第794話 (第十七章最終話)幾重もの罠
ネッカの疑問をよそに、クラスクは真剣そのものの表情で悩んでいる。
「イヤおかシイ。コイツラ出撃すルべきダッタ」
「わふ……?」
「少なくとも一度は、決死の出撃をするべきダッタ」
「わふ?!」
「ダガ……それをシナイ理由も明らかダ。完全に誤算ダッタ」
「……どういうことでふ?」
クラスクの剣幕に押される形で、ネッカが尋ねる。
「こイつら魔族ドモに包囲されテル」
「はいでふ」
「こイつら籠城シテル」
「はいでふ」
「これマデ籠城シテ打っテ出ナイノハナンデダ」
「それは……魔族に騙されてもうすぐ救援と物資が来ると思っていたからで……」
ネッカの言葉にクラスクは強く頷いた。
「そうダ。コイつらには今日マデ危機感がナかっタ」
「皆無とまでは言わないでふが本来の状況を鑑みれば確かに危機感は薄かったと思いまふ」
「ダから必死に助けを求めナイ。城に籠っテ助け待っテタ」
「そうでふね」
「ならナンデうちに早馬届イタ」
「わふ……?」
クラスクの言葉にネッカの思考が一瞬止まる。
おかしい。
言われてみれば確かにおかしい。
〈
つまり伝令役の早馬を出すなら物理的に城から出さなければならない。
だが魔族たちのあの包囲網を単身で抜ける事はまず不可能だ。
単身と言っても実際には各国…最低でも最寄りのクラスク市と自国の首都であるギャラグフの二方向に早馬を出すはずだが、だとしてもあの包囲網を突破するのは無理だろう。
なぜなら魔族は〈暗視〉の上位版の力を持っている。
通常の暗闇であればたとえ洞窟の中や地底であってさえ見通す事ができる〈暗視〉能力。
ドワーフ族やオーク族のような地底で暮らしていた者達が身に着けている力だ。
だがそんな彼らでも見通せないものがある。
魔術で生み出した暗黒だ。
それは光が遮られる事によって結果闇になったのではない。
完全なる闇そのものを発生させているため、〈暗視〉では見通す事ができないのだ。
けれど魔族たちはそんな魔術で生み出した暗黒すらも見通す事ができる。
ゆえに魔族達には闇討ちも通じないし深夜に紛れての脱出行も通用しない。
だから彼らの囲みを抜けて救助を求める早馬を出すなら、城の総力を以って出撃するしかない。
戦って戦って、少なからぬ犠牲を覚悟して、なんとか包囲網の一角を切り崩し、そこから早馬を放ち救助を求めるしかないはずだ。
それも空を高速で飛行する魔族どもの追っ手を切り抜けながら、である。
クラスク市に向けて十騎の早馬を放って辿り着くのはせいぜい一騎、二騎といったところだろうか。
クラスク市もクラスク自身も、そんな風に想定していた。
事態があまりに危急だったため、そうであると思い込んでいた。
だが実際には違っていた。
ドルムは確かに危機的状況ではあったけれど、彼ら自身にそこまでの危機感がなかったのだ。
考えてみれば当たり前である。
自分達が危難に瀕している事は自覚していても、報告上はももうすぐ助けが来ることにもなっていたのだ。
無論それは魅了された通信士による偽の情報ではあるけれど、彼らはそれに騙されていた。
だから出撃して少なからぬ犠牲を出しかねない、そして兵力が減った結果城が落とされるリスクのある伝令兵など出そうはずがないのである。
さらに言えば上で犠牲を覚悟して、と言ったけれどそもそもドルムの包囲網は見た目ほど厚くない。
クラスク達が突破した時、魔族の間にそうでない連中が混じっていた。
どんな連中なのかまでは確認できなかったけれど、魔族より強いことはないだろう。
そんな連中で水増しした、しかも北方回廊と各通信妨害の為に手勢と戦力を削いだ状態の魔族包囲網は実際にはそこまで苛烈で凶悪でない可能性が高い。
極端に言えばハリボテの包囲網でドルムの動きを封じているようなものだ。
だから一度出撃しているならドルム軍はそれに気づいていたはずで、そうであれば今このような膠着状態が維持されているはずがないのである。
つまり……どこをどう考えても、ドルムが早馬を出した事実はない。
あの早馬は、ドルム側の出した救援要請ではなかった、ということになる。
だがそれなら誰だ?
誰があの早馬を出した?
そんなものは決まっている。
だって現状ドルムの包囲について知っているのは二つの勢力しかない。
包囲されているドルムの者達と。
包囲している魔族軍である。
片一方でないのなら、消去法でもう答えしか残らないのだ。
「魔族が……魔族がクラスク市に早馬で報せたんでふか……?!」
「そうなル。あの伝令兵の家族探シタ。知り合イデモイイ。ダから兵舎デ聞イタ。誰も知らナかっタ。キフォクヴォー・コイルナンテ名前の兵士ハ、この城に存在シナイ」
「…………………!!」
ぞくり、とした。
魔族が自ら知らせた。
つまり罠だったのだ。
彼らはそれに乗せられ、のこのこここまで来てしまったということになる。
心胆を寒からしめたネッカは、だがすぐにそれに思い至った。
なぜ自分達は疑わなかったのか?、と。
答えは簡単である。
「でも……それに一体なんのメリットが……?」
そう、それである。
それがネッカが、クラスクが、いや円卓会議の誰もがあの報せを疑わなかった理由に他ならぬ。
魔族が自らドルムの危機を知らせる意味がまるでないからだ。
だって報せが届かなければドルムの危難はあの時点で各国の誰もが露ほども知らなかった。
魔族達は完全に情報遮断に成功しており、情報戦に於いて完勝していたのである。
クラスク市に報せなければ遠からずドルムの周囲は完全に瘴気地へと変じ、そして魔族の猛攻の前にドルムが陥落、その後キャスの推測通りクラスク市に攻め込んできたはずだ。
それをわざわざ彼ら自らが知らせることなどあり得ない。
何の意味もないではないか。
それゆえにこそ……あの伝令兵は信用されたのだ。
あの時点でドルムの危険を知らせる意味がある、価値があるのはドルム側の手の者に他ならないのだから。
「決まっテル。俺達がここにイル。それが奴らノ狙イダ」
「ネッカ達が……つまり釣り出されたって事でふか?」
「そうダ。俺達は突破すル時ここの包囲網が薄イ気づイタ」
「はいでふ」
「その分北方回廊デギャラグフから出立シタ騎士団を迎え撃つのに割かれタト考えタ」
「はいでふ……というかそうではないんでふか?」
「……フト思ッタンダガ、ここを手薄にシタ余剰の魔族ドモデ、もう一軍作れナイカ?」
「わふ……?」
ぱちくり、とネッカが目をしばたたかせ、その後一気に真っ青になった。
そう言われてやっと、魔族どもの狙いが理解できたからだ。
「ク、クラさま、それって、もしかして……」
「そうダ。魔族が攻め滅ぼし、拠点トすルのハ……別に硬い岩ミタイニ護り固めテルドルムデナクテモイイ。クラスク市デモイインジャナイカ?」
「…まさか、そんな!」
「そうダ。奴らの本当の狙イハクラスク市ダ」
ぞくり、とした。
だがそれなら確かにあの伝令の役目は理解できる。
クラスクとネッカ、いやクラスクと彼に随伴する強力な誰かをクラスク市から引き離すためだ。
ドルムに押し込めて、閉じ込めて、クラスク市の防衛に手を貸させないためだ。
だがネッカが震撼したのはそこではない。
魔族どもが造り上げたこの状況それ自体に震えたのだ。
なぜなら仮にあの手紙が魔族からの罠だと気づいたとしても、彼らはそれでもドルムの救援に赴かなければならない。
なぜならドルムは食糧難と包囲戦の上に偽情報で堅く守りを固め間接的に瘴気地を生み出す助けとなってしまっている。
放っておけばクラスク市の北方に一大瘴気地が誕生しドルムが落ちて、そのままその余勢をかって魔族全軍がクラスク市に襲撃をかけてくることになるだろう。
そうなれば寡兵のクラスク市に勝てる見込みはない。
だからあの手紙の差出主に気づこうが気づくまいが、あの兵士を疑おうが疑うまいが、そしてドルムの救援に赴こうが無視しようが、どう足掻いても魔族側が戦略的に有利に事を進められるのだ。
情報管制を敷いて、寡兵でのドルム包囲を成立させている事により浮いた魔族どもの友軍の存在が、それを可能にしている。
つまり……あの選択肢を突きつけられた時点で、クラスク達は既に負けていた。
幾重にも塗り重ねられた罠の、どこを踏み抜いても敗北が待っていたのだから。
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