第748話 交神
「道を誤る……?」
「道に迷ったって事でしょうか?」
「いや、ドルムの近辺もまたアルザス盆地の内側だ。開けた土地柄ゆえ道に迷うとは考え難い」
思いついたままを口にしたミエの台詞を、キャスが即座に否定した。
「単純に考えると誰かが知らず道を踏み外したように聞こえるの」
これまでずっと押し黙り熟考していたシャミルがそんな呟きを漏らす。
「ふむ……魔族に対抗せんとする想いはそのままに、だがその手法が迷走し結果として魔族に利することになっている可能性、か…確かにそれはありそうだな」
「じゃあそれが今回の水晶球を使った占術通信が阻害されてる…というかお互いどっちも騙されてるっていう老い話と何か関係があるってことです?」
「わからん。だが道を誤るにしてもそれだけでは範囲が広すぎて絞り込めんな……」
キャスが頭を掻いて女神の真意を探ろうとするその脇で……ネッカが目を見開いてぶつぶつと何かを呟いていた。
「いや……違いまふね。イエタ様が行ったのが〈
「む……?」
けげんそうなキャスの横を抜け、黒板の前に立ったネッカは、すごい勢いで板書を始める。
「道というのが……誤るという表現……」
しばし己の世界に没入していたネッカは、やがて重々しい表情で妹嫁の方を向いた。
「イエタ様」
「はい。なんでしょうか」
「〈
「! …承知しました」
ネッカの言葉にイエタはわずかに眉を動かしたが、すぐに小さく肯いた。
「本来ならば教会の聖別した祭壇にて執り行うべきものですが…時間がありませんね。わかりました。聖水を用いてここに簡易な儀式用の祭壇を敷きます。ミエ様。お香を用意していただいてもよろしいでしょうか」
「わかりました! 確か倉庫にあったはず…」
ぱたぱたとミエが走り去り、その間にイエタが床に聖水を振りまきながら周囲を清めてゆく。
「お待たせしました! 教会に納入してるお香のサンプル品ですけど…」
「これで十分です。では今しばらくお待ちを」
イエタが聖別した床にお香を置いてそこにひざまずき、祈りを始める。
「あれも呪文の詠唱なんでしょうか」
「そうでふね。いわゆる儀式魔術と呼ばれる類の呪文でふから」
イエタの邪魔にならぬよう凍えて囁き交わす二人。
「〈
「聖職者が自分の信じる神様に質問を投げかける呪文でふ」
「神様に尋ねる呪文多いですね!」
「まあ下手に自分達で調べるより神様の方がお詳しいでふから」
「それはそうなんでしょうけど! それはそうなんでしょうけども!」
ミエからすると少々神様を気軽に利用しすぎな気もするけれど、神の力が信者たちの信仰心を礎にしている以上己の信者に協力するのは神様側にとってもメリットになっているのだろう。
神の教えや奇跡が来世での救いではなく現世利益に拠っているのはミエの世界とはだいぶ違っていて、彼女的にはとても興味深かった。
ちなみにミエの叫びもまた小声で発せられたものだ。
イエタの精神集中の邪魔をしないようにである。
「質問は基本的に『然り』『否』で応えられるものに限られまふ」
「ふむふむ。イエス/ノー形式なんですね」
「はいでふ。ただ要求される質問の形式がそうであっても神の答えがその二択だとは限らないでふ」
「というと?」
「例えば問いに対する答えがはいでもいいえでもある場合、『定かならず』と帰ってくることがありまふ。また神が沈黙を以って答えとする場合もありまふ。この場合答えを返すこと自体がその神にとって著しく不利となるであろうことが推測できまふね」
「なるほどー……ってあれ?」
ネッカの説明を聞きながらミエは首をひねった。
どこかで聞いたことがあったような気がしたからだ。
「ネッカさん? 今のってネッカさんに何度も使ってもらってるあの呪文の効果に似てません? ええっといヴぁくぶ……」
「〈
「ああ! やっぱり!」
そうだ。
地底軍の侵攻の際も、赤竜との対決の際も、ネッカのその呪文には幾度も助けられてきた。
あの呪文の効果とよく似ているのだ。
「…厳密にいうと神々と交信する聖職者の〈
「へえ!」
「大きな違いは尋ねる対象とそのアクセス難度の差でふね。〈
「なるほど」
「さらに言えばどちらの呪文も答えるのは相手の任意なので〈
「されましたねえ。でも神様の場合は自分の信者さんからの質問だから基本嘘はつかない…と」
これら高位存在に知識を求める呪文は上位の占術の真骨頂ともいえるべきもので、様々な希少かつ秘密の情報を得る際に使用される。
ただし神々や魔王といった高位存在に尋ねるということは絶対的な解を得る、ということとイコールではない。
この世界は多神教だからだ。
神々にも力の差や相性などがあり、例えば同格の神の秘密や弱点などは知らぬこともあるし、それぞれ信仰される特性…『権能』があるため、得手不得手が存在する。
その神の苦手とする分野について尋ねても明瞭な答えが返ってくるとは限らないのだ。
そうした意味に於いては常に自身の神としか繋がれぬ〈
要は一長一短といったところだろうか。
「それにしてもそんな便利な呪文なんですからもっとみんなバンバン使えばいいと思うんですが…皆さんあまり使用されませんよね」
「まあそれはあれでふね。神性でもない定命の存在が神々と直接繋がるわけでふから、使うたびに精神がやられたり寿命がちょっとずつ減るリスクがありまふし」
「たいへんなことじゃないですかー!?」
思わず大声で叫んでしまうミエ。
「それを言い出したら魔導術の〈
「そっちも大変じゃないですかー!? っていうかえ? それって大丈夫なやつなんです? 多用とかしてもいいんですか?」
「ふだんならよくないでふ」
「ですよね?」
「でも今は非常事態でふから」
「ちょっと覚悟決まり過ぎじゃないですか!?」
だが実際ドルムが魔族に落とされればクラスク市にも危機が訪れる。
多少命に係わる呪文だろうとそれで命脈が繋がるなら安いものなのかもしれない。
そんな覚悟はとっくに済ませているのだろうか…
ネッカの口にしたリスクなど、少なくとも表向きにはおくびにも出さず、イエタが静かに祈りの言葉を止めた。
「準備が……整いました。では質問を、どうぞ」
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