第774話 『対象を取る』

オーク兵達が騎馬隊を編成し、大量の食料を満載してドルムへと向かう。

魔族どもと必死に戦い、あと一歩で城へとたどり着く……といったところで。結界に頭を殴られて昏倒。

そのまま魔族どもに炎の魔術などで焼き尽くされ悉く火葬……


考えるだに最悪で、そしていかにもあり得そうな末路である。


なにせオークどもは物理的な耐久性こそ人型生物フェインミューブトップクラスであるものの、精神攻撃にはからきし弱いからだ。


「数少ない希望は、それゆえ魔族どもは現在強引な城攻めを行っていないとであろうという事だ。無理に攻めて物理的に死亡するより、周囲を包囲したまま瘴気が満ちるのを待ちつつ攻撃魔術や妖術を雨のように降らせて城壁を破壊し方が確実だからな」

「結界を……解除ですか?」


うん? とミエが少しだけ引っかかる。


「ええと……お城を守るその精神攻撃をする結界……ですか? それも魔術なんですよね。こう〈解呪〉とかはできないんです? 」

「無理でふね」


ミエの質問に答えたのはキャスではなくネッカだった。


「〈解呪ソヒュー・キブコフ〉には幾つかの使用法がありまふが、そのいずれも最大範囲は20フース(約6m)四方程度まででふ。対象が生物でそのサイズより大きい場合は例外でふが、基本城にかかった結界魔術などは大きすぎてんでふ」

「なるほど……じゃあさっきの魔族さんが『結界を解除する』っていうのは?」

「ええとでふね……」


重ねての質問にネッカが黒板前へと移動し、キャスが横にどいた。


「例えば『対象:生物一体』の防御魔術があったとしまふ。対象の皮膚を硬くして攻撃を防いでくれる呪文としまふ」

「はい」

「でふが戦いの最中に毒や呪いなどその防御魔術では防ぎようのない攻撃を受けてしまい、その人物は死んでしまったとしまふ」

「きゃー! たいへん! す、すぐに助けましょう!」

「落ち着けミエ。あくまで仮定の話だ」


慌てふためくミエにキャスがツッコミを入れた。


「助けに入るとしてもでふ。その前に確認することがありまふ。亡くなった方にかかった防御呪文はどうなると思いまふか?」

「ふぇ……?」


ううん?

ミエは少しだけ考え込んだ。


「ええっと……呪文には持続時間がありますよね」

「ありまふね」

「なので持続時間が自然に切れて呪文の効果が切れる……じゃあ質問の意味がないですよね」

「そうでふね」

「ええっと……」


腕を組み、首を傾けミエは考える。

ネッカがこういう文脈の聞き方をする時は解けない質問はしないはずだ。

それならヒントはこれまでの説明の中に全部入っていることになる。


「とすると……あ! わかったかもです! 対象が『生物一体』の呪文で相手が死んじゃった場合、それはも生物じゃないからその魔術効果が……?」

「正解でふ。その場合効果は呪文消散ワトナットしまふ」

「ああ、呪文の詠唱が邪魔された時の奴でしたっけ」


呪文が効果を発揮するためには呪文詠唱や身振り手振り、触媒などの成立条件がある。

これを呪文の構成要素と呼ぶ。

呪文効果が発現する前にそれらの要素が阻害された場合、呪文そのものが効果を発揮することなく、貯めた魔力は霧散する。

これを呪文消散ワトナットと呼ぶことは以前に述べた。


だがこの呪文消散ワトナット、実は呪文の効果発揮後にも発生し得るのだ。

それが『呪文の対象が失われた時』である。


「ええっと……死んだら呪文が守ってくれなくなると言う事ですか?」


脇から挙手してエィレが質問をした。

多少本題から外れた内容だが、好奇心が勝ってしまったようだ。


「生物を例にするとわかりにくいかもしれないでふね。例えば木の棒があるとしまふ。『対象:武器1つ』の呪文で木の棒を強化し攻撃力を上げたとしまふ」

「はい」

「ではその木の棒を真っ二つに折ったら、その両方が攻撃力が強化された棒になりまふか?」

「え…? ええっと……な、ならない?」

「はい。ならないでふ。呪文の対象は魔術式で決まってまふ。対象は『武器1つ』でふ。それが真っ二つに折れた時点でそれは対象の定義から外れてしまうんでふ」

「なるほど…」

「待ってください待ってください! それだと疑問がありますネッカせんせー!」


納得しかけるエィレの横でハイハイハイと挙手をするミエ。


「じゃあその棒の先端がちょっぴり……1アングフ(約2.5cm)くらい欠けちゃったらその時点で棒にかかってた魔力は切れちゃうんですか!?」

「いい質問でふね。

「え?」

「ふぇ?」


満足げに頷くネッカの真意が理解できず、エィレとミエが互いに顔を見合わせた。


「その質問の答えでふが、正解は『呪文は切れない』でふ。多少欠けただけでは武器1本という総体が失われたとは認識されないからでふ」


カツカツカツと板書をしながら説明するネッカ。


「逆に言えば、何割か破損した時点でその木の棒は武器と見なされなくなって、なりまふ。そうするといくら呪文に持続時間があっても、その時点で呪文消散ワトナットが起きるわけでふ」

「「「おお~~~~~」」」


ネッカの説明に一同から感嘆の声が上がって……


「…それで、それが今回の件にどう関係が?」


こうなる。


「ミエ様の疑問はもっともでふ。でふが考えてみて欲しいんでふ。その防衛都市ドルムに張り巡らされている結界……実際は〈精神破損領域フキオッド・クォゥブキフ・フヴォグキャクス〉と呼ばれる儀式魔術でふが……その対象はなんだと思いまふか?」

「対象……?」


ふむ、と首を傾げるミエ。


「っていうと、やっぱり『対象;お城ひとつ』とかですか?」

「だいたい正解でふが、正確には『建造物ひとつ』でふね」

「けんぞーぶつ、ひとつ……」


しばらく押し黙っていたミエの横で、エィレがなにやらハッとする。

そしてそれとほぼ同時にミエが手を打った。


「つまり……えーっと」

「「さっきの棒とおんなじで、ら、……?!」」


二人の声にネッカは満足げに頷き、それを肯定した。


「正解でふ。それがキャス様の言っていた『結界を解除する』方法でふ」


城を守る結界……近づくものに精神的な打撃と苦痛を与える大呪文。

けれど

そしてその当初呪文の対象としていたものが、その呪文の魔術式で定められた対象でなくなってしまった時、その呪文は効果を失うのだ。


「つまり……魔族さん達は結界内に物理的に入ると死んで復活できないリスクがあって、精神体として入ろうとするとその結界に引っかかって倒れちゃう。ええっと死んじゃうわけじゃないんですよね?」

「死ぬことはないと思われまふが、おそらく苦痛でその場から動けなくなると思われまふ」

「それは魔族さん達的にはアウトですね! なら魔族さんの魔術結界は無効なんです?」

「有効だと思いまふが、結界の構築魔力が高いため魔術結界が貫通される恐れが少なくないと思われまふ。なので他に有効な手段がある限り進んでやりたがらないと思いまふ」

「ふむふむ」


もしかしたら己の魔術結界で弾けるかもしれないけれど弾けないかもしれない。

それなら確かに進んで結界内に入りたくはないはずだ。

魔導師が有効な呪文を有しているからと言って危険な任務をやりたがらないのと根本は一緒である。

知性が高いがゆえより安全性の高い慎重策を取ってしまうわけだ。


「まとめると……死にたくないから瘴気の外では肉体を持った状態で無理に攻城戦をしたくない。結界があるから精神体で近寄りたくない。なら結界の外で包囲しながら自分達が放つ瘴気でそのあたりを汚染しつつ、あらん限りの攻撃魔術とかで城を破壊してにしてしまおう、ってことですか?」


ミエの言葉にキャスが大きく頷く。


「そうだな。そして実のところ一番やられたくない手段なのだ。なぜなら城兵たちは怪我をしても聖職者たちが治療できる。ドルムには高位の聖職者も詰めているから場合によっては直近の死すら克服できるだろう。だが現地に築城の専門家は多くない。多少の補修ができる石工程度ならいるのだろうが、城全体を再改築するだけの職人がいないのだから」

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