第829話 苦戦の理由
クラスク市の内で、外で、各所で繰り広げられている戦いは苛烈さを増してゆく。
陽動であると同時にクラスク市の護りの要を釣り出した
街を占領せんと大挙して攻め上がってきた
そして変身や変化の妖術になんらかの高位魔術の補助をを受け、クラスク市の魔術セキュリティを突破し襲撃に合わせ街に潜伏していた
さらに魔族どもの手によって魔物へと変えられ、魔人へと変貌したラッヒュィーム傭兵団。
さらには熟練の冒険者が万全の準備を整え総がかりで挑む域の高位魔族、
魔族どもの全戦力というわけでは決してない。
ドルムにも、そのドルムへと向かわんとしている王国騎士団を迎え撃たんと待ち受ける北方回廊にも、そして
そんな中これだけの兵力をクラスク市に差し向けているというのは、それだけ彼らが本気と言う証だろう。
次々と打ち倒されてゆく兵士たち。
傷ついては立ち上がり、再び傷を受けてまた立ち上がり、けれど遂にどうと倒れぴくりとも動かなくなったオーク兵。
必死に、必死に戦っても埋まらぬ壁。
伍して渡り合いながらも徐々に追い詰められ劣勢になってゆく。
理由は単純で、魔族どもには物理障壁と高速治癒能力がある。
そして多くの兵士はその障壁を無効化できぬ。
障壁越しに与えるダメージは障壁によって軽減され、そして多少のダメージは治癒能力によって瞬く間に治癒されてしまう。
この負のループによって一見互角に渡り合っているように見えても、数十分後には街の兵士達だけが死屍累々と倒れ伏している光景が広がっているわけだ。
無論突破口はある。
リーパグが赤竜の鱗や牙で打たれた名工の武器を城壁の上に持ち込んだ。
これは魔法の武器であり、空中戦を得意とする魔族どもの物理障壁を貫通できる。
だがそれでもなお、配られた武器の数は十分とは言えぬ。
魔族どもはそうした武器を持つ者の攻撃を空を飛び避けて、己の障壁を貫通できぬ者に集中砲火を浴びせてゆく。
隊長副隊長たちを別にすれば一方的な蹂躙から不利ながらも膠着状態に持ち込めているだけで、それらの武器は相当役に立ってはいるのだけれど、あくまで突破口であって勝負を決める切り札とまでには至っていないのである。
さてではオーク達はどうか。
オーク兵は高い攻撃力を有し、魔族どもの物理障壁越しにでも高いダメージを与えられるとは先の述べた。
けれどそれはあくまで魔族どもが正面からの殴り合いに応じてくれたらの話だ。
実際には魔族どもは手傷を受けたら後ろに下がり、
結果魔族で死ぬのは雑魚ばかり。
後になればなるほど満身創痍の城兵達と無傷で精強な魔族どもばかりが残存する事になる。
一方でクラスク市の衛兵やオーク兵達の傷はすぐその場で治療というわけにはゆかぬ。
魔族どものような高速の治癒能力があるわけでもないからだ。
だが聖職者たちはどうしたのだろう。
この街は以前に比べ教会が格段に増え、そこに少なからぬ神の奇跡に目覚めた聖職者たちがいるはずではなかったか。
確かに聖職者はいる。
街が生まれた年月を考えれば驚くほど多くいる。
だが……戦の最中に、戦場で傷を治せる聖職者はほとんどいないのだ。
確かにこの街には奇跡の御業を使える聖職者がそれなりに誕生した。
彼らは現在怪我をして前線から運び出された兵士達を教会で必死に治療している。
そう、奇跡の力で治療自体はできるのだ。
だが戦場で、剣が振るわれ矢が飛んで来る戦場のただ中で傷の治療ができる聖職者は非常に少ない。
なぜなら戦場での治療にはそれ専用の訓練が必要だからだ。
例えば魔術を唱えるには音声要素や動作要素が必要で、乱戦の中でそれが邪魔されれば
このように戦闘時に魔術を行使すると言うのはリスクの高い行為であり、だからこそ魔導師などは存分に呪文を唱えるために前衛として戦士を必要とするのだ。
また多少周囲にぶつかっても腕を振り切る訓練や、或いはダメージを受けても精神集中を乱さぬ訓練などをすることで、戦闘中であっても格段に安定して呪文を行使できるようになる。
こうしたスキルを≪戦闘時詠唱≫と呼び、冒険者の一員となった術師や従軍魔導師などはこうしたスキルを保持している者も少なくない。
ネッカに関しては少々特殊で、ドワーフ族のたしなみとして術師でありながら戦士同様の戦闘訓練を受けており、『動きを乱さぬ』『痛みに耐える』といったドワーフ流の教えがこの≪戦闘時詠唱≫の代替として役に立っているわけだ。
だがこの街で生まれたばかりの聖職者たちにはそうした訓練が決定的に足りていない。
或いは今後冒険者などにスカウトされて旅する中で身に着けて往けたのかもしれないけれど、そうなる前にこの日が訪れてしまった。
結果として戦場に赴き兵士達を乱戦の中で治療できる者がほとんどおらず、倒れた兵士たちは救護隊により運び出されるまでそこで死を待つばかり、となってしまうのだ。
だが今までは……こんなことはなかった。
かつての地底軍の二度にわたる襲撃でも、彼らは必死に戦い、決して怯まなかった。
幾度倒れても奮起して立ち上がり、遂には地底の連中を撤退に追い込んだのだ。
だが……
あの時の粘りと頑張りが……今日は些か欠けている。
もちろん彼らとて必死に戦っている。
全力も尽くしている。
手を抜いているというわけでは決してない。
だがそれでも……あと一押し、あとひと伸びが足りていない。
それは何故だろうか。
その理由について考えるなら、彼らの今日の戦いと、それ以前の戦いとの間に決定的な違いが二点ある。
ひとつにクラスクがいないこと。
強力な戦士であり指導者でもあるクラスクがいるかどうかは、単純な戦力以上に街の者達の士気に影響を与える。
彼の圧倒的な≪カリスマ≫が、オーク達を、衛兵達を鼓舞し、そして街の者達に安心と安堵を与えていたのだ。
そしてもうひとつ……
個の戦場には、ミエがいないのだ。
当たり前のように戦場を駆けずりまわり、補給物資を配り歩いて、皆を激励して回るあの太守夫人の姿が……街のどこにもないのである。
それはとりもなおさず、この街に
そう、≪応援≫である。
≪応援≫スキルは彼女が出会う人を、道行く人を激励するごとに発動し、その膨大な数の≪応援≫によりそのスキルのレベルを上げてきた。
クラスク相手限定の≪応援/旦那様(クラスク)≫以外にも、彼女は≪応援/個人≫、≪応援/集団≫、そして≪応援/軍団・軍勢≫といった派生上位スキルまで次々と目覚めていった。
当人に自覚が一切ないだけで、≪応援≫使いとしては既に有数の使い手となっていたのである。
これまでの戦いに於いては、この街は常にミエの≪応援≫がともにあった。
彼女の≪応援≫により精神的に鼓舞され、バフを得て、兵士達は実力以上の力を発揮し獅子奮迅の戦いを繰り広げる事ができていたのだ。
だが今日この魔族襲来戦に於いて、彼女の姿はどこにも見当たらぬ。
それはつまり彼女の≪応援≫が発動していないと言う事を意味しており、そしてそれがこの街の兵士達の粘り強さ……『あと一歩の踏ん張り』を奪っている。
いや厳密にはその表現はおかしい。
これが彼らの本来の実力なのだ。
実力通りに戦えて、そして実力通りに追い詰められているだけなのだ。
そんな彼らに実力以上の力を与えていた≪応援≫が……今はない。
ミエの声が、戦場のどこからも聞こえてこない。
一人の女性の≪応援≫の声が消えたことで……
ただ静かに、ゆっくりと、けれど着実に……クラスク市は追い詰められていった。
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