第935話 世界樹城より

人が集まる。

人が中央噴水のあたりに集まる。


今やトロルの彫刻家が作ったと誰もが知っている女神像の周囲にたくさんの人が群れ集まっていた。


周囲は大混雑、大渋滞である。

祭りの警備に当たっている衛兵達が交通整理をして隊商の馬車を迂回させているけれど、それでも途中で途中で立ち往生してしまう馬車がいくつか出てしまう始末である。


彼らが見上げているのは樹。

巨大な樹木。

エルフ族以外の種族が目にするのはおそらくこの街が初めてであろうという世界樹ンクグシレムが、街の中央にそびえている。


だがよくよく見るとそれは単なる巨木ではない。

遠目でじっくりと目を凝らすとあちこちに人工的な形状の穴が開いているのがわかる。


窓である。

世界樹ンクグシレムに窓がついているのだ。


そう、これは単なる樹木ではない。

この世界樹ンクグシレムの成立にはその土台としてクラスク市の居館が使われている。

そして世界樹ンクグシレムが誕生する際、その枝葉は内側の城を締め潰したりもしていない。


つまりこの巨木の内にはかつての城がそのまま残っているのである。


さらにこの世界樹ンクグシレムはサフィナやミエなど、数名の者のを聞く。

それによりその形状を自在に変えてくれる。


となると本来の城の上部に生えた巨大な樹幹部分もまた、その内側を自由に成形できるということだ。


まあ実際には樹木である以上その生長に必要な部分を消したりどかしたりと言った事はできず、自由自在とまではいかないけれど、それでもクラスク市の空を覆わんとするその巨大な樹の内側には、元の城のさらに上部に樹の階段と樹の部屋が数十と作られて、以前より遥かに巨大な樹木の城と化していた。



まさに世界樹城ティルクマンクグシレムと呼ぶに相応しい威容となっていたのである。



「これよりー、大公クラスク様とー、大公妃様のー、御挨拶がー、ありますー! 清聴するようにー!」


衛兵が拡声器…街の各所に建てらえているものを携帯用に改造したものだ…を手に大声で触れて回る。

大きくざわついた群衆は、徐々に徐々に鎮まっていった。


静寂の中皆が見上げる巨大な樹木……

その上層の一部が大きく開き、前にせり出してゆく。

ちょうどバルコニーのような形状である。



そしてそこに……この街の、この地の支配者が立っていた。



「おお、クラスク様だ…」

「クラスク大公様…」

「大公様……!」


人々が小声で囁き、小さなざわめきが広がってゆく。


クラスク大公。

これが今の彼の呼称であり、そして辿り着いた地位であった。


クラスク市がアルザス王国と和議を為したと前述したけれど、その結末がこれである。


クラスク市は正式にアルザス王国に降った。

つまり現在のクラスク市は『アルザス王国クラスク市』である。


あれだけの優位を構築しておいてなぜこうべを垂れるのかと揶揄する輩もいた。

けれどこれこそが軍事顧問たるキャスと相談のうえ、クラスクとミエが最初期から思い描いていた絵図だったのだ。


クラスク市を独立国家にするには危険が伴う。

南部からバクラダが攻めてきた時、クラスク市は籠城する事で持ちこたえる事はできてもそれに勝利し得ない。

兵力に差があり過ぎるためだ。


またアルザス王国とたもとを分かてば当然アルザス王国の正規軍と事を構える可能性も出てくる。

そうなったときクラスク市は頼れる大きな軍事力を持たぬ。


西部の多島丘陵エルグファヴォレジファートの国々は竜宝外交によりその大方がクラスク市に協力的になってくれているけれど、彼らは政治力に於いては非常に強力な援軍である一方、軍事力という点に於いては些か心許ない。

国の規模が小さすぎて捻出できる兵数に限りがあるためだ。


これが国際会議ともなれば話は別である。

国際会議に於いて一国が選出できる代表は一人だけ。

そして会議の議決は他国の魔印を複数所持する『有印者』の多数決によって行う。


こうした時クラスク市は強い。

多島丘陵エルグファヴォレジファートの小王国軍の多くの議決権を期待できるからだ。


けれどそうした外交政策を無視して強硬路線を取られると、クラスク市が動員できる兵力はさほど多くはない。

バクラダ王国と事を構えるにしてもアルザス王国と事を構えるにしても、圧倒的な兵力の差が出てきてしまうのである。


これに関してはクラスク市自らが首を絞めた側面もある。

クラスク市北方のドルムは冒険者の多くが契約を終え街を離れたとはいえ未だアルザス王国随一の軍事力を誇っている都市だ。


これまでは魔族に睨みを利かせねばならぬ関係でクラスク市の方に目を向ける余裕がなかった。

それに加えて両者の中間に赤竜の縄張りがあったこともあり、クラスク市は赤竜を盾にして主に北方面に開拓地を広げていった面もあった。


けれどその赤竜はクラスクによって討伐され、そして魔族どももまたクラスクが高位魔族を打ち倒すという偉業によって四散し、北の軍事的緊張はなくなった。


それはつまり、魔族と伍して渡り合える武力を有する防衛都市ドルムが、南方に位置するクラスク市に目を向ける余裕ができた、ということでもある。

皮肉にもクラスクの大活躍によって両都市の間を隔てる二重の壁が消え失せてしまったのだ。


まあもちろんそのあたりを懸念して両都市の間にエルフ達の集落たる『横森ウークプ・ウーグ』を再生させたりもしたけれど、いずれにせよ大軍を率いての戦争を仕掛けられたらクラスク市が不利な事には変わらない。


バクラダ王国だけではなく、アルザス王国からの討伐も可能性として十分あり得るようになってしまったのである。


となるとアルザス王国とバクラダ王国、そのいずれとも敵対したままというのはいささかよろしくない。

いずれか一方の傘下に入り、もう片方から攻められた時庇護を求められるようにしておく必要がある。


それならどちらにつくべきか…となった時、クラスク市は迷いなくアルザス王国を選んだ。

そもそもアルザス王国の国土に勝手に村を造り街を造り理屈をこねて開拓してきたのである。

降るならアルザス王国であろうとは最初から決めていたのだ。


ただ安売りはできぬ。

一番最初、この地にクラスク村を造らんとした時キャスと相談していたこと。


アルザス王国との関係の

下手に恭順するだけでは足元を見られ支配権からなにからなにまで奪われてしまうだろう。


オーク族、そしてそれ以外の多くの人型生物フェインミューブたち、それに加えて今やそれ以外の種族達の自治、そして自衛。

それらを守るためには、できるだけこちら側に有利な状況を造り出し、自分達を高く売りつけねばならぬ。



その結果が……これである。



広範な領地。

広大にて豊かな穀倉地帯。

書物、新聞や雑誌などの情報媒体。

塩・砂糖・香辛料・蜂蜜・化粧品などの嗜好品の数々。


この地に流浪した棄民を助け。

荒れた街道を整備して村を造り。

砦を築き地底の者どもの襲来を防いで。

休眠より目覚めた古き赤竜の災禍を咎め。

かの強欲者が掻き集めた国々の宝を無償で返還し。

遂には魔王に次ぐとすら言われた高位の魔族すら討ち滅ぼした。


その功績。

その偉業。


それを安く買い叩くなどできようはずもない。

人類史に於いてすら稀に見る英雄的行為と言っても過言ではないだろう。


しかもその種族がまた異様である。

その太守はこの地に於いてほんの数年前まで恐怖と唾棄の対象でしかなかった種族。

あらゆる人型生物フェインミューブから嫌われ距離を置かれ言語すら通じ合うことのなかった種。



オーク族。

オーク族の太守なのである。



だがそのオークのお陰で周囲のオークの部族どもは皆平らげられ争いを禁じられ、それどころか彼らの見回りによってこの地の山賊や野盗は激減した。

なにせこれまで荒らしまわっていた一大勢力が警備側に回ったのである。

その効果は絶大なのは言うまでもないだろう。


さらにはオーク族でありながら開墾や栽培に尽力し、最も浄化が遅れていた王国南西部のほとんどを美しいチェック柄の畑に変えてしまった。

その功績と勇名はもはら一国の王すら凌ぐほどと言っても過言ではない。


だからこそ、このタイミングなのである。

が。

その大英雄がが自らアルザス王国に降っても良いと言ってきたのだ。


どんな人物なのかは既にわかっているはずだ。

あらかじめ王国に出向きをしておいたのだから。


ゆえに……そのオークを繋ぎとめるために、王国側は最高の待遇を以て彼を迎えざるを得なかった。







そうして彼は……アルザス王国南西部を治める、王国随一の広大な領土を誇るクラスク大公領の領主、大公クラスクとなったのである。





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