第十八章 クラスク市の危機

第796話 儀式魔術

長い長い詠唱が続く。


ここはクラスク市魔導学院の上位階にある『方陣の間』。

普段であれば上級生たちの召喚魔術の授業などに用いられる部屋で、塔の階ひとつがまるまる召喚儀式や魔法陣の描画などに適した広い空間となっている。

クラスク市の魔導学院自慢の施設のひとつである。


ただ現在この部屋の入口には立ち入り禁止の立札があり、生徒たちは中に入る事ができなくなっている。

なぜならこの部屋の中では現在絶賛大魔術の詠唱中だからである。


部屋の中央には真新しい魔法円が描かれており、その周囲を数人の魔導師が囲んでいる。

彼らは皆朗々と呪文を詠唱している……が、なぜかその唱えている内容はバラバラだ。

そしてその中で一人、緊張に顔を青ざめさせつつ周囲に忙しく視線を走らせ、詠唱を行っている者がいた。


彼女の名はネザグエン。

この術のである。

学院長であるネッカが街を空けている現在、副学院長である彼女は当魔導学院の実質トップであり、さらに今は学長代理を任されてもいる。


だが一体彼女たちは何をしているのだろう。

てんでばらばらの呪文詠唱に何の意味があるのだろうか。


実は意味はある。

それも極めて重要な意味が。


……あらゆる魔術は魔術式により構成されている。

魔術式とはいわばこの世界の法則や真理そのものの公式化であり、この世界の法則を式で再現し、必要な魔力をそこに注ぎ込むことで、目の前でその法則そのものを発現させることができる。

例えば炎の爆発、降り注ぐ稲妻、重力からの解放……そうした様々な超常的な効果は、すべてこの世界の法則を式でその場に再現したものなのだ。


これは魔導術に限らず、神聖魔術や精霊魔術でも同様である。

だが神が作り出した魔術式を利用する神聖魔術や精霊それ自体が内包している世界法則を使う精霊魔術と異なり、魔導術は純粋の己の手でその式を計算し、組み上げ、そして構築している。


己で研究したり遺跡から発掘したりするのは他の魔術に比べて圧倒的に手間だし、面倒だしで苦労も多い。

だが反面魔導術には他の魔術系統にはない大きなメリットがある。


魔術のである。


例えば聖職者の唱える神聖魔術は強力な効果がある反面、その魔術式は全て神が構築したものだ。

聖職者が勝手に新たな治療呪文を開発したりする事はできない。


魔導師が未だ解析できていない治療系や蘇生などの魔術式は現状神々の専有と言ってよいが、聖職者たちはその式をただ享受するのみであり、細かい仕様の調整などは望むべくもない。


一方の精霊魔術は神聖魔術に比べるとだいぶ応用が利く。

精霊自体がこの世界の構成要素であり、例えば火の精霊であれば敵を焼く、着火する、熱を生む、火を消す、炎で火傷しなくなる……など凡そ火に関わる事であれば大概の事が実現できる。


ただし精霊がこの世界の構成要素であるため、それに反した事は行えない。

簡単に言えば火の精霊に『水の中に入って水を熱しろ』、と命じることはできない。

からだ。

似たようなことをさせたいのなら甕などに一度水を汲み置いて、その甕を熱するよう命じるしかない。


だが魔導術なら水を直接熱することが可能だ。

熱というのはこの世界の法則のひとつであり、魔術式によりそれを水の中に直接発生させれば水をお湯にすることが可能だからだ。


無論そうした呪文を研究開発する必要はあるけれど、こうした細かいところに手が届くような呪文開発は魔導術の専売特許と言っていい。


こうした応用力を利用して、魔導術は強力な魔術を開発することができる。


例えば大気中に漂う魔力を利用する。

例えば地脈に流れる魔力を転用する。

例えば複数の同意した術者から魔力を借り受ける。・

例えば魔術式の中に増幅術式を組み込んで集めた魔力をさらに強化する。

或いは魔力の流れを細かく計算しより少ない魔力で術が発動できるように改良する。


こうした様々な工夫を凝らすことで、魔導術は強大かつ強力な呪文をよりできるのだ。


ただし、そうすることによって当然ながら大きな代償が発生する。

のだ。


これが多少の効果なら問題ない。

だがある程度以上強力な呪文…例えば人型生物フェインミューブが単体では決して届き得ない高み…英傑呪文フォーリット・トゥヴォールの域に達する呪文を無理矢理唱えようなどとすればその魔術式は膨大になってしまい、あまりに巨大すぎて魔術式を圧縮できなくなってしまうのだ。


こうなると詠唱期間は数日、時に数か月や数年かかることすらあり得る。

流石にとんでもない膨大さであって、これでは術者の方がもたない。

途中空腹や疲労などで集中が乱れ、呪文消散ワトナットするのがオチだ。



こうした魔術を唱えるために研究されたのが…いわゆる『儀式魔術』である。



呪文詠唱というと一人の術者が一つの呪文をを唱える、というイメージがあるが、それは思い込みだ。

魔術式というのは要は式として成立さえしていればいいわけで、つまり複数の術者が同じ呪文を幾つかに切り分けてそれぞれが別の個所を唱えても、最終的に式が完成してさあえいれば呪文効果は発揮される。


のだ。


だが圧縮可能な程度の呪文では分割する旨味がない。

儀式魔術はいわば強大かつ膨大な詠唱を必要とする呪文を唱えるために開発された手法と言えるだろう。


呪文の詠唱には結節点というものがあり、結節点から結節点の間の詠唱はそれぞれの順番が多少前後しても許容される。

儀式魔術ではこれを利用して複数の術者にその中間の詠唱を分割して唱えさせ、合間合間に結節点を唱える事で、呪文の詠唱時間を大幅に短縮している。


例えば結節点A。中間の詠唱B・C・D・E・結節点Fがあった場合、単独の術者がこれを唱えるならばこの詠唱はA→B→C→D→E→Fとなり六単位になる。

だが儀式詠唱では『結節点を唱える術者』『B/C/D/Eをそれぞれ個別に唱える術者』を用意することで、この詠唱をA→(B+C+D+E)→Fと三単位に圧縮できるのだ。


この時結節点を唱える術者がその呪文のメイン詠唱者、それ以外のパートを受け持つ術者が補助詠唱者となる。

このメイン詠唱者が…先述した『主唱者』というわけだ。


さらに高度な儀式魔術になれば魔力を維持する結界を同時に展開することで詠唱と魔力をそこに貯めこみ、それにより詠唱を一時中断、翌日また詠唱を続きから詠唱を再開…などと言ったプロセスを経る事で二日以上の長期詠唱を可能とする。



儀式魔術とはいわば魔導術の技術の粋を尽くした奥義と言っても差し支えないだろう。



さて…ネザグエンが主唱者として行っているのは間違いなく儀式魔術なのだが、だとしても一体どんな呪文を唱えているのだろう。

儀式魔術を必要とするほどの何かが、あるというのだろうか。



「…|いざや舞え、降りて爆ぜよ。全てを解き放たん《ー・ククゥ・インクレックプ・ルクァップ・ヴォッカド・イスヴァフ・イスヴァフ》」



詠唱の最後の一小節が唱えられ……そして、儀式魔術が完成した。



『〈キブコフ・カイニック・ソウビ〉!!』



途端、青白い光が彼ら術者の中心に集まる。

それは床から立ち昇るように天井を貫き、一瞬の煌めきを残し消え失せた。



だが大爆発が起こるでもなく。

地震が起こるわけでもなく。

天変地異が発生したわけでもない。


一体今の呪文はなんだったのだろうか。


「……副学院長殿」


儀式魔術の詠唱者の一人、人間族の魔導師イルゥディウが汗みずくになりながらそう口にした。

膨大な精神集中からやっと解放され、荒く息を吐いている。


「はい」

「これは……やはり」

「…そうですね」

「おおー、やっぱりよそーどーりだったねえ」


二人の会話に割って入ったのはもう一人の共同詠唱者、ノーム族の魔導師アウリネルだ。


「ま、わかってたことだけど?」

「ですが確証を得なければ先には進めません」

「そだねー」


彼らが議論している対象は…魔法陣の中心にあった。



それは死体である。

教会で〈保存ミューセプロトルヴ〉の魔術をかけてもらい防腐処理をした複数の死体である。


以前街中でアルザス王国第三王女エィレッドロが謎の中年男に襲われた事件を覚えているだろうか。

あの時の占術による調査では、彼は『人間』、と診断された。


そしてそれ以前にも幾つかあった事件…『隠れ里』ルミクニに移住を望んだ異種の怪物たち…その内の幾匹、或いは幾人かはサフィナが過剰に怯えるため不合格となり、そのまま詰問すべく連行しようとしたところ突如暴れ出して死傷者を出した。

魔法陣の中央に安置されていたのは、そんな彼らの死体である。



…いや、そんな彼らの死体



儀式魔術の魔力の渦が過ぎ去った後……そこには別のものが転がっていた。


ねじくれた角。

赤黒い体躯。

禍々しい容貌……



それは明らかにの身体的特徴であった。



大霊核解呪キブコフ・カイニック・ソウビ〉。

それが彼らが唱えていた呪文。


通常の占術では見破れぬ彼らの偽装を、強大な儀式魔術で遂に打ち破り、ネザグエンたちはその正体を看破した。



だが……それは同時にある事実を彼らに突きつける。





既存の占術では見破れぬ高度な偽装を施した魔族が……

そして、この街の魔術的セキュリティを突破した魔族どもが、この街にどれだけ潜んでいるかわからない、という厳然たる事実を。




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