第779話 派手な入城

その銀の馬車…蒸気自動車に搭乗し、防衛都市ドルムへの突入を敢行しているクラスク市太守クラスクは、対魔術妖術への備えをした上で突撃している。

火炎球カップ・イクォッド〉の集中砲火を受けなお走り続けるその車両を見て魔族どもはそう確信した。


仮定として、もしかしたらクラスク当人は〈火炎免疫ウーサマーニュ・オラフ〉によって守られているのかもしれない。

だがその呪文は『対象:生物』であって彼の乗用物を守ってはくれない。

彼が操っているその車両はとっくに破壊されていなければおましいはずだ。


またそうした属性耐性系の呪文は別の属性…例えば雷属性や冷気属性には無力だ。

魔族には魔導術を修得している者もいるのだし、一点読みで一部の属性のみに耐性を施すのはリスクが高い。


ならば、なんだ?


一瞬の間。

そして魔族どものほんの僅かな動揺。

見ているだけではその間に何が起こったのか把握できぬだろう。


魔族の中には妖術として〈解呪ソヒュー・キブコフ〉が扱える者がいる。

要は呪文を詠唱することなく単に念じるだけで〈解呪ソヒュー・キブコフ〉を飛ばせる、ということだ。

使用回数に制限こそあるものの非常に強力な能力と言えるだろう。


先程の一瞬の間。

その時複数の魔族が同時に〈解呪ソヒュー・キブコフ〉を飛ばしていた。

クラスクにかけられた防御魔術を剥がそうと言うのだ。


だがその効果は発揮されなかった。

幾つかは爆風と爆炎の中で対象を視認できず呪文消散ワトナットし、そしてクラスクを対象として捉えた妖術は効果を発揮せず霧散した。


間違いない。

対抗魔術によるものだ。


彼ら魔族は下手な人型生物フェインミューブ達よりよほどそのオーク族の太守を高く評価していたけれど、それでも彼が魔導術を、それも高度な対抗魔術を用いられるとは思っていない。

つまり姿は見えぬが間違いなく彼とは別の術師がそこにいるはずである。


それが誰かなど言うまでもないだろう。

かの赤竜を以てすらその呪文の殆どを封殺された対抗魔術の第一人者、ドワーフ族希代の大魔導師にしてクラスク市魔導学院学院長ネカターエルその人である。


ドルムを守る不可視の結界。

通過しようとする者の精神に強い打撃を与え、延々と心を苛む陰湿な呪詛。

精神生命体である魔族どもが下手に喰らえばあまりの痛みのあまり倒れ伏し、継続する苦悶からその場に縫い留められたように動けなくなってしまう恐れすらある危険なものだ。

ゆえに魔族どもは結界の外から城を破壊し、その結界の目標である『城』を対象不適切に変えんとしてきた。


元から肉体を有する人型生物フェインミューブであらば魔族どもよりは若干影響が少ないだろうが、それでも並の戦士や兵士などであれば余りの痛みにそのまま昏倒し意識を手放してしまう。

それに耐えられるのはよほど屈強で強靭なメンタルの持ち主か、或いは呪文を唱えるための高い精神力を有し、魔術的性の高さから呪文に対する抵抗値が高い高位の術師に限られるだろう。


クラスク市の術師なら魔導学院学院長ネカターエル、副学院長ネザグエン、そして司教イエタなどが該当する。

それが魔族どもの認識だった。


クラスク市の術師は最近急速に数を増やしている。

魔導学院が設立され、また信者を教導する教会も一気に増えた。

人口に対する術師の数だけならかつてとは雲泥の差がある。

だが中位以上の強力な魔術や奇跡を唱えられる者となると一気に数が減る。

クラスク市で修業を積んでいる術師が少ない……というか、そもそも歴史が短すぎるからだ。


ネザグエンの次の魔導師となると学院のイルゥディウやアウリネルなどが該当するが、前の二人に比べるとだいぶ小粒だ。

実力者、という点に於いては親衛隊長のキャスバスィが挙げられるが、彼女の強みは魔法剣士としての戦術にあって、今回の結界突入に於いてはそこまで脅威でもない。


となると……対抗魔術の経験があり、素早い判断力を有し、これほど大量の魔術による波状攻撃を受けながら致命的なものだけ的確に撃ち落す実力者、となればもう一人しか該当がいない。

そう、魔導学院学院長のネカターエルである。


太守クラスクはクラスク市の要である。

彼を護るために学院長自らが乗り込んでくることは十分あり得る話だ。



あり得る話だというのに……なぜ魔族どもは二度もその攻撃を防がれてしまったのだろう。



…実のところ、彼らは意表を突かれたのだ。

のである。


高い知能があると言いながら何を……と思われるかもしれないが、それについては魔導師という存在のに問題がある。


魔導師は研究職であり、冒険に出たり戦争に参加するのはあくまで己の魔導術に対する支払われる高い報酬ゆえだ。

湯水のごとく研究費用を消耗する彼らは幾ら金があっても足りぬからである。


だが彼らは命を賭してでも大金が欲しいわけではない。

のだ。


なぜなら彼らが求める金銭はあくまで研究費用。

研究は己が生きてこそである。

ゆえに魔導師は基本どんなに報酬が高額だろうと死地へと赴くような依頼は決して受けないものだ。


まあドルムにも魔導師はいるのだけれど、彼らの多くは冒険者であり、魔導師の中ではだいぶ変わり者な連中ばかりである。


そうした状況の中でクラスク市の魔導学院学院長の立場を考えてみよう。


学院に籠っていればいくらでも研究ができる立場である。

予算の配分なども己のほしいままだ。


さらにドルム突入には魔族の包囲網を突破する必要があって、かつ無許可で突入しようとすれば術師にとって致命的な精神的な攻撃を受け続けることになる。

魔術には高い精神集中が必要なため、そうした状態で呪文を唱えればいつでも集中が乱され呪文消散ワトナットの危険があるのだ。


さらにクラスク市に送られた情報から、一度ドルムに入ってしまえば魔族どもが張り巡らせた罠により≪転移ルケビガー≫などの魔術でそこから逃亡することが不可能であることも彼女は知っているはず。


つまりここは危険極まりない死地であり。

そして一度入ってしまえば自力で抜け出せぬ牢獄だ。


そんな場所に自ら乗り込む魔導師がいるなどと魔族どもは思いもしなかったのである。


もちろんネッカにはクラスクに同道する理由がある。

そうしなければクラスクが死んでしまうかもしれないという不安と、彼を護らねばという使命感と、それにも増して強い強い愛情があるからだ。

彼女の人となりをよく知る者であればネッカがこの決死行に同道することは十分納得できるものである。




だが……魔族どもにはそれが理解できぬ。

人の悪意や欲望には異様に聡く敏感な彼らは、けれどのだ。




それについてはいずれまた詳しく述べるとして、ともあれ彼らはネッカの愛情がゆえの行動を予測できなかった。

そのためクラスクへの集中砲火はネッカ…どこにいるのか不明だが…の対抗魔術の前に二度にわたり防がれてしまったわけだ。


だが三度目はない。

対抗魔術はどんな強大な魔力の攻撃だろうと打ち消すことが可能だが、一度に幾つもの呪文を同時に打ち消せるわけではない。

要はネッカが防ぎきれないほどの大量の攻撃魔術や妖術を、同じタイミングで同時に解き放てばいいだけだ。


彼らはそう思い定めて……


「ッ!?」


そして、放たれた魔術に胸を貫かれた。


城である。

城から飛んできた攻撃魔術が魔族どもの幾体かを貫いたのだ。


これまでそうした攻撃は殆ど城から飛んでくることがなかった。

やるだけ無意味だからである。


なぜなら攻撃魔術は射程が短くなるほど威力が高くなる傾向があり、逆に言えば結界の外で包囲している魔族どもに城から攻撃魔術をぶつけても大ダメージを与える事は難しい。

それも魔族に通用するような魔術結界を貫通、或いは無効化するような呪文であれば効果が高い分さらに威力が下がり、ますます致命傷は与えられない。


そしてそうして苦労して与えたダメージも、魔族どもには高速の自然治癒能力があるため、ちょっと前線から退いてたむろしているだけで瞬く間に傷が塞がってしまう。

つまり攻撃魔術を飛ばすだけ無駄なのだ。


にもかかわらず撃って来たと言う事は…それは援護だ。

ドルムの者達がクラスクを迎え入れんと援護射撃をしているのである。


(今でふ!)


どこかで響いた声。

そしてそれに続く朗々たる詠唱。


我が精を抉り喰らいて励み起こせイクェド・ウヴァウ・カソロクス・ユゥ・ルイ・フヴァ・ラス! 『召破式・七ヴィニッカークリ』!!」


かつて〈魔術強化ソヒュー・ルヴァグスヴィ〉を使用せねば届き得なかった域の攻撃呪文。

けれど今の彼女はそれを十全に唱えることができた。



「〈流石雨ウカムク・ツェック〉!!」



巨大な岩が魔族ども…その一部、数十匹の頭上に墜落する。

巨大な質量が彼らの脳天を直撃した。


この呪文は魔族どもの魔術結界によって防ぐ事はできない。

なぜならこの術の効果は巨大な岩を召還したところで既に切れている。

落下し相手を痛打する岩はただの岩塊であり、魔術でも何でもないただの物理的な衝撃に過ぎないからだ。


一方でそれは単なる物理攻撃であるがゆえに、魔術結界では防げなくとも物理障壁によって阻まれてしまう。

だからそのダメージの多くは防がれ、また受けた傷もすぐに回復されてしまうことだろう。


だが…岩塊を脳天に受けることによるを消す事はできない。


それは痛みと共に精神集中を乱し、そして乱れた精神力では魔術も妖術も維持できぬ。

そう、呪文消散ワトナットである。


ネッカは千載一遇のチャンスを逃さず彼らの魔術行使を失敗に終わらせて……






そして……蒸気自動車が爆音を上げながらドルムの開かれた城門を走り抜けた。





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