第790話 にらみあい
さて、クラスクは石工職人たちと城壁の修繕を急ピッチで進めている。
クラスクはクラスク市の太守でありかつオーク達の族長ではあるが、こうした時に出しゃばって勝手に指示を出したりはしない。
このあたり、ゲヴィクルを除く他のオーク族の族長たちとはだいぶ違う。
彼は石工たちは専門職であり、よく知らぬ己が口を挟むより彼らの判断の方が優れているだろうことを理解しているし、そうした時相手に従って下働きに徹するのも厭わない。
クラスク市で方々に顔を出している時も、彼は現場で力仕事などを気軽に手伝ったりするけれど、市の決定による大局的な判断はともかく、現場作業に於いては基本現場監督の意見を素直に聞いて作業に従事する。
そうして作業しながら、彼は心の内で己自身が指示するとしたらどうするだろう、などと常に考える。
それが現場の親方の指示と同じであったなら己の判断の正しさに満足し、もし違っていたならなぜ違ったのか、どちらの方がより正しく効率的だったのか、などと考えつつ己の施策えをブラッシュアップしてゆくのだ。
「ヨシ、はめ込んダ!」
「おー、これでしばらくは持ちそうだ」
「となったら……」
「「撤収~~~~~~!!」」
城壁近くから一目散に逃亡する石工たち。
彼らは立派な体格をしてこそいるがれっきとした非戦闘員であり、魔術に対する抵抗力なども皆無に等しい。
そんな彼らが先程までいつ魔族どもの妖術で大爆発が起きて大火傷を負うかわからぬ場所で作業していたのだ。
ドルムというのはなかなかどうして侮れない人類の防衛戦のようである。
などとクラスクは一人感心する。
「いやーアンタが手伝ってくれて助かったよ!」
「こっちこそ為にナっタ。礼を言ウ」
「礼を言うのはこっちの方さ! お陰で予定よりだいぶ早く終わったしな!」
「にしてもアンタ筋がいいな。どうだい、この街に来て石工にならないか? オークの石工なんて見たことないが、アンタならきっといい腕の石工になれるぜ」
「それもイイナ。その時はよロシく頼ム」
「おう、任せとけ!」
どっと湧く職人ども。
つい先刻まで驚き怯えていたはずの相手と、今では肩を組みながら楽しげに笑っている。
共に危険な場所で仕事を成し遂げた仲間だからという以上に、これはやはりクラスクの人徳なのだろう。
「お、いたいた! 探したぜそこのオークさんよ!」
と、そこに城壁の上から声がかかった。
どうやらクラスクの事を言っているらしい。
クラスクは顔を上げてその声の主を見た。
逆光で顔はしかとはわからぬが中肉中背の人物で、声量と発音からすると人間族の若い男だろう。
腰に大剣を差しており、それがいささか妙な印象を与える。
すごく抜きにくそうに見えるからだ。
「よ……っと!」
城壁の上からひょいと身軽に飛び降りてきた人物はだいたいクラスクの先ほどの推測通りの男だった。
軽装ながら良質の装備を身に纏っていて、一目でこの城の兵士などではないことが見て取れる。
この街の雇用状況を考えると十中八九冒険者ではないだろうか。
「おお、オーツロ様!」
「オーツロ様だ」
「オーツロ様!」
石工たちが口々に囁き交わし、彼に頭を下げる。
どうやら名の通った人物であり、また街の住民に敬意を払われている男のようだ。
とすると高名な冒険者なのか、それともこの街で高い功績でも上げて彼らに恩を売っていたのだろうか。
「……………………」
そのオーツロと呼ばれた男をしげしげと眺めていたクラスクは、だがやがて眉をしかめ、なにやら不機嫌そうに睨みつける。
「オイオイまじかよ…」
そして朗らかに話しかけてきたその男……オーツロと呼ばれた人物もまた、その口元から笑みを消し、目を細めクラスクをじいと見つめる。
漂う緊張感。
知らず息を飲む周囲の者達。
やがて二人はじり、と互いに一歩ずつ後ろに下がって小さく息を吐き、それに合わせて周りの者達もどっと肺から息を吐き出した。
そして大きく深呼吸しながら自分達が今この時まで呼吸することをすっかり忘れていたことに気づき、背筋を凍らせる。
見物者達の総身にいつの間にか汗を滲んでいる。
短いような長いような奇妙な二人の睨み合いだったが、どうやら知らずそれに当てられてしまったようだ。
「悪いね、巻き込んじまった」
苦笑しながら石工たちに謝罪するオーツロ。
「あの……」
「お、なんだい? 迷惑かけちまったお詫びにどんなことでも聞いてくれ」
「さっきのは、一体……」
あの迸る緊迫感。
圧倒的なプレッシャー。
互いの眼球から光線が放たれるかと錯覚するほどの睨み合い。
あの時一体何が起こっていたのだろう。
彼らはそれが知りたかったのだ。
「ああいやすまんすまん。ありゃただの値踏みだ」
「値踏み……?」
「そうそう。この城に単身…つっても実質二人か? で突入しようだなんて大それた野郎がどれくらいの実力なんかなとちょっと気になってな」
「ははあ…」
石工たちはこの街でこれまで見かけたことがなかったクラスクが外からやってきたことは察していたが、まさかそんな少人数で魔族の包囲網を突破してきただなどとは思わず目を丸くした。
「それで、その結果は?」
「……斬れナかっタ」
悔し気に、頬に一筋の汗を流しながら、クラスクが呟く。
「斬ろウトシタのに、斬れナカッタ」
「そりゃこっちの台詞だ」
肩をすくめながらオーツロがクラスクを睨みながらため息を吐く。
「だいぶ腕は磨いてきたつもりだったんだがな。まさか仕留め損ねるとは……」
どうやらこの二人、互いに剣を抜くことなく相手の実力を推し量っていたらしい。
そして結果は…引き分け。
クラスクはオーツロを己の斧で叩き伏せることができなかった。
そしてオーツロもまたクラスクを己の剣で切り伏せることができなかった。
どうやらお互い相当悔しかったようで、幾度も相手を睨みつけては「ダメダ……」「オイオイオイ……」などと呟きながらその都度首を振る。
「そういやアンタ、クラスク市から来たんだろ? 共通語話せるオークなんてこの地方に他にいるとは思えんしな」
「ソウダ」
オーツロの言葉にクラスクは小さく肯く。
「つーてもクラスク市のオークがいくら強いからってアンタみたいなのがそうそういるとは思えねえ。あの街でも一番強い奴がアンタでなきゃ困る。ってことは…あんたがクラスク市太守、“赤竜殺し”のクラスクか?」
「ソウダ」
おお、と周囲がどよめく。
彼らとて噂くらいは聞いたことがある。
かの赤竜イクスク・ヴェクヲクスを討伐した大英雄が現れたと。
そしてそれはあろうことかオーク族の戦士だったというものだ。
噂に相槌を打ちながら、けれど彼らはそれを話半分に聴いていた。
あまりにも荒唐無稽な話だったからだ。
だが目の前のオークを見て、そしてあのオーツロの話を聞いて、彼らも考えを改めた。
確かにこのオークならそれを成し遂げても不思議ではない、とそう信じさせる何かがクラスクにはあったからだ。
「俺モ同ジダ。俺が俺ノ斧デ倒し切れナイ思ウ奴そうそうイナイ」
そしてクラスクもまた…そのオーツロを名乗る男の正体にあたりが突いていた。
「『オーツロ』……
ふんす、と鼻息荒く、クラスクはオーツロを指さした。
「お前……荒鷲ナントカ団ッテイウ冒険者ノリーダーダナ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます