第929話 様相一変

さてエィレを同行者として加えた一行は、再びクラスク市へと向かう。

ただ街の様相は以前とはだいぶ異なっていた。


まず大きい。

以前よりさらに大きい。

この半年で急速に移住希望者が増加した結果、この短期間で下街だけでは流入する人口を賄いきれなくなってしまったのだ。


現在クラスク市の外壁は下街第二層である。

元々あった下街のさらに外側に造られた新たな街並みだ。

この第二層はこの部分だけでこれまでの上街、中街、下街を合わせたのと同程度の大きさがある。


もしすべて埋まれば人口は一万人を超えるだろうか。

一万人越えともなればこの地方では大国の首都クラスである。

相当の大都市と言えるだろう。


そしてだ。

全体的に石の白さでなく植物の緑に染まっている。

なぜそれほどに緑色かと言えば街の外壁の大半が緑に覆われているからだ。


理由は言うまでもない。

世界樹ンクグシレムのせいである。


街の中央にそびえるその巨大な樹木は、今やクラスク市の全容に関する印象の大部分を占めていると言っていいだろう。

とはいえ世界樹ンクグシレムそのものは非常に希少で珍しいものではあるが、この世界に於いて決して唯一無二の存在ではない。


この地方だと多島丘陵エルグファヴォレジファートの小王国群、そのさらに西にあるサフィナの故郷、西の神樹アールカシンクグシレムが有名だ。

けれどこの大陸には他にも南に一つ…南の神樹ルウォクパシィンクグシレムがあるし、東にはさらに二つ、すなわち東の神樹エアキャシィンクグシレム最果ての神樹ヴィスクパークンクグシレムがある。


この大陸だけで四柱。

クラスク市に生えた世界樹ンクグシレムで五柱目である。


だが世界樹ンクグシレムの多くがエルフ達によって森の奥深くに秘匿され、エルフ達の中でもさらに選ばれた一部の高位の者のみしか場所を知らず近寄れず立ち入れず、といった最高機密扱いであるのに比べると、クラスク市のそれはあまりにも堂々と他種族の前にもさらけ出されている。

その上その世界樹ンクグシレムの管理者たるクラスク市はそれを秘匿しようともしていない。


となると……当然『ある事態』が発生する。


ひとつ、調査のための魔導師や精霊使い、森人ドルイドなどが達が大挙してやってくる。

なにせ世界樹ンクグシレムはこの世界の最初期のエルフたちがその樹のうろから生まれたとされるエルフ族の聖地であって、その構造も生態も長いこと秘密にされたままだった。

それが堂々と隊商行き交う街のどまんなかに鎮座しているのである。

特に魔導師などが放っておけぬであろうことは言うを待たぬだろう。


ふたつ、移住希望のエルフが大挙してやってくる。

世界樹ンクグシレムはエルフの聖地、とは言うけれど、実のところエルフ族の全てが世界樹ンクグシレムを目にしたことがあるわけではない。

前述の通り世界樹ンクグシレムの管理は一部の選ばれた高位のエルフ族によって為されており、遥か太古に世界樹ンクグシレムから巣立ち各地の森に国や集落を築いたその他のエルフ達はそのほとんどが世界樹ンクグシレムを関わりを持たず…とういか、持てずに生活している。


まあ他種族には厳戒な世界樹ンクグシレムへの来訪だが同族には幾分そのガードが緩く、聖地巡礼よろしく世界樹ンクグシレムを訪れたエルフなどを迎え入れることもあるけれど、それでも世界樹ンクグシレムのある森に他の森のエルフが定住することなどは決して許されぬ。

そんな世界樹ンクグシレムが堂々と街のど真ん中にあるというのであれば、そこに住みたくなるのが人情…というかエルフ情というものらしい。

クラスク市の北方にある横森ウークプ・ウーグからも移住希望者が相次いだほどだ。


みっつ、観光客が大挙してやってくる。

これに関しては当たり前というか、ただでさえ優れた文化を発信しているクラスク市に興味津々のところに新たな観光名物…それもエルフが森の奥深くに隠しているというとびっきりである…がひょっこり追加されたのだ。

これが興味を引かぬわけがない。

この新たな観光名所とその見物料だけでクラスク市は大いに潤うこととなった。



つまりまとめると、ともかく人が大挙してやってくるようになったのである。



城壁が目の前に迫る。

新たに築かれた巨大な外壁の壁面に蔦が如き巨大な樹の根がびっしりと張っていた。


これだけ見ると攻城戦をする際いささか不利になったようにも見える。

以前はゴブリンだてらに一流の盗族であったスフォーですら手がかり足掛かりを見つけるのに苦労する程びっしりと敷き詰められた城壁だったというのに、今ではその根を足場にすれば簡単に登攀できるように見える。


だが、それは杞憂である。

その理由は街の内に入れば自然とわかるだろう。


城門をくぐると、わっ、と喧騒が押し寄せてきた。

街道沿いには商店が立ち並び、土産物をはじめ様々なものを売っているが、今日の喧しさはそれだけではない。


出店が大量に並んでいる。

馬車やら徒歩かちやらが行き交う中、様々な飲食の出店が待ち受けている。

この街が目的地でも、中継点に過ぎなくとも、ここで少し足を止め何か買ってゆけと言う浮かれた圧力をかけてくる。


いつもよりさらに活気に満ち満ちた大雑踏。

そう、今この街はお祭りの真っ最中なのだ。


このあたりの店は街が企画したものでもなければ許可したものでもなく、単に祭りに便乗して勝手に開いているだけものだけれど、それでも並んでいる食べ物は皆美味しそうに見える。

何せクラスク市はこの近辺では随一といっていい程食材が豊富だ。

安くて美味い食材を大量に仕入れる事ができる。

さらに調味料も甘味から香辛料まで様々に取り揃えてあるのだ。


無論そうしたものを悪用し粗悪なものを乱造してぼろもうけしようとする輩もいるけれど、大概の店は喩え場末の屋台であっても相当に美味い。

この街の店からすれば手抜きであっても、他の街から来た者には驚きの旨さに感じるとも珍しくないからだ。


まさに飽食の街と言っていいだろう。

これだけでも観光客を呼び込むのに十分なインパクトがあるのだ。


その喧噪の中目立つのはやはり街中の緑である。

以前のこの街は建築ラッシュが続き街はほぼ石材で埋め尽くされ街の外縁部の一部に木造建築が残された程度、植物などはサフィナの肝煎りで造った花壇やアパートのベランダに置かれた鉢植えくらいであった。


だが今は街の各所の建物の壁面に根が張り蔦が張って、さらには大きな建物の屋根の上には緑の樹瘤が乗っている。

大きな根がのたくいながら街の縦横に伸びていて、その巨大さは人々を驚かせまた楽しませていた。


ただそうすると一つ疑問が湧いてくる。

これほど巨大な樹木の根が街のあちこちに伸び放題で、往来の邪魔にならないのか、と。


しかし大門から入った隊商の馬車たちは途中足止めを食うこともなく街の中央街道を進んでいる。

ラオクィクらの騎馬と兵士の一団もまた移動に不便を感じてはいないようだ。

一体どういう事だろう。


実はこの世界樹の根、頼むと自在にその位置やポーズを変えてくれるのだ。

ゆえに道に這っている根にお願いすればそれはたちまち伸びあがって、ちょうど街道を大きくまたぐ樹根のアーチのようになってくれる。

これなら馬車が通る際の邪魔にもならぬというわけだ。


この根はさらに集まった別れたり、平べったくなったりもしてくれる。

これによって単なる景観としてだけでなく、道をまたぐ橋を造ったりもできるのだ。


先程城壁の壁面に這っている木の根を利用すれば攻城側の登攀が容易になるのでは、といった疑問があったけれど、上述の理由によりその試みは上手くゆかぬ。

それどころかその根はまるで生き物のように蠢いて己をよじ登ろうとして来る相手を振り落とそうとするし、なんなら木の根を利用せず壁をよじ登ろうとしたり壁に取りつかんとする攻城兵器を巨大な質量で叩き潰したりする。


その根は単なる人目を愉しませる景観ではない。

この街を守る防衛機構なのだ。


とはいえこの根は誰の命令でも素直に聞いてくれるわけではない。

特定の者の指示にしか反応しないのだ。


この木の根に命令を下せる者は四人。


サフィナ。

イエタ。

キャス。

そしてミエ。





なぜか半年前起きたクラスク市での魔族との攻防に於いて、その最後の一戦となったあの教会にいた面々のみなのである。





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