第737話 凶報
走る。
走る。
あらん限りの力で全力疾走する。
「ごめんなさいっ!」
アルザス王国外交官エィレは、上街南の主街道脇歩道を全力疾走しながら交差点に飛び込んで、迫っていた馬車を急停止させつつその目の前を駆け抜ける。
街の中心部が近づき馬車が減速をかけていなかったらあわや追突の危機である。
エィレからすれば十分間に合う目算だったし、確かに実際間に合いはしたけれど、危険極まりない行為には違いない。
もしこれをミエが目撃していたらこっぴどく叱られていたことだろう。
だが彼女は止まらない。
止まれない。
対岸の歩道に辿り着いたエィレはそのまま蹴り足で急角度に方向を変え東へとその舵を切った。
「ちょっと待っ」
「アルザス王国外交官エィレッドロ! まかり通ります!」
「ハッ! お疲れ様です!!」
首から下げた外交官証を親指で指しながら衛兵の脇を駆け抜ける。
元翡翠騎士団団員らしき衛兵がかつて仕えていた王国の王女に敬礼しそのまま通した。
彼女に対し招集がかけられているのは既に街中に流れている拡声器からの音声で承知済みだったからである。
街の中央部、そして衛兵が守っている場所。
とくれば彼女の目的地は自ずと知れるだろう。
そう、そこはクラスク市居館。
この街を支配運営する太守クラスクの城である。
「お待たせしましたっ!」
ばたん、と扉を勢いよく開けて、エィレは円卓の間に飛び込んだ。
そこには既にほとんどの街の重鎮が揃っている。
若干まだ着席していない者もいるけれど、それはエィレが急いだ分の誤差と考えていいだろう。
「これでだいたい……む、ゲルダがいないな」
「申し訳ありません隊長。ゲルダ姉様は本日休暇をいただいて森村で育児を行っております。その、私の息子も一緒に」
「そうか。傭兵の意見も聞きたかったのだがな」
クラスク市の街中に設置された拡声器は、だが距離的な問題で森村までは届かない。
なまじ近いがゆえに水晶球のような高価な双方向通信手段も備え付けられておらず、互いの連絡は最速で早馬、ということになる。
最新技術に溢れているようで、部分部分はまだまだ至らぬところがある。
このあたりは生まれたばかりの街の未熟さと言えるだろう。
「仕方ない。取り急ぎ会議を始めまよう。緊急招集に応じて感謝する」
親衛隊長にして軍事顧問たるキャスが軽く頭を下げた。
ミエではなく彼女が会議を取り仕切っている時点で今回の話が軍事的かつ緊急の要件であることが見て取れる。
「端的に言う。対魔族絶対防衛線、軍事都市ドルムが存亡の危機にある」
「「「!!!」」」
街の重鎮たちがざわりと色めき立ち、エィレが息を飲んだ。
それはそうだろう。
かつてアルザス王国の国土はその全てが魔族の領土であり、醜悪な瘴気に覆われていた。
幾多の戦いと多くの犠牲の下で彼らは追い払われ、今では人間族が治める国家が繁栄している。
それがアルザス王国だ。
だが魔族どもは全滅したわけではない。
王国の北にある
ドルムはそれを防ぐために建てられた対魔族の最前線にして絶対の防衛線である。
ここが落ちると言う事は魔族たちの跳梁と大攻勢を許すと言事であり、同時にクラスク市の危険が一気に高まると言う事でもある。
なにせクラスク市とドルムは互いの周囲にある小さな村幾つかを除け街道でばほ一直線に繋がっているのである。
ドルムが落ちれば次の標的としてクラスク市が選ばれても何ら不思議ではないのだ。
「というか、ドルムが落ちたらほぼ間違いなくこの街が狙われる。ドルムの次の魔族の標的はこの街だ」
キャスはそう断言し、一同を震撼させた。
「ナンデそう言い切れル」
「軍事力の差だな」
クラスクの問いにキャスが即答した。
「このアルザス盆地最大の戦力は防衛都市ドルムだが、次に強大な戦力は王都ギャラグフに揃っている騎士団たちだ」
キャスはかつかつと壁際まで歩き、黒板に王都の騎士団の面々を書き記してゆく。
「軍務大臣デッスロの旗下、白銀騎士団。これはドルムに半数以上が駐屯しているが、王都に残っている勢力も相当強い。次に秘書官バクラダ旗下の紫焔騎士団。ここの団長はかなりのやり手だ」
「一回見かけタ。前に地底軍の露払イデ来テタ奴らダロ」
「別に露払いだったわけではないのだが…そうだな、その人物だ。さらに大司教ヴィフタ・ド・フグル率いる正騎士団。これは数はさほど多くはないが皆奇跡の力が使える強力な騎士達だ。対魔族の決戦兵器となり得る」
「「「おおおー」」」
黒板に次々と騎士団を書き連ねてゆくキャス。
「これに紅蓮騎士団…財務大臣ニーモウの手勢だな。こちらも主戦力は商業都市ツォモーペにいるが、王都にいる戦力だけでも強力だ。そして最後に王家直属の翡翠騎士団。これらが勢ぞろいすれば魔族たちともある程度以上伍して渡り合えると見ていいだろう」
「ウチモ強イゾ」
キャスの説明にラオクィクが少しムッとした口調で反論する。
「わかっているとも。個々の武勇で劣っているとはお前達の前では口が裂けても言わないさ。だが…」
「ダガ数が違ウ、カ」
キャスの言葉を継いだのはクラスクだった。
「俺達ドンナニ強くテモ街一つとその周りの村ダケダ。最近ハ北原も大きくナッタガ国と喧嘩デキル程ジャナイ」
円卓に両肘をつきながら、両拳の上に顎を乗せ、クラスクはじろりとキャスを一瞥した。
「以前聞イタ話デハ魔族トヤラヲこの地から追イ出すノニ幾つもの国が連合を組んダト言っテタ。それマデハ南の軍事大国バクラダガ兵を送って連戦連敗ダッタンダロ? なら国と喧嘩デキル規模の戦力がナイ俺達ジャ一斉にかかられタラ相手にナラン」
「…そう言う事だ」
クラスクの意見にキャスが頷き、彼女の大意もそこにあることを示す。
「仮にドルムが落ちたとして、戦略的に考えれば次に魔族どもは大挙してこの街に群がりクラスク市を落とすだろう。王国軍は様々な事情により国の西側にはすぐに急行できないからだ。そしてアルザス盆地の西半分を瘴気で染めて、戦力を整えてから東に進軍する。私が魔族ならそうする」
キャスの言葉に一同はしんと静まり返る。
「つまり軍事都市ドルムの滅亡はクラスク市の存亡に直結する。ゆえにどうにかしてドルムを救う手立てを考えねばならん」
「要ハ俺達ノ身ノ安全ノタメニソノドルムッツー街ニハマダマダ頑張ッテモラワネートダメダッテ話カ?」
「身もふたもない言い方をすれば、その通りだ」
リーパグの言葉にキャスが苦笑しつつ肯首する。
「そのために姫様もお呼びした。私が知るドルムの譲歩は少々古いからな」
「あの、でも私政務……それも軍務にはあまり関わってなくって、お役に立てる情報があるかはわかりません」
「それでも構いません姫様。知っている事があれば何でも言ってもらいたい」
「わかりました」
今だ事情はよくわからぬが、とにかくドルムが危機に瀕しているということ、そしてドルムの危機はそのままこの街の危機に直結している事だけはよくわかった。
エィレは気を引き締めて円卓の椅子に腰を下ろす。
もしかしたらこの街に来る直前に王都にて教わった最新事情のあれこれが何か役に立つかもしれない。
「さて……では現在ドルムが置かれている状況について説明させてもらおう」
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