第742話 いたちごっこ

「〈対転移領域フキオッド・ヴェオラルケビカー・フヴォファイク〉は高位階でふが比較的メジャーな呪文でふ。魔導学院と提携している国家なら大概王城に付与されている魔術でふので。戦時中の砦などにかけられることも多いでふね」

「なるほど…瞬間移動系の魔術がわるいことに使われちゃう前提の対策呪文ってことですか」

「はいでふミエ様」


魔術には移動に関する呪文が多くある。

荷物、或いは人員の輸送や転送は戦争の常識を変え得るものだからだ。


瞬間移動のような魔術の場合唱えられる魔導師が少なすぎることと、一度に運べる総量に制限があること、さらにいえば魔術の失敗(場所をしっかりイメージできず転移自体に失敗したり、転移に成功してもよく似た別の場所に出現してしまったり、あるいは暴発したり)といったリスクがあるため、大量の食料などは結局荷馬車などに頼ることになるけれど、それでも瞬間移動が可能な魔術の有用性は言うを待たない。


例えば〈転移ルケビカー〉の呪文は遥か遠方…それこそ千ニューロ(約1500km)ほど離れた場所にさえ一瞬で移動できる。

一方〈次元扉クィーフ・ヴェオクヴィヲフ〉の呪文は移動距離はせいぜい数百ウィールブ(数百m)程度に過ぎないが、相対的な移動距離を正確に式に代入することで見たことのない場所であろうと移動が可能だ。


移動距離という意味においてはより高位の呪文である〈転移ルケビカー〉の方が遥かに強力である一方、見たこともない場所には移動できない。

いや水晶玉などの占術を用いて遠方の光景を確認し、それをイメージのよりどころとして転移を試みること自体はできるけれど、それは術者が幾度も通って強くイメージできる場所に比べるとなんとも心許なく、失敗のリスクがとても高い。

確実性を重視する魔導師達はまず行わない手法である。


それに比べ〈次元扉クィーフ・ヴェオクヴィヲフ〉の方は移動先を己のいる場所から北にどれだけ、西にどれだけ、上下にどれだけ…と指定して転移する呪文で、その移動先自体の知識や記憶がある必要は一切ない。


これを利用することで…この呪文には単なる瞬間移動だけではないもう一つの活用法が発生する。

すなわちである。


例えば人工的な迷宮などで開けられない扉があったとする。

構造的に内側からは簡単に開閉できるが外側からは堅牢に施錠されているものだ。


当然入ったことがないので部屋の内部はわからない。

だが目の前に扉がある以上その向こうは空間である()。

そういう時に〈次元扉クィーフ・ヴェオクヴィヲフ〉で扉の向こうを指定して瞬間移動、その後内側から鍵を開けて侵入…といったことが可能になるわけだ。


ただこれが冒険者が無主となった古代遺跡を踏破する目的で使用されるなら問題ないけれど、いざ現在の城や砦などで用いられたらどうなるだろう。

例えば防衛戦をしている城の閉じられた門の内側に魔導師が突如転移して扉の前の兵士を火炎球カップ・イクォッドで殲滅、その後内側からかんぬきを開けて外からの兵士を迎え入れる…そうしたことだって理屈上は可能なはずだ。


まあ実際には城内の兵士は一方向だけでなく四方にいるものだし、非力な魔導師が城門のかんぬきを開けるにはまた別の呪文が必要だろうし、その間に周囲の兵士が次々と襲ってきたらほとんどの魔導師は対処しきれず切り刻まれる事だろう。

彼らは魔導術の専門家であって戦闘の専門家ではないからだ。


そおそも魔導師は研究職であり、戦争などに従軍魔導師として協力するのも必要な研究費用を捻出するためである。

そんな彼らには仕事として魔導術を使ってやる義理はあっても(そのために彼らに大金を支払っているのだから当然ではあるのだが)軍の為に命を賭して城の内側に転移して特攻する義理など欠片もない。


ゆえにこうした机上の空論が実現した事はほとんどない……のだが、実際こうした手段によって落とされた城が歴史上には少数存在する。

魔導師の中にも変わり種がいて、様々な理由で戦に積極的に協力する者もまた僅かながら存在するからだ。



そして手段が存在する以上、そうした戦術に対する対策が講じられるのもまた当然の成り行きである。



こうして開発されたのが〈預見転移ヴェオラルケビカーイラボソーヴ〉や〈対転移領域フキオッド・ヴェオラルケビカー・フヴォファイク〉といった呪文群である。


預見転移ヴェオラルケビカーイラボソーヴ〉は、効果範囲内での瞬間移動系の魔術の出現地点への出現を数秒から十数秒遅らせる。

より上位の〈預見転移ヴェオラルケビカーイラボソーヴ〉系統の呪文ほどこの遅延時間が長くなる。


ただし瞬間移動を行った側にはこの遅延は知覚できない。

当人としてはあくまで瞬時に移動先へと出現した認識のままだ。


そしてこの呪文を唱えた術者は、範囲内に瞬間移動してきた者がどこに出現するのかの正確な座標を知ることができる。

つまり一瞬で移動した、と誤認している相手に対し、周囲に指示をして万全の状態で待ち構えることができるのだ。


転移自体を抑止できないことと、その出現を予測してから出現するまでの猶予があまりないことから、主に戦闘中などに唱える転移対策の魔術であると言える。


一方で〈対転移領域フキオッド・ヴェオラルケビカー・フヴォファイク〉はより直接的に転移を抑止する。

下位の呪文であれば範囲内への転移の成功率を下げる……つまり失敗や暴発のリスクが高くなる……のみだが、上位の呪文になれば転移行動そのものを阻害したり、あるいは転移自体は成功しても転移を行った者の望んだ出現地点ではなく、〈対転移領域フキオッド・ヴェオラルケビカー・フヴォファイク〉を唱えた術者の望んだ場所へと強制的に移送させられたりもする。

主に王城や砦などに付与されるのはこちらの呪文である。


無論こうした呪文だとて完璧ではなく、転移側が事前に情報を知っていれば対策の立てようはある。

大事なのはこうした呪文群が存在することそれ自体がそうした施設への転移行為を抑止効果を持つ、ということだ。


転移系の呪文の殆どは対象が術者であり、つまりそうした潜入工作をするにも魔導師が自ら行うしかない、

だがこうした対策呪文が多様に用意されているなら、彼らはそんなリスクを冒してまで潜入を試みようとしないだろう。



実のところこれらの対策を全くしないまま攻城戦を迎えるようなケースも存在する。

かつてのクラスク村の対地底軍戦などがまさにそれだ。



だから実はその時地底軍総司令である黒エルフブレイのクリューカが飛行魔術などで空から城内に侵入したリ、或いは転移魔術などで直接城内に出現し破壊系の魔術で城内を破壊し尽くせばそれであの戦は終わっていたのである。


だが実際には彼はそうした行為は行わず、遠くから攻撃魔術を叩きつけるのみに終始していた。

それは何故か。


それはネッカが〈対占術防護ヴェオーシリフヴェヴ〉を城全体にかけることで、クラスク村の城内の様子を探らせないのと同時に、村にからである。


もしかしたらあの城の対魔術セキュリティはハリボテで、転移の抑止などなにもできていないのかもしれない。

けれど占術防護によってその調査自体が抑止されている以上、


それならばあえてリスクを侵さず、遠くから城壁の上の魔導師が魔力切れを起こすまで破壊の魔術を放ち続ければいい。

空を飛び自らのこのこと弓や攻撃魔術の標的となりに城に近づくなどもってのほかである。


なにせエルフ達を魔力袋にしている彼には夜明けまで魔力も時間もいくらでもあった。

安全かつ確実に勝利する方法があるのだから、わざわざリスクなど侵す必要はない……というのが、当時の彼の判断だったのだ。


これが別の誰かを送り込めるのであれば彼もそうしていたかもしれない。

だが己自身が情報を得られぬ場所へとのこのこ出向くのは危険だと、いわばクラスク側の魔術セキュリティが彼の本来最適であるはずの戦術を抑止させていたわけだ。






特に触れる事はなかったが…あの戦いは魔導術を扱う者の性格や性質を利用した、ネッカの対魔導情報戦の勝利あってこそのものでもあったのである。。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る