第805話 魔族襲来

鐘が、鳴る。

襲撃を報せる鐘が。


この街には敵の接近を知らせる警報魔術が周囲に仕掛けられている。

かつて王国から行軍してきた紫煙騎士団の接近を報せ、最近では巨人族の接近を察知したそれらの魔術が、今回もまた敵の接近を知らせていた。


魔術によって検知された敵(と思しき存在)の接近は、最初街の中心部にある居館の円卓の間へと連携される。

そこから報告内容を素早く吟味したミエなどが居館内の放送室に向かい、街中に設置された拡声器を通じて住民にお知らせを放送するのが本来の段取りだ。


だが今はそのいとますらない。

誰がどれほどの程度の数でどちらの方向からやって来るのか、

それを調べる時間すら惜しい。


魔族が来ることは既に報せた。

だからやるべきことはひとつだけ。


『来る』と。

ただ『来る』と報せることだ。


報せ備えてもらう事だ。


街の外、東外大門の鐘が鳴り響く。

東から敵が近づいてくると知らせているのだ。


だが同時に西外大門の鐘も鳴り響いている。


いや、それだけではない。

北からも、南からも、全ての門から敵が近づいてくると警戒の鐘が鳴り響く。


あまりに危険な存在が、それも四方から攻めてくる。

途轍もない危険が迫っているから全力で備えよと、街の者たちに訴えているのだ。


今回の襲撃はこれまでとは明らかに違う。

なにせこれまで地底軍や王国騎士団、さらにはかの伝説の赤竜を前に幾度も危機に立たされてきたこの街ではあるが、一度たりとも街の中に攻め込まれたことはないのである。


ある時は魔法のように城壁を張り巡らせ、またある時は襲撃前にこちらから相手の巣穴を急襲し、結果として街に攻め込まれることを防いできた。

クラスク市を支える衛星村のいくつかは甚大な被害を被って、いたましい犠牲者も出たけれど、それでもクラスク市への被害自体は阻止できた。


衛星村から避難してきた住人達もまた、クラスク市の城壁の内側に逃げ込みさえすればとりあえず安全が確保され、食料配給を受けることができたのだ。


だが今回は違う。

魔族どもは既に街中に侵入している。


街の外からこちらに進撃してくる魔族たち。

そして既に街中に潜伏していた魔族ども。

その両者を相手取らないとならないのだ。

街の住民や旅の者などは自らで己の命を守る必要があるのである。


だが正直なところこれでもまだだいぶマシな事態ではあるのだ。

最悪中の最悪は外から魔族どもに攻め込まれ、街の内で人に化けた魔族どもに跳梁される事にある。


魔族どもの餌は人の負の心……畏怖、恐怖、憎悪、憤怒、悲嘆など……である。

彼らは人々の様子を窺い、不幸を見逃さず、必要ならば自らの手でそれらの悲劇を造り上げ、人々の心を闇に落としそれを喰らい、舌鼓を打つ。


人の姿に身をやつした魔族どもは、ゆえに街中で避難するふりをしながら周囲に不和の楯を蒔かんとする。


先刻のコルキ排斥の騒動などはまさにそれだ。

魔族どもが彼を悪者に仕立て上げ、それも自らの手を汚さず、街の者達を扇動し彼らの手でコルキを追放せんとした。


もしそのままコルキが人には手を出せぬと無抵抗に殺されてくれれば相手の戦力を削ぐことができたし、相手などできぬと逃げ出してくれればクラスク市側の大幅な戦力ダウンとなる。


そしてもし仮にコルキが己を攻撃せんとする街の住人達に手を出してしまえば……その時こそ魔族どもの弁によりこの街の為政者そのものへの不安や不満を煽りたて、街の中に騒乱と反乱の目を作り出していただろう。


魔族どもにはそれができた。

いや、というよりそもそも街の中に潜んでいた魔族どもはそういう役目を担っていたはずだったのだ。


だが現状そうなっていない。

街の外から攻めかかる魔族の連中も、街の中に潜んでいた魔族どもも、等しくその姿を露わにし、各地で混乱と小競り合いが発生している。


それはひとえに街の中の魔族どもの正体が全て判明しているからである。

イエタが命を賭して唱えた聖跡呪文テグロゥ・トゥヴォールのひとつ、〈本性露見オズラヴ・オチュアッツァウ〉により、街は強大な魔族相手ではあっても、少なくとも『目に見える、倒すべき敵』と認識し戦うことができているのだ。

搦め手を好む魔族相手にこれは非常に大きなアドバンテージと言っていい。


だが魔族たちでもある程度階級が上の者には魔術の心得、或いは魔術の知識がある者が多い。

この自分達に不利な状況がなんの呪文のどのような効果であるかを看破する者もいるだろう。


そして魔族どもを相手にする時、喩えたった一人でも真実を知られてしまうということは全軍に知られるということに等しい。

彼らには精神感応能力があり、一人の知見は瞬く間に全魔族へと共有されてしまうからだ。


もしこの魔術を破られれば、再び街中の魔族どもは人型生物フェインミューブの姿に戻るだろう。

そうなれば彼らは手近な目撃者を皆殺しにし、当たり前のように人型生物フェインミューブとして振舞いながら周囲に不和と不穏の種を蒔き続けるようになる。


協力者を装いながら無辜の市民を魔族だと言い立てて、兵士達に目撃情報を伝えたいと告げながら近寄って刺し殺し、それを別の者の仕業だと言い立てて、たちまち街中に混乱を巻き起こさんとするに違いない。

そうなればクラスク市は終わりである。


クラスク市は兵士の練度と士気が高く、単純戦力としても強力なオーク族を有してはいるが、それでも軍隊相手となると圧倒的に兵力が足りない。

この街はこれまでそれを優れた連携や指揮によって補ってきた。


だが魔族の戦術は信頼を低下させ不和を撒いてそうした連携をズタズタに引き裂くものだ。

それが成立してしまった時点でクラスク市に勝ち目はない。


イエタの大魔術によって全ての兵士は戦う相手を理解し、彼らの姿や言葉に惑わされずなんとか戦うことができている。

この状態を維持し続けることが、クラスク市側が魔族どもの侵攻に抗うための最低条件と言えるだろう。


つまり現状、クラスク市の趨勢は以下の二つにかかっている。


ひとつ、街の外壁で魔族どもを迎え撃ち、撃退すること。

街中の魔族どもは少数であり、正体が判明している今は混乱を巻き起こす事はできても彼らだけで趨勢を変える事はできない。

だが街中に他の魔族どもが侵入してくれば混乱が一気に広がるだろう。

それを防がなければならないのは通常の攻城戦となんら変わらない。


ふたつ、教会を死守すること。

クラスク市が魔族どもに対抗するためには彼らの姿が常に魔族であることが絶対条件である。

もしかしたらより小規模な集落で、単一種族のみが住み暮らしているのなら魔族が化けて入り込んでも違和感からそれに気づくことができるかもしれない。


けれどクラスク市は大きくなり過ぎた。

しかもそれでいて多種の種族が暮らしている。

これでは多少容貌や様子がおかしくても種族の違いだからと流されてしまいかねぬ。

そこをイエタの魔術の恩恵によって効果的に『敵』と『味方』を判別させているのである。


逆に言えば教会が魔族どもに破壊されイエタが殺された時点でこの街の戦力は効果的に魔族と戦うことができなくなってしまうのだ。

断固としてこの二つは護りぬかなければならぬ。


ただし……この点についてはひとつ大きな問題がある。


教会を守らなければ。

イエタを護らねば。


魔族どもと異なり、この時点でそう認識できているクラスク市側の者が、ほとんどいないのである。






先程まで日が差していたというのに、今は太陽の光が遮られている。

曇天が見る間に広がり空を覆って……まるで、この街にこれから起こる事を暗示しているかのようだった。






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