第798話 呼召

「あいったたたたたたたたた……」


部屋に飛び込んできたゲルダに跳ね飛ばされ横の壁際まで吹き飛ばされて、けれど運よくソファの上にぼすんと落ちたミエが腰をさすりながらなんとか立ち上がる。

これもまた彼女が自身にかけた≪応援≫の力だろうか。



そして……目の前の光景を見て言葉を失った。



ゲルダが壁に向かって拳を打ち終わったままの態勢で止まっている。

その拳の先にはドルムの危機を知らせてくれた伝令兵が無残な姿をさらしていた。


壁際に、まるで磔にでもされるように叩きつけられ、その顔面はゲルダの拳で四散。

鼻から下、口元のみが残った状態でそれより上は壁にグロテスクなどす黒い花を咲かせていた。


「ちょ、え、ゲ、ゲルダさん! 何をやって……!」

「近寄んな! まだ終わってねえ!」

「ふえっ!?」


びくんと身を竦ませたミエの前で、ゲルダがすうと息を吸い、叫ぶ。


「ドビアリグゼ!!」

「っ!?」


ゲルダの叫びは共通語ではなかった。

だがミエはその単語を知っている。

ゲルダにがあるからだ。



けれど…



「死んだフリすんな。どうせこれっくらいじゃくたばらねえだろ?」

「…………………………」


もぞり。

その言葉を受けて……壁際の伝令兵、コイルの死体が蠢いた。


もぞり、もぞり。


ゲルダが拳を引き、ゆっくりと腰を下ろすのに合わせるように、顔面が半分吹き飛んだコイルの死体がその上体をのろのろと前に傾ける。


「やれやれ。うっかり無辜の兵士を殺害しちまった危険な巨人族とやらを演出してやろうと思ったのに…随分信頼されてるなア、ゲルダ」

「ふえ?」

「悪ィけどそーゆーのに引っかかる女じゃねーんだコイツは、なあコイル」

「ふええ?」


死んだと思っていた相手。

ゲルダが誤って殺してしまったと思った相手が生きている。

いや顔面が上半分吹き飛んで残った口元だけで会話している相手をと表現していいのかどうか微妙だが、少なくとも生きているかのような反応を返してくる。


それを睨みつけるゲルダの声は普段とは打って変わって剣呑、かつ冷徹で、今にもその巨人の血を引いた怪力で目の前の相手を八つ裂きしそうに見えた。


「あ、あの……コイル……さん? とゲルダさんてお知り合いだったんですか?」

「おーそうそう。昔馴染みさ。こいつの過去にキョーミねえか? なあ太守夫人殿。ちょっとこっちに…」

「来んなよミエ! コイツの狙いはお前だ!」


ミエを招くようにして、すっと彼女の方に一歩踏み出すコイルを名乗る死体。

だがそれを喰い止めようとするかのようにゲルダの膝が飛んで、その奇妙な死体もどきのみぞおちを思いっきり蹴り上げた。


めきょめきょ、と音がする。

肋骨がまとめて折れて、おそらく内臓に幾本も突き刺さった。

その惨状が想像できて、ミエは思わず顔を青くした。


「うえっぷ……ひっでえなあ。古馴染みに対する挨拶にしちゃあちょっと過激が過ぎるんじゃねえかア? なあゲルダ」


「知らねえな。確かにあたしゃアンタと同じツラの奴に心当たりがあるが、そいつァ顔面吹き飛んで生きてたりしねえし、あたしの膝蹴り喰らって平気で皮肉言えるほどタフでもなかったよ。どっちかっつーとそうなる前に口八丁でアタシを丸め込むタイプだ」

「あっちゃあ~~耳が痛いねえ。すっかりコイツに慣れっちまったからなア」


一見暢気な会話を交わしているように見えるが、ゲルダと口をききながらその男は懐から何かを取り出そうとしてはゲルダにその腕を掴まれへし折られ、逆の手で何かを抜こうとしてゲルダに肩を掴まれ腕をねじ切られていた。


会話しながら油断ならぬ何かをし続けるその男も不気味だが、それよりゲルダの怪力が勝っている。

というかとんでもない剛力である。

普段自分達の前で彼女がいかに気を使い力を加減しているのかミエは今更ながらに思い知った。


「おーひでえひでえ。ひっでえことすんなあお前。より酷くなってねえかア?」

「くっちゃべりながら当たり前みてえに人殺そうとすんのやめろ。変わってねえなそのあたりだけは」

「けどそんな俺のお陰で助かったこともあったろオ?」

「それ以上に殺しすぎなんだテメエは!」


じたばたともがきながら手足を蠢かすその生者とも死体ともつかぬ顔面のない兵士。

二人の会話からが今もミエの命を狙い続けていること、そしてそれをゲルダが阻止し続けている事がミエにも理解できた。


だが今の状況自体がよく理解できない。


二人は知り合い?

そもそもこの相手は人間?

それとも魔族?


なんで北門のセキュリティを抜けてこられたの?

そいうかドルムの危機を命がけで報せに来たはずの兵士がどうしてこんなことに?


畳みかけるようなわけのわからぬことの連続に、ミエは混乱した。


「さてさて……こいつぁいよいよヤバい状況になってきたな……っと」

「何があった……うわっ!?」


コイルを名乗るその死体が呟いたちょうどその時……騒ぎを聞きつけて外の兵士が半開きの扉から覗き込んで驚きの声を上げた。

それは太守夫人が控える客間で取っ組み合いが行われていれば驚くのは無理もない。

しかも一瞬遅れて取っ組み合っている片方の顔面が上半分ないことに気づいてしまえばそれは思わず声も出ようというものだ。


「しま……下がれ! 危ねえ!」


ゲルダが叫ぶも一瞬遅い。

コイルは先ほど折られたはずの腕の先、指と指の間にいつの間にやら投矢を四本挟み込み、部屋を覗き込んだ兵士に向けて投擲する。


……が、巨人族のリーチで無理矢理その射線上に腕を伸ばしたゲルダが、己の手の甲でそれを受け止めた。


「が……ぐっ!」


けれど相手の行動を阻止したはずのゲルダの様子がおかしい。

苦し気に呻きながら伸ばした腕を震わせだらりと下に垂らす。


彼女の手の甲……投げ矢の突き刺さった部分がみるみる紫色に腫れ上がってゆく。

先端に猛毒が塗られていたのだ。


「やれやれ……だからお前は甘いって言うんだゲルダ。自分の役目を忘れちゃアいけねえぜ」


呻き崩れ落ちるゲルダの拘束から抜け出して、顔面が弾けたままの伝令兵(?)コイルがゆっくりと身を起こす。

折られた腕も、肋骨も、まるで最初から怪我など負っていなかったかのよう。


「おめえの役目はよう……この女を護る事だろオ?」


ミエの方に、まるで語り掛けるようにそう告げながら、ナイフを抜き放ちつつ一気に肉薄する。


ミエにはそれに対抗する術がない。

背後は壁。

出口は左斜め前方だけれど、目の前にはその顔なし伝令兵。


逃げ場がない。

そして攻撃を避ける技術もない。

ミエは戦闘に関しては完全にど素人なのだ。


確かに彼女はこの世界にやってきて健康な体を手に入れたけれど。

以前とは比べ物にならないくらい活発に活動できるようになったけれど。

その中身である彼女自身にはろくに体を動かした経験がない。


肉体が覚えているのか歩行する程度であれば問題ないけれど。ミエ自身に激しい運動をした経験がなく反射的に体が動いてくれぬ。

だから今の彼女はただ固まってその一撃を受けるしかなかった。



「忘れて……ねえっ、つーんだよっ!!」



男の……いや化物の背後から、ゲルダの声がする。

だがその声は別の何かが放つ奇妙な音によってところどころ掻き消されていた。


じゃららららららららららららららら……

そんな、音がするのだ。


部屋の外から、が高速で近づいてくる音である。


じゃらららららららららららららら……じゃらんっ!

それは瞬く間に部屋の前まで辿り着き、扉の向こうからしゅるるるるる……と宙空を蛇のようにのたっくいながらゲルダの手に収まった。


斧である。

刃が銀色に煌めく金属製の斧だ。


そしてその斧の柄の先から鎖が伸びている。

これまた白銀に煌めく鎖……それが連なって連なって、その先端に分銅があった。


ゲルダ愛用の武器、白銀鎖斧ドビアリグゼが彼女の呼びかけに応じ空を裂きながら彼女の元へと文字通り飛んできたのだ。

≪呼召≫と呼ばれる、武器を呼び寄せる『曰く』である。



ゲルダは毒を受けた右手でその斧の柄を無理矢理握り、慣性で宙を走る鎖に左手人差し指を這わす。

するとその伸びた鎖が彼女の指先を起点に大きく軌道を変え、真横からその顔なし伝令兵に襲い掛かって、先端についた分銅の重みでぐるんとその腕に巻き付くと、彼が手にしたナイフを弾き飛ばした。


瞬間、ゲルダの左手がその鎖を掴み、思いっきり引き寄せる。

腕に巻き付いたままの鎖がゲルダの剛力によって彼の身体を大きくずらし、、なおもミエ相手に毒塗りの投矢を放たんとしていた彼の身体を無理矢理己の方へと向けた。


「オイオイ……そりゃあ反則だろ」


そして男が向いた先には……銀に煌めく斧を真上から振りかぶっている、巨人族の血を引く娘。


「顔もねえのに喋ってる奴に言われたかあないね」

「そりゃアごもっとも」


振り下ろされる、斧。







顔もないまま蠢き続けたその伝令兵を名乗った男は……

今度こそその中心線から真っ二つに斬って落とされた。








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