第799話 黒い傷痕
「わ、わわ……っ」
ミエの見ている前で真っ二つに両断される伝令兵・コイル(?)。
それを目の当たりにしてミエは思わず上ずった声を上げてしまう。
「え、えっと…ゲルダ、さん?」
「おう」
軽く返事をするが、その息は荒い。
見て目よりだいぶ苦戦していたようだ。
「手……大丈夫なんです?」
「そっちかよ!」
そしてついツッコミを入れてしまう。
「あー、人間族ならちぃとばかし致死量かもだがまああたしゃ半分
「なんとかって……早く教会で治療を……っ」
「そんな時間はねえ」
「ふえ?」
突然襲ってきた伝令兵・コイル。
けれどそれはもう倒したはずだ。
目の前で真っ二つになったその男からは再び動き出す気配がない。
おそらく倒し切ったのだろう。
だが……ゲルダは未だ警戒を解いていない。
それはミエにもわかった。
そしてそれが目の前の死体に対しての警戒ではないことも、ミエにはなんとなく理解できた。
こう……いつどこから敵に襲われてもおかしくない、戦いの最中のような緊張感なのだ。
「おおい! シャミル! こっちだこっち!」
「なんじゃなんじゃ遅れてきていきなり!」
ゲルダが廊下に顔を出して大声で呼びつける。
そしてしばしの後……慣れぬ小走りで荒く息を吐きながらシャミルがやってきた。
「シャミルさん?」
「む、ミエやどうとした……のじゃ?!」
シャミルは部屋の穴kを覗き込んで、すぐにその異常に気づく。
「これは……?」
「ええっと、なんかドルムから来た伝令兵の方がわたしを殺したかったらしくって」
「それはまた妙な話じゃな」
「その…申し訳ないとは思ったんですがその気持ちに応えるわけにもゆかなくって、なんかこのようなことに」
「申し訳なく思うな」
ミエの説明に真顔でツッコミを入れるシャミル。
完全に平常運転である。
「で…シャミル。こういう奴に心当たりねえか?」
「こういうやつ……? あれゲルダさん、その方ってゲルダさんのお知り合いじゃあ?」
「あたしの知ってるこいつはとっくの昔に死んでるよ、オークの部隊に襲われてな。そのはずだ」
「あ……」
ミエはかつてゲルダからその話を聞いたことがあった。
確か彼女が傭兵団に所属していた時オークに襲われて団は全滅。
彼女だけ女という理由で生かされて村に連れてこられた、とかいう経緯だったはずだ。
「あ……この方ってもしかしてゲルダさんが昔所属してたっていう傭兵団の方……?!」
そもそもゲルダはかつてその半
その後も奴隷にされたり見世物にされたりと辛い人生を送ってきたはずで、あのような知己はできなかったと思われる。
となれば彼女がタメ口をきけそうな相手は最後に所属していたという傭兵団しかない。
言われてみれば当たり前の話である。
「ああ。ラッヒュィーム傭兵団の一人だった。前族長ウッケ・ハヴシとその手勢の襲撃にあって、全滅した……したはずだ」
「じゃが直接死んだのを見たわけではないのじゃろ?」
おそるおそる、だが興味深げにその死体に近寄り傷口を見分したシャミルは剣呑そうに眼を細めた。
「そうだな。アタシだけは女だからオークどもが複数素手で襲い掛かって来て、そのまま戦場から引き離されちまったんだ。ただオークどもに連れてかれるときに戦場を見たけど、みんな死んでたように見えたんだ。傭兵団の終わりだって思ったもんさ……」
「ゲルダさん…」
「まあ正直ざまあみろと思ったけどな! ハハハ!」
「ゲルダさん!?」
唐突な笑い声にミエが目を丸くする。
「タメ口叩けるのはありがたかったけどな。ともかくクソみてえな連中の集まりだった。全滅してむしろせいせいしたもんさ」
ゲルダはこう見えて割と気を使うタイプである。
過酷な過去も平気な顔で話すし、精神的にはもしやしたらシャミルより大人かもしれない。
そんな彼女がここまでの口を叩くというのは相当である。
よほど腹に据えかねるような連中だったのだろう。
「……死んでおらんかったのかもしれんぞ」
「マジで?」
だからこそというか、シャミルのその一言でゲルダは思わず目を剥いた。
「この傷口を見よ。血が一滴たりとも流れておらん」
「だよな。アタシもそれで変だと思ってお前呼んだんだ」
「ふえ? あれほんとだ……」
先程ゲルダに自分が狙われていると聞いていたミエは、恐る恐る近づいてその死体を覗き込んでみる。
ゲルダに真っ二つにされたその死体からはグロテスクな肉や内臓と溢れる血が……と思ったのに確かに何もない。
その断面はまるで消し炭にでもなったかのように真っ黒だ。
「あれ? でも確かさっき…」
そうだ。
一番最初。
ミエが何も知らず部屋に入って彼に襲われそうになった時、ゲルダの拳が彼の顔面を砕き壁に血の華を咲かせたように見えた。
だがそちらに目をやると壁に広がっているのは黒い染み。
真っ赤な鮮血ではなかった。
「ええっと……誰かが人間に化けて……?」
「違う。いや違わんかもしれんか」
「なんだそりゃ」
シャミルの妙な言い回しにゲルダが思わずツッコミを入れる。
「『人間に変じた』は明らかに誤りじゃ。より正確に言うなら『人間が変じた』と言うべきかの」
「人間が……」
「変じた……?」
ゲルダとミエはシャミルが何を言っているかさっぱり理解できず互いに顔を見合わせた。
「この黒いものはこやつが闇に堕ち染まりきった証拠……こやつは魔物じゃよ」
「魔物!?」
「まもの……?」
魔物と言えば確か魔族の先兵として瘴気をまき散らす獣の事だったはず。
「ってことは……コルキの中身もこんな真っ黒なんですか?!」
途中まで大声でツッコミそうになり慌てて途中から小声で言い直すミエ。
コルキが魔物だという事実は関係者以外に固く秘せられているのだ。
「それはちょっとかわい……いやどうですかね」
ミエは想像でコルキが自ら真っ二つに分かれて己の内部の黒い断面を見せながら「クロイヨ!」と言っている様を想像してみたが、正直あまり可愛くはなかった。
どうもゲルダの両断がよほど印象に強く残ったものと見える。
「お主また変な想像したじゃろ。そもそもコルキは魔物化しておっても闇に飲まれてはおらん。あやつは瘴気を放っておらんじゃろうが」
「あ、確かに」
「そもそも瘴気を放つようであればどんな性格でもわしらが許すはずもなかろうよ。でミエや。そも魔物の定義とはそもなんじゃ。以前教えたじゃろ」
「ええっと…神の似姿として造られた
ミエの答えにシャミルはウムと頷く。
「そうじゃな。わしら
そして……目を細め、冷たい口調でこう付け加えた。
「であるなら……人が魔物になったとしてもなにも不思議ではなかろう?」
「ふえ……?」
ミエはシャミルの言葉から数舜遅れてその真意を察し、背筋を総毛立たせた。
だってそれは……人が、人の肉を喰らったと言う事に他ならないのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます