声が街中の拡声器から響き渡り……
街中のものが大歓声を以てそれに応えた。
赤竜祭の、はじまりである。
× × ×
地上のオーク族は、やがて衰退するはずの種族であった。
この時代まで大きな勢力を誇っていた彼らは、けれどやがて他の
その結果彼らは大集団を維持できなくなって、平地を追われ、山中や洞窟などに数人から十数人で隠れ住み、小集団で旅人を襲っては略奪する山賊まがいの生活をするようになってゆく。
新米の冒険者などが依頼を受けて退治するのにちょうど手ごろな、いわゆる雑魚モンスターのような存在に堕してゆく。
そのはずだった。
けれどその運命は覆された。
異世界よりやってきたミエがオーク族の風習を知らず、オーク族の若者の妻女となったと誤解してしまったから。
自分の生活環境を守るため、整えるため、オーク族の習俗を、常識を、価値観を変え、互いの言語を学び学ばせ、村を造り街を発展させ他種族との友好すら結び、遂には彼女の夫たるそのオークを領主にまで上り詰めさせた。
そう、彼女は変えた。
オークという種の命運を変えてのけた。
かつて彼女をこの世界に送った、神の使いを名乗っていた男は、彼女を『運命改変者』と呼んでいた。
微量ながらに世界の運命を変え得る力を持つ者だと。
そして発展途上の世界でその力を用い、何かの変容を遂げてくれと、世界に刺激を与えてくれと彼女に依頼した。
そしてそれは為された。
衰退し滅びゆく種族であるはずだった地表のオーク族を、彼女はこの世界の
運命を改変したというのなら、種の存亡とその行く末を変えるほど大規模な改変などそうそうできることではないだろう。
そう、ミエは、成し遂げたのである。
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