第十六章 未曽有の危機
第736話 予兆
その日もクラスク市は盛況だった。
大門を抜け馬車が行き交い、この街を中継点として四方の門を抜けてゆく。
この街に商品を届ける馬車もあれば、この街から商品を運ぶ馬車もある。
そして往々にしてその両者は同じ荷馬車だ。
かつてはこの街に運ばれてくる品々の方が多かった。
この街の主力は蜂蜜とそこから作られる関連商品であり、高品質かつ高価なものばかりであった。
まあ高価と言っても他の街に商人が売っているものに比べたら遥かに安価だったのだが、これらの商品にはそれに加えてもう一つ大きな特徴があった。
例えば高級チョコと麩菓子詰め合わせがあったとして、高級チョコ一箱と同じ値段で麩菓子の詰め合わせが三十袋買えたとする。
そうした場合、仮に仕入れ値などに大差がなく互いの商品から得られる利潤がほとんど変わらなかったとしても(実際にはそんなことはないだろうが、まあ仮定の話である)、売り手側からすればリューベ的には高級チョコの方が遥かに優れていることになる。
一見すると不思議な理屈だが、これは商品を販売する側が『商品をストックしておく必要がある』こと、そして『その商品を店舗まで輸送する必要がある』ことを念頭に置くと理解しやすい。
体積の小さな高級チョコの方が倉庫などに保管しておく際同じスペースによりたくさんの品を保管しておけるし、配送トラックなどに積み込む際もより多くの数を運ぶことができる。
倉庫の管理料や配送・運送費用などを考えれば、『単価あたりの体積』が小さければ小さいほどそれらの不要なコストが減り、結果商品として高い利潤を確保できるという事になる。
逆に必需品であったりそれなりに値段が張ったとしても、
現代で言えばその代表例がトイレットペーパーだろう。
値段的には決して安価ではないし絶対需要がなくならないという意味では優良商品なのだが、トイレットペーパーはとにかくこの
かさばり過ぎるのだ。
普通のトラックで輸送しようとすると上や横に無駄な空きスペースが出てしまい、そのせいで下手に運送すると運べば運ぶほど赤字になりかねない、というほどにトイレットペーパーは場所を取ってしまう。
その対策としてトイレットペーパーをぴっちり詰め込める専用のトラックがあったりもするほどだ。
だが運ぶのに専用のトラックが必要なため急に需要が増えた時他の商品などのようにピストン輸送で数を補えない。
専用のトラックの台数が限られているためだ。
また商品を販売する側の各店舗もかさばるトイレットペーパーの数を置きたがらず、ゆえに一気に需要が高まるとそれを補う事が困難になる。
オイルショックやコロナ禍などでデマから商品の買いだめなどが発生した際、まっさきにトイレットペーパーが店頭から消え話題になるのにはこうした理由もあったりするのだ。
…話が少し横に逸れた。
ともかくクラスク市が当時主力商品として輸出していたのは蜂蜜や化粧品などで、これらの嗜好品は基本的に
現代でもトイレットペーパー12ロールよりボディソープやシャンプー・リンス、その他スキンケア用品などの方が値段が高く、そいて遥かに体積が小さいことからもおわかりだろう。
だが当時のクラスク市はこれを大量に用意できなかった。
蜂蜜を算出する蜜箱はひとつだけだったし、村の中の主婦だけで作られた手工業…いわゆるハンドメイドの商品がすべてだったためだ。
クラスク市から出てゆく商品は、だからどうしても少量にならざるを得ない。
一方で村に運び込む品々はそれよりはるかに多かった。
なぜなら最初の収穫まではクラスク村には食糧が存在しなかった。
その一方で棄民を吸収した事で人口が一気に増え、さらにはアーリンツ商会の本拠地も移し獣人達が多く住み着いたためより大量の食糧が必要となっていたからだ。
このあたりをアーリンツ商会がすべて賄い食料品を大量に買い集めていなかったら、村は早々に餓えて滅んでいただろう。
その後もアーリンツ商会は砂糖などの嗜好品から料理の味を調える香辛料など、次々に輸入を続け村を助け続けてきた。
だが今では立場がすっかり逆転してしまった。
クラスク市は商品を輸入する立場から輸出する立場へと転換した。
広がり続ける耕作地、牧場。
混合農業で四季を問わず生産される続ける様々な穀物や野菜類。
さらには気候を制御し亜熱帯の気候を再現したことで米や香辛料まで作れるようになって、今では完全に輸出大国…もとい街となってしまった。
もちろんクラスク市で取引を行わず、中継地点としてのみ利用している馬車も少なくない。
だがそうした者達であってもこの街で一泊し身体を休める者は非常に多い。
なにせこの近辺はかつてオーク族の支配地域だった(いやオーク族の支配地であること自体は今もまるで変わっていないのだが)。
その結果この近隣には人間族の街が作られず、近隣の街までは結構な距離がある。
クラスク市で骨休めするのは実に利に叶った選択なのだ。
そして彼らは目にすることになる。
この街の異様な発展ぶりを。
高層のアパートが立ち並び、店には大量多品種の商品が軒先狭しと並べられ、食品から服飾から工芸品に至るまで多くの文化が発達している。
この街独自の料理も美味く、外交官相手の需要が生まれた結果各国の郷土料理も取り備え、その上スイーツも完備され、さらにはそれらが街灯の下夜まで営業している。
最近はそれに武器売りの小鍛冶や安価な書籍、さらにはメモ帳などの安価な紙製品などが加わって、まさに商売としては右肩上がり、破竹の勢いと言っていい。
今ではこの街のブランドと化したクラスク市産の蜂蜜関連商品もすっかり有名どころとなってくれたけれど、輸出量的にはメイン商品ではなく、あくまで主要商品のひとつ、といった塩梅に落ち着いていた。
さて、そんなクラスク市の北部にて、今日も荷馬車が北へと向かって旅立っていった。
満載されているのは食料。
向かう先はアルザス王国最大の軍事都市、ドルムである。
「しっかしドルムは大丈夫なんかねー」
「何がだよ」
門番をしていた衛兵たちが立ち話に興じている。
実際のところ仮にアルザス王国と戦端が開かれるとしても相手が攻めてくるのは街の東部からだろうし、軍事大国バクラダと矛を交わすことがあったとしても進軍は南からに決まっている。
一方で街の北部は自分達の領地である耕作地帯が北へ北へと延々に広がっているし、その中途にはいくつもの衛星村とクラスク市に次ぐ第二都市であるヴェクルグ・ブクオヴ街がある。
そのうえさらにその北には頼もしいエルフ達が故郷である森を復興させそこを守ると息巻いており、北への防備は二重三重に完璧なのだ。
これでは彼らの気も抜けようものである。
「いやほら、最近街から出てく馬車は多いけど戻って来る馬車少なくねえ?」
「そりゃドルムからそのまま東に回って王都にでも行ってるんだろ?」
「そっかー」
何の気もない会話。
けれど……その衛兵の懸念はある意味真実を突いていた。
突然門の脇の伝声管が鳴り響く。
城壁の上からの通信である。
「どうした。なんかあったか?」
「おおい! お前ら! 街道を見ろ!」
「ああん?」
目をすがめつつ門の真北を見る。
このあたりはずっと平坦なので、城壁の上から見つけられたものは遠からず地上の者にも見つけられる算段だ。
「なんだありゃ」
「馬……早馬か?」
ものすごい勢いで馬を走らせている者がいる。
遠間からはよくわからぬが、おそらく人間族だ。
格好からして兵隊か何かに見える。
「あんなに急いで…一体何があったんだ?」
そう、それは早馬だった。
一刻も早くそれを告げるべく、全力で馬に鞭うつ早馬だった。
彼がもたらすのは凶報……
軍事都市、対魔族絶対防衛線であるドルムが陥った、未曽有の危機を知らせる凶報だったのだ。
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