第830話 (第十八章最終話)息を殺して
魔族どもの多くは現在聖ワティヌス教会へ終結し、この街を覆っている大結界の破壊を目論んでいる。
そうしないと彼ら得意の姿を消しての不意打ちや人に化けての扇動や流言飛語を用いた人心操作などができず、魔族としての本領が発揮できぬからだ。
だが全ての魔族が教会に集合しているわけではない。
半数に満たぬとはいえ、それなりの数の魔族どもは、本来の攻撃目標へと向かっていた。
そう、クラスク市の中央にそびえる居館。
本来この街の最後の護りの要である。
その正門前で兵士達と魔族どもが激しく鎬を削っている。
城内の入れさせまいとする兵士達と。
突入し蹂躙せんとする魔族どもと。
魔族どもの数は決して多くはない。
空からの侵入は城壁際で各隊長たちが必死に防ぎ、地上部隊は旧翡翠騎士団騎士隊と冒険者、それに彼らが操るゴーレム四体によって防いでいる。
そして城内に潜伏していた魔教どもの多くは教会戦に参戦している。
だから居館攻めに参加している魔族達は決して多くはないのだ。
多くはないのだが兵達を指揮する者が少なく、小隊長クラスの指揮では統率が万全とは言い難い。
居館と言えば城の最重要施設である。
なぜそれがこれほどに護りが手薄なのだろうか。
単純に言えば、クラスク市の居館は他のそれと比べ価値が低いからだ。
普通居館にはその城の主とその家族が住み暮らしている。
いわゆる領主一族だ。
領土を統べる領主の一族はその城の最重要存在であり、それを護るために居館は堅牢に作られる。
戦で領主が死ねばその長男が、長男が死ねば次男が、男子がいなくなれば長女が…のように、一族の誰かが生き残ってさえいれば領地も一族も一存続できる。
それが住み暮らしており、しかも一族の中でも非戦闘員の者達……妻女や子供など……もいるのだから、どうあっても居館に攻め込まれる事だけは避けねばならぬ。
城の中の城、まさに字の如く最後の砦というわけだ。
だがクラスク市の居館にはそれがない。
というか、そもそも領主がここに住んでいない。
それどころかあろうことか城壁に囲まれてもいない花のクラスク村の、それも今や一番小さな家屋に引っ込んで暮らしているのだ。
なにせクラスク市は平城で、敵が軍隊で攻めてきたらすぐそれとわかる。
オーク族には≪暗視≫があるため夜襲も効果が薄い。
そしてハーフエルフのキャスや(ミエの≪応援≫のお陰で)異様に勘の鋭いクラスクのせいで不意打ちや暗殺もほぼ封殺されてしまう。
だから襲撃を察したらその後で急ぎ居館に入ればいい、というわけだ。
一見無防備極まりない領主一家の有り様だが、これまでこのやり方が大過なく過ごせてしまったため、すっかりこのやり方で定着して締まったのである。
領主がいないのだから死守する必要がない。
防衛も居館よりは領民を護るための外城壁が重視される。
今回の戦いもまさにそれだった。
だが……実のところ、領主の一族は、いた。
円卓の間の一番奥の、台所のさらに片隅に、クラスク市太守クラスクの第一夫人が隠れていたのである。
× × ×
「て、手伝い…」
「ダメじゃ」
「せ、せめて食料の配給とか……!」
「ダメというたらダメじゃ!」
息を殺し、小さな声で。
円卓の間に続く台所の片隅にて、ミエとシャミルが囁き交わす。
「なんでダメなんですか! 私戦いはずぶの素人ですし、それくらいしか役に立てないのに……!」
「これまでの戦いとは事情が違う! わかっておるじゃろ!」
地底軍との二度にわたる戦い……
どちらも命がけの戦闘ではあったけれど、そのいずれもが村、或いは街への侵入を防がんとする戦いであった。
だが今回は違う。
今回は最初から魔族どもが街に潜伏していた。
つまり攻城戦という意味に於いては、クラスク市は既に負けているのである。
「負け……負けてるんですか?」
「そうじゃ。太守殿とネッカがドルムに封じられ、街中への潜入は既に為され、戦術的には完膚なきまでに敗北しとるじゃろ」
「じゃあ……えっと、もう降伏するしか……あいた!?」
「阿呆」
ミエの台詞に即頭を小突くシャミル。
「いたた……でも負けてるなら下手に戦って犠牲を大きくするより降参して助命を嘆願した方が犠牲者が……」
「お主これまでの話で何を聞いておった。そもそも降伏しようがしまいが魔族どもはわしらをそうそう殺しはせんわ」
「ふえ? あ……ああ、そっか。言われてみればそうですね」
「そういうことじゃ」
魔族は瘴気地を好み、それを忌避する
だが魔族どもが自分達以外の知的生命体の負の感情を餌としている以上、この世界でもっとも数が多い知的生命体たる
つまるところ
ゆえに彼らは必要なら
負の感情を吐き出すのも生きていてこそだからだ。
実際多数、とまで言えるほどではないが今日までそれなりの数の魔族どもがクラスク市に潜伏しており、彼らが街の住民たちの虐殺に走っていたならもっと甚大な被害が発生していたはずである。
だが実際のところ彼らは衛兵やオーク兵といった戦闘要員とは戦っていても、市井の者達を襲ったという報告は殆どない。
人に化けたまま周囲を扇動しコルキを街の者の手で排斥しようとしたけれど、それでもやむを得ず人質に取る程度で好んで街の者達を殺害しようとはしなかった。
これに関しては彼ら魔族が有している物理障壁と高速の治癒能力のお陰で戦闘訓練を受けていない相手に対しては実質不死身のように振舞う事ができるため警戒する必要が一切ないから、というのもあるのだが、ともあれ彼らは街の一般市民には手を出していない。
つまり助命嘆願しようとしまいと、一般市民の安全は確保されていると考えていいわけだ。
「でも戦い続ければ兵士の皆さんはどんどん倒れていきますよね」
「それはそうじゃな」
「もう負けてるならそれって無駄な犠牲では? あいたっ!?」
「ちーがーうーわー」
シャミルに強めに小突かれm、頭を押さえるミエ。
「戦術的には負けておっても、戦略的には譲れぬ一線があるんじゃ!」
「ふえ?」
きょとんとするミエに、シャミルは大きなため息をつく。
「よいかミエ。先刻魔族どもの標的がこの街で、そのために邪魔な太守殿をこの街から引き離すためにあの魔人が放たれたと言うたじゃろ」
「はい」
「より正確に言うなら太守殿とこの街を分断したのは単にこの街を攻めるためだけではない。この街のバックアップが受けられぬ太守殿をドルムにて確実に始末するつもりだからじゃ」
「……………!!」
ガタ、と立ち上がらんとするミエの腕をシャミルが掴み、彼女を押しとどめる。
「話してくださいシャミルさん! 旦那様が! 旦那様が!」
「おーちーつーけ!」
あわあわと動転するミエをシャミルが強引に座らせた。
「それが奴らの狙いじゃ」
「旦那様を討つことですか!?」
「それもじゃが……太守殿を討つのに一番有効な手段はなんじゃと思う」
「えーっと……」
ぐぐぐ…と首を傾げてしばし考え込んだミエはやがて顔を輝かせてぽんと手を打った。
「ごはんぬき!」
「たわけ!」
「あいたー!?」
先刻より強めに小突かれたミエは頭をその場に抱えてうずくまる。
「阿呆か! 正解はミエ、お主じゃ!」
「ふえ……?」
「おぬしを人質に降伏を迫れば、太守殿は確実に折れるじゃろ」
「………………っ!!」
ミエは息を飲み、言葉を失った。
だがシャミルの言わんとしている事はわかった。
確かに夫クラスクは、己が人質とされれば無駄な抵抗を辞め降伏するに違いない。
ミエにはそんな確信があった。
「あれ……? ってことは……ふえ?」
そしてそれを聞いて……遅まきながらミエにもようやく魔族達の狙いが呑み込めてきた。
「それじゃ、それじゃあ……この街が標的って言うのは……!」
「そうじゃ。狙いはミエ、お主じゃ。お主のおらぬ太守殿と、太守殿と引き離されたお主をそれぞれ個別に相手取り、お主を捕らえ人質としてクラスク殿を討つつもりなのじゃ」
そしてミエは……シャミルが続けたその言葉に、己の背筋をぞくりと震わせた。
「忘れるなミエ。こたびの戦い、この街の敗北条件は……お主じゃ」
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