第765話 (第十六章最終話)号外

「ねえなんかミエ様すごいこと言ってない……?」

「言ってる気がしますね……」


クラスク市の聖職者、ラニルとユファトゥーヴォがミエの背後、通信室の壁際でこそこそと話している。

二人ともイエタの下で修業を積み、無事奇跡の力に目覚めた娘達で、いわば他の街から招聘されたのではない、この街で生まれた聖職者、ということになる。

それはとりもなおさずクラスク市に住まう者が神の加護を受け奇跡の力に目覚める程度には信仰心が厚い、ということを意味しており、街の信用を高める大きな尺度となり得る事であった。


「なるほど……緊急事態であることは理解できました。それで我々は何を?」

「連絡です。そちらにリムムゥさんという方がいらっしゃいますよね? イエタさんから連絡を受けた」

「は、はい! リムムゥは私ですが…」

「急ぎ大司教様に御連絡を。大司教様づてに国王陛下にお知らせ願います」

「わ、わかりました!」


その発言にリムムゥは(天翼族ユームズらしく、ちょっと物理的に)飛び上がって了承したが、納得できぬ者もいた。

そう、この新聞社の社長ガレント子爵である。


「ちょっと待ってください。わざわざ大司教猊下からお伝えしなくてもここに貴族がいるのですが?」


ガレントの言う事ももっともである。

彼が子爵であると言う事は爵位持ちであるということで、つまりれっきとした継承権のある貴族である。

まあ代々と銘打つほどにはこの国は若すぎるけれど、それでも高貴な血筋には違いない。


そんな彼にとって論功行賞というのは非常に重要だ。

大きな功績があればより高い爵位に就けるかもしれないからである。


とはいってもアルザス王国においては爵位を上げるメリットは他国ほど大きくはない。

その地理的条件および成立条件が他国と大きく異なるからだ。


広大な盆地にあり、周囲の国境線を山脈などの自然国境として定めているアルザス王国はその立地上領土拡張がしにくい。

また北部の闇の森ベルク・ヒロツに潜む魔族と激しく対峙しており、これの対処には各国との連携が必須である。

となると隣国との関係をいたずらに悪化したくはなく、バクラダ王国のように隣国への侵略や侵攻にも迂闊には踏み出せぬ。


伯爵、侯爵、公爵、さらには大公など、基本的に爵位が上がるほど広大な領地を揺する(とはいっても現在アルザス王国に公爵や大公はいない)ものだが、アルザス王国では先述の通りこれ以上領土を広げられぬ関係で、残念ながら爵位の上昇はそのまま領地の拡張を約束してはくれないのだ。


まあとはいってもそれでも爵位が上がれば家格も上がるし、宮廷での発言権も上がる。

大臣などの国の要職に就けるようになるやもしれぬ。

喩え領土拡張の旨味がなかろうと爵位を上げられるやもしれぬ…言ってみれば立身出世のチャンスをみすみす逃すべきではない。


クラスク市から持ち込まれたこの報告は非常に重要かつ重大なものだ。

王国の、ひいては隣国すべての人型生物フェインミューブの存亡に関わる緊急案件である。



ということは、その情報を自分達だけが独占している今の状況は値千金の価値があるということでもある。



間違いなく大きな戦になるであろう情報。

そして今の話を上手く己の手柄にできれば間違いなく戦後の出世は約束されている。


それを利用しないでは貴族の名折れレベルではないか。

ガレント子爵が目の色を変えるのは当然である。


「もちろん社長が手紙などで国王様にお伝えするのは自由です。ですが

「ええ、それはなぜ」

「号外を作って欲しいからです」

「…ゴウガイ?」


ガレントは支部でもっとも新聞に詳しいトレノモの方に顔を向けるが、彼もまた知らぬようでかぶりを振った。


「ゴウガイとは?」

「本来の発刊を外れて出す臨時の新聞の事です。できれば今日の夕方には出したいですね。本社はもうそのつもりで動いてます」

「!?」

「いえいえいえ! ミエ様! それはいくらなんでも…っ!」


ガレント子爵が驚愕し目を剥いて、トレノモが慌てて話に割って入った。


「我々は現状三日に一度の発刊でいっぱいいっぱいです! これ以上の記事を書く余力はありません! 材料の紙の備蓄だって…!」

「大変なのは重々承知ですが、んです。人型生物フェインミューブの存亡に関わる重大事件、その最新情報をいち早く売らなくて新聞は名乗れません」

「………………っ!!」


それは彼が面接のときに聞いた新聞の大義と等しいものだった。

これまで緊急事態となったことがなかったからつい失念していたのだ。

トレノモは二の句を継げず押し黙る。


「それに号外は情報の速さが大事であって紙面の充溢は二の次です。いつものように厚い紙面でなくともそれこそ二つ折りだけだっていいんです」

「あ……」

「それに共通で書ける事も多いですし、こちらでも既に記事を執筆中です。魔族の跳梁、張り巡らされた罠、ドルムとの通信不正、気づけない理由、クラスク市への早馬、クラスク市からの連絡……これだけでそれなりの紙面は埋まるはずです。これらの記事は現在こちらで作成中なので、後は広告でもねじ込めば号外が発行できるはず」


ミエの言葉に新聞記者である使命を改めて思い出しのか、トレノモが強い決意に満ちた面を上げる。


「それは全てそちらで執筆中の記事ですよね。我々にできることは」

「この短時間で紙面構成を決めて新聞を刷るだけでも大変だと思いますが、可能ならそちらで情報を受けてこうして私たちとの通信に至るまでの経緯を記事にまとめていただけますか。それはこちらでは書けない事ですので」

「! わかりました。では」

「はい。よろしくお願いしますね。ガレント社長もそれでよろしいですか?」


ミエに促され、トレノモの背後で顎に手を遣りながら何事か考え込んでいたガレントに問う。


「情報が武器、速さが価値、か……なるほど。確かにこっちのが政争劇よりよほど面白そうだ」


瞳を輝かせ、すっかり乗り気となったガレントは、ミエの依頼を快諾した。


「お任せください太守夫人殿。こちらの号外、すべて滞りなく夕刻までに間に合わせて見せましょう」

「はい! そうおっしゃると思っていました! それでは…」

「はい、後ほど追加連絡で」


クラスク市との通信が切れ、ギャラグフ支部は異様な興奮に包まれていた。


「輪転機の起動準備! パルプ紙の用意急げ! 先程の話からおそらく紙面は四面! 一枚ペラの二つ折りだ! 少し足りない時に備えて広告で埋める準備をしとけ! ドールゥ、できるな!」

「は、はい!」


社長であるガレントの手早い指示が飛ぶ。

彼は報告を聞くだけのお飾りではなく、現場に入り浸るタイプの支社長なのだ。


「ただしそれはあくまで向こうからの記事見合いだ。それとは別に記事も書いてもらう! 初記事がこんな大事件でよかったな、度胸がつくぞ!」

「ききき緊張させるようなこと言わないでください社長ーっ!」

「ははは。緊張した方がだらけた気分で書くよりいい記事が書けるだろうさ。で、リムムゥ様」

「あ、はい!」

「こちらの事情をまとめてクラスク市側に記事として送らねばなりません。そのためのインタビュー…あー聞き取りを彼女に受けてもらってよろしいでしょうか。なに、お時間は取らせませんとも」

「はい、わかりました」


初めての記事、重大案件、それもその肝となるクラスク市から直接連絡…というか天啓を受けたリムムゥのインタビュー記事。

それを任されたドールゥは緊張と同時に高揚した。


「で、ではよろしくお願いします!」

「はい、お願いします」


にこやかに微笑むリムムゥ。

その背後で新聞社内のあちこちを覗きまわっている猪獣人のユールディロ。

そしてなんとしても社長の期待に応えねばという強い想いで勇躍する新米記者ドールゥ。


だが支社長ガレントはただ好意と期待でのみ彼女に重責を与えたわけではない。

なにせドールゥにとっては初めてのインタビュー記事である。

それは余計な手間がかかって時間もかかるだろう。

彼はその間に自分の報告資料を作り手紙にしたため部下に早馬で王宮に届けさせるつもりなのだ。

こう見えてこの男、なかなかに抜け目がないのである。



こうしてその日に夕刻……それは発売された。



初めての夕刊。

そして初めての号外。



『魔族の軍団、ドルムを包囲』

『通信魔術を阻害する魔族たちの罠』



センセーショナルな情報が一面を飾るその号外は、刷ったそばから飛ぶように売れた。


本来であれば国家機密レベルの重大な情報が、当日の内にニュースとして取り上げられる……

それはクラスク新聞の価値と評価を一気に高める事となったのだ。







そして……戦いの幕が開かれる。






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