第801話 凶行

クラスク市の広報の一翼を担うもの。

それが街のあちこちに設置された拡声器である。



それが今……けたたましい音を上げて全力で警報を鳴らしていた。



「緊急警報! 緊急警報! クラスク市はこれより戦争状態に突入します! 各自襲撃に備え! 兵士は皆臨戦態勢に移行してください!」


ざわり。


放送を聞いた住民たちが静かにざわめく。

何者かが街を狙っていると言う事だろうか。


この街の警報には何段階かあり、掲示板や新聞などで住民にはあらかじめ周知されているし、子供達であればそれを学校でも学ぶ。


その内でも『』というのは最も警戒度の高いもので、何らかの軍隊やそれに匹敵する数の集団を相手にし、街中で戦闘が発生して市民に犠牲が出るリスクが高い、という想定である。

相当に危険な状態なのだろう。


けれど軍隊や軍団がこの街を狙っているのなら街に入ってきた行商やら隊商やららがそういう連中を見かけたと噂をし、そこから街の中にピリッとした緊張が走るはずなのだが、実際は今の緊急放送が流れるまでそうした空気は微塵もなかった。


一体何がどうなっているのだろうか。

もしかしてただの誤報なのだろうか。



「気を付けてください! 気を付けてください! 敵は魔族! 敵は魔族です!」



ざわ、ざわ……ざわざわざわ。

街の喧騒が一気に高まった。


「魔族……魔族?」

「魔族だって?」

「まあ大変!」

「魔族がこの街に攻めてくるのか?」


そう言われても街の者達はいまいちピンと来ていないようだった。



だがそれはある意味仕方ないことかもしれない。



オーク族が危険視されるのは縄張りを持ち近隣の村や通過する隊商に襲い掛かるからだ。

運よく生き延びた者の口から漏れ出たその話はいつしか流布し、或いは誇張され、彼らは恐怖や忌避の対象となる。


これはオーク族だけでなくゴブリンやコボルトと言った連中でも同じことだ。

いつ地上に這い出て村などを襲うかわからぬ地底の者どもも同様だろう。

被害に遭うから警戒するし、怖れるのである。


だが魔族の被害に遭う者は少ない。

彼らは北の闇の森ベルク・ヒロツに押し込められていて防衛都市ドルムが必死にそれを抑え込んでおり、それより南に来ることは殆どないからだ。


ただ実際には今回の件ほどではないにせよ魔族たちはドルムの監視の目を抜け各地で暗躍している。

彼らに命を奪われた者も少なくない。


だがそれらは『魔族による被害』とは見做されない。

なぜなら魔族どもは人皮を被り探知の目を逃れ街に潜伏し、人型生物フェインミューブに身をやつして行動しているからだ。


魔族どもの趣味嗜好を満たすため攫われて慰み者にされたり、或いは彼らの計画にとって邪魔な人物が殺害された時、表向きそれらの被害者は行方不明や事故死と言った形で処理されてしまう。


また金払いのよい好人物を演じる事の多い魔族どもは多くの人間族を惹きつけ、引き寄せ、彼ら魔族(が演じている人物)に取り入らんとする形で知らず魔族どもに協力してしまう者も出てくる。

そうした者の多くは人型生物フェインミューブのまま魔族の計画に助力し、その内でも特に素質のある者はいずれ魔族どもに誘惑され彼らの下僕となる魔物……魔人と化す。


このように魔族どもは知的かつ狡猾、そして計画的に振舞うため、仮に彼らにより被害が出たとしても魔族による被害だと認識されづらい。

それゆえ多くの者達にとって彼らは『防衛都市ドルムの向こう側の存在』でしかなく、危険な存在だと言い聞かされても対岸の火事的な感覚に陥りがちなのだ。


「魔族……魔族ねえ」

「やだわあ。本当なのかしら」

「でも警戒するって言ったってどうすればいのかねえ」


口々にそんなことを噂し合う。

まだまだ危機感が足りていない。


そんなと彼らに……

突然、影が差した。


「うわっ」

「コルキ様!?」

「ばうー」


コルキである。

全長4ウィーブル(3.6m)はあろうかという巨狼である。


かつては村の中を我が物顔で歩き回り走り回り、住人達に愛されてきた彼だったが、最近は街が大きくなりすぎたせいか雑踏が気に喰わぬのかめっきり街に入り込む頻度も減り、彼目的に観光に訪れた者も遥か畑の向こうを走る姿を目撃し運がいいと喜ぶ程度であった。


そのコルキがなぜか今日に限って街中にいる。

たちまち彼の周囲には人だかりができてすっかり囲まれてしまった。


「おー、コルキ様だ」

「俺こんなに近くで見たの初めてだよ」

「俺もだ」

「触っても怒らないかな……」


突然舞い降りた街の守り神に皆が興奮し、べたべたと触ろうとする。

だがコルキは少しうっとうしそうに身体をぶるんと震わせ、皆に距離を取らせた。


「ぐるるるるるるる……」

「……コルキ様?」


ただコルキの様子が少しおかしい。

彼は狼だが普段は愛想がいい方で、突然吠えたり噛んだりといったことは一切したことがなかった。

だからこそ街の住民に受け入れられてきたのである。


だというのに今日に限って妙にコルキの機嫌が悪い。

いつもは緩やかに(そしてミエのそばではぶんぶんと)振っている尻尾をピンと立て、低く低く唸り声を上げている。


これではまるで野生の狼そのものではないか。

いや大きさ的にはそれより遥かに危険な存在である。

一体どうしたと言うのだろう。


コルキは身を低く、全身の毛を逆立てて、その獰猛な牙を剥き出しにする。

明らかに戦闘形態である。


けれど周囲に敵はいない。

皆彼を見学に来た街の住民或いは観光客だ。

コルキは一体何に警戒しているだろうか。


「がるるるるるるるるる……」


ついにその唸りが明確な害意を伴うようになってきた。

その様相に怯え群がっていた者達が先程よりさらに距離を取り、結果コルキを遠巻きに取り囲むような恰好ろなった。


そんな中一人の少女がコルキを怖がりたたたた、と彼から離れるように駆けてゆく。

その先には先ほど噂話をしていた中年の女性がいた。


「おおよしよし、怖かったわね……」


彼女がその子を抱きとめようとしたその時……

突然コルキの前脚が伸び、その中年女性をを上から押さえつけた。


ぶぎゅる。


コルキの足には狼なのだから当然肉球がある。

その肉球で先ほどの女性を上から押さえつけたのだ。


けれどコルキである。

魔狼のコルキである。

その巨大な体躯から繰り出される肉球は、その重量と相まって途轍もない破壊力を生んでしまうのだ。


当然女性は地面に叩きつけられ、激痛の叫びを上げながらその下で呻き声を上げる事態となってしまった。


「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! いっ痛いっ! 痛いぃぃ! こっ! 殺さないで! 殺さないで! なんで! なんで! イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


悲鳴を上げながらヒステリックに叫ぶ女性。

まあ突然こんな目に合えば狼狽するのは当然である。


周囲に広がる混乱。

動揺と動転。


今までこんなことはなかった。

コルキが街にいる者を襲ったことなど、一度も。


魔族襲来の警報。

コルキの突然の凶行。

これは一体何を意味しているのだろうか。






大通りに、女性の悲鳴が木霊する。










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