第800話 魔人
「人が……人が、魔物に……?!」
ミエは愕然としてついシャミルに聞き返してしまう。
そうしたところで結論が変わるわけでもないことを、心のどこかで自覚しながら。
「そうじゃ。獣どもも神が造り給うたもの。鳥類ならば空の女神リィウーが、野を駆ける獣どもであらばその多くは大自然と獣の神ヌオラックゥが、それぞれ生み出したとされる。神の似姿ではないが、連中も神の被造物としての加護を受けておるわけじゃ。それが
「それはそうかもですけど……」
けれどミエはそんな人理にもとるような外道な行為を平気で為すような輩がそうそういるとは思いたくも考えたくもないのである。
このあたり彼女の価値観は実に小市民であった。
「そもそも魔族は人皮を被れば人の姿になれるでな。
「そうなんですか!?」
「うむ。そして村の中で人々を誘惑し、堕落させる。欲望に負けた村人はやがて自ら神の加護を捨て……魔族どもの尖兵たる魔物へと変じるという寸法じゃ」
「そんな…!」
「こうして魔物になった
「魔人……」
ごくり、とミエはつばを飲み込んだ。
なかなかどうして随分と剣呑そうな呼び名ではないか。
「……これは推測じゃが、おそらく魔族どもはある時期からその傭兵団に目を付けておったのじゃろう。ラッヒュィーム傭兵団と言えば悪名高く悪評も高い連中じゃったそうではないか。人の道を踏み外させて魔人とするのに実に都合がよかろ」
「けどあたしら襲ったのはこの村のオークどもだぜ? あの前族長が魔族と結託してたっつーのか?」
腕を組んでゲルダが不可解そうに首をひねる。
「アイツぁ本来のオークそのものを煮詰めて濃縮したクソみてえな奴だったけど、魔族の誘惑に負けてそーゆー事をするような奴には思えねえんだよな」
「そうじゃな。前族長ウッケ・ハヴシは性悪な乱暴者ではあったが当時はそこまで闇に染まってはおらなんだと…とわしも思う。まあ太守殿に負けた後はわからんがの。おそらく魔族どもがオークにでも化けて利用したんじゃろ。『あの人間どもが活きのよさそうな女を連れているぞ』などとな。そしてオークどもがゲルダ、お主を目当てに連れ去って傭兵団の連中だけが戦場に残った」
「ああ……確かにオークどもって斧で相手のこと平気でかち割るけど倒れてる奴にゃあトドメはあまり刺さねえな。勝負はついたからそれ以上する必要がねえってことか?」
ゲルダがそんな実に戦士寄りの感想を述べる。
「どうじゃろな。まあオークどもがそうして見逃すがゆえオークの支配する地域の村々は全滅を免れて、次の年もまた実りをもたらしてオークどもの襲撃の的になるわけじゃから、もしやしたらオークどもの生活の知恵というか本能なのかもしれんが…」
「やな生活の知恵ですね!?」
思わずミエがツッコミを入れるが、シャミルはそのまま受け流して話を続ける。
「ともあれおそらくその戦場で傭兵どもは死んでおらんかったのじゃろ。オーク族の習性を知っておった連中はいい感じに敗北して倒れ伏し、オークどもを満足させた。ゲルダという格好の餌もある事じゃし、そのまま死んだフリでも続けてその場をやり過ごすつもりだったんじゃろ」
「あー……ナルホド? つまりアタシゃあいつらが逃げるための餌にされたのか? あー……確かにスゲーありそうだわ」
怒りとも感心ともつかぬようなドスの効いた声を出すゲルダ。
「じゃが戦場にこやつらだけが残った状況は魔族どもにとっても計算通りだったのじゃろう。おそらくゲルダがこの村に拉致された後、そのまま魔族に連れ去られたのではないか」
「そりゃああれだ。ジゴージトクって奴じゃねえか?」
しれっと言い放つゲルダ。
まあ彼女にしてみれば自分を囮にして逃げ延びようとした連中なのだから当たり前だろうが。
「そうじゃな。そしてその後神からの加護を失い魔人となったのじゃろ。まあ無理矢理加護を失わされたのか何も知らずに失うよう仕組まれたのか、それとも自ら望んで失ったのか、それはわからんがの」
その話を聞いてミエは少し気分が悪くなった。
なぜならシャミルが言わんとしていることは、要はその傭兵たちが『どう
常識的な感性を持っていたらそれは怖気を感じるだろうし、そしてミエはそういうところでは間違いなく常識人の部類である。
「ほーん。まあこいつの末路はわかったけどよ。てことは傭兵団の他の連中も生きてるって事か? そりゃちょっとやべえな」
「それどころの話ではない。とんでもない緊急事態じゃぞこれは」
シャミルの説明にゲルダが懸念を示したが、それ以上にシャミルの表情は深刻だった。
「どういうことです?」
「コルキのように魔物と化しても闇に堕ちなければ瘴気は放たん。内側がここまで黒く変じておるということはこやつ長い時間をかけて闇に飲まれたということになる。つまり相当前から魔物化しておったわけじゃ」
「あ……そっか、それが伝令兵としてやって来たって事は……!」
「ドルムの中にスパイがいたってことか!?」
ミエとゲルダが慌てて顔を見合わせる。
「いや……それはなかろ。ドルムの特に対魔族のセキュリティは高いはずじゃ。今回の罠も魔術通信の特性を利用して外部から仕掛けとるじゃろ? 内通者がおるならとっくにそっちで情報が筒抜けになっておるはずじゃろが」
「あ……確かに? あれ? じゃあこの人はどこから……?」
きょとんとしたミエの危機感のない顔にシャミルは大きな大きなため息を吐く。
「つまりこやつは……ドルムからではなく魔族から放たれた伝令、ということになる」
「ふえ!?」
「ちょっと待てよ。じゃあもしかしてドルムの危機自体嘘って事か!?」
ゲルダの言葉に、だがシャミルは首を振って応えた。
「違うの。あれが嘘であったなら神に尋ねれば簡単にわかってしまう。連中は魔導術はともかく神聖魔術に対する強い対抗手段を持っておらんようじゃしな。つまりドルムが包囲されとることは事実と考えてよいはずじゃ」
「で、でもそれだと色々矛盾してません!? だってドルムの危機を外に漏らさないようにいっぱい罠を張って、通信も妨害して、それでその状況をうちに報せに来るって……!」
「じゃから目的が違うんじゃ」
ミエの言葉に……シャミルは強く断言する。
脂汗を垂らしながら。
青ざめた顔で。
「目的……?」
「そうじゃ。占術で確認してもドルムの危機が真実で、放っておけば人類の対魔族防衛戦が堕ちてこの街がいつ連中に襲われるかわからん、とすればわしらはどうする」
「救援に向かいます!」
「そうじゃ。じゃがドルムには例の結界があって大軍は派遣できぬ。まあそうでなくとも元々わしらは寡兵じゃが……となると少数精鋭で強力な戦力を投入せざるを得なくなるわけじゃ」
「はい! 旦那様ですっ!」
「そうじゃな。当然太守殿が適任となる。つまりそれが奴らの目的じゃ」
「ふえ?」
ミエは……一瞬シャミルの言っている事が理解できなかった。
「旦那様が……目的?」
「あ……てこたあ連中の目的はこの街の戦力と統率力を下げる事か」
けれど流石に元傭兵のゲルダは気づいたようである。
魔族たちの目的も。
そしてシャミルが青くなっているわけも。
「そうじゃ。連中の目的が太守殿をこの街から遠ざける事ならば、わざわざドルムの危機を知らせた意味も通る。つまり……」
遠く離れたドルムとクラスク市。
それぞれにいる太守と学者が、奇しくも同じ結論に達した。
「連中の目的は……ここ、クラスク市じゃ」
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