第731話 職業選択の自由

さて、ミエは娼館の制度を変え健全な条件でしか娘を雇えないようにした。

診療所などを併設し娼館で蔓延しがちな伝染病の対策を打った。

そして娼館の近くに賑わいを持たせることで娼館のいかがわしいイメージを払拭し、地元に受け入れられやすい素地を作った。


それもこれもすべてオーク族のためである。


正直ミエとしては女の性を商売道具にする娼館などまったくもって好みではないのだけれど、先述した通り困ったことにこの商売形態はクラスク市にとって非常に有用なのだ。


まず街の外周には新天地で一旗揚げんとやってきた男性が多く、彼らの多くは独身である。

そうした者達が不満や鬱憤で暴れぬような、いわばガス抜きとして娼館は大変よく機能する。


さらに独身と言えばオーク族にも独身が多い。

これはクラスクが族長となると同時に配下のオーク達に略奪による女性の獲得を禁じたからであり、特に彼が族長就任時に未だ配偶者を得ていなかったオークの若者たちが苦労することとなった。


そんな彼らの性欲のはけ口として、また配偶者を探すための場所として、娼館は実に都合のいい場所であった。

ゆえにミエの好みとは別に、オーク達のために娼館を作らざるを得なかったのである。

なにせこの街は本来そのために造られた街なのだから。


「ただまあ、ちょっとばかし困ったことがあってねえ。いやまあ別に誰も困っちゃあいないんだが」


娼婦クエットナモの説明を手帳にメモしていたエィレの筆が一瞬止まる。


「困った……こと?」

「そうそう」

「それは設備が不足しているとか?」

「いんや。最初っから必要なもんはだいたい取り揃えてあったし、どうしても足りないってえもんがあったら言えばすぐに用意してくれるから、そーゆーことで困ったことは全然ないね」

「ならお給金が足りないとか…」

「まっさか! 以前より遥かに実入りはよくなったよ! ミエ様が言うにゃあ正当な報酬だってえ話だけど、それが本当なら前の店がどんだけがめつかったんだって話だね。いやそれを言ったら他の街の娼館も似たようなもんだけどさ」

「じゃあいったい何が……?」

「この店の募集要項さね。さっき言っただろ? どう思うかい?」

「どうって…」


貧しい女性が選択の余地なく娼婦に身を落としたりせぬよう、この公営娼館はとても気を使って設備を整えている。

身持ちを崩した貧しい女性が劣悪な環境に耐えながら縋る場所ではなく、選択肢としての女性の職種に一つにしようという試みだ。


実際それが上手く行っているのかどうかはともかく、理念としてはとても立派なものだとエィレは感心していたところである。


「その、よくできた施策かと」

「そうさね。よくできてる。けどさ、考えてごらんよ。収入が『ある』女だけが娼婦になれる。ってえ話になるとんだい?」

「ええと……?」


娼婦は大抵の場合貧しい女性などの受け皿である。

収入が『ない』からこそ娼婦になるのであって収入が『ある』のにわざわざ好き好んで娼婦になろうなどという娘はいないだろう。


だが…もし逆にそうした条件で応募してくる女性がいたとしたら…


「あ……」

「ま、そーゆーことさ」


エィレはそれに気づいてみるみる頬を朱に染め耳朶じだまで真っ赤になって、それを見たクエットナモはニヤリと笑って片目をつぶった。


「え? え? なになになに?」

「なんの話よ。教えなさいよー」

「えっと、ええっと……」


ヴィラとシャルの突き上げに困惑するエィレ。

だってクエットナモの言い分が正しいとしたら彼女はこう言っているのだ。



『この店は性交を殊更に好む女性が自ら望んで娼婦に就いているのだ』と。



(うう、どうしよう。こんなの二人に説明できない…)


「ねえねえ! エィレ! おしえて!(がくたく」

「おしえなさいよー、おしえなさいよー(ゆっさゆっさ」


二人に揺すられながらすっかり困惑の体のエィレ。

だってまさかにこんな取材が結論に達するだなんて思いもしなかったのだ。


「あーっはっはっは! 当ったり前の話じゃないか! だってオークの街だよ? エロでスケベでセックスのことばっかり考えてるオークの街だよ? 暮らしに余裕がある女があえて娼館で働きたいってなったらそりゃあたしらみたいなスキモノ以外来るわけないじゃないか!」

「ああ…」


高笑いするクエットナモ。

それでピンとくるシャル。

ますます赤くなって縮こまるエィレ。

相変わらず首を傾げるヴィラ。


「ムフー」

「言っとくけどあれそんな褒めてねえからな」

「ソウナノ!?」


そして娼館に並びながら得意満面のオークどもにツッコミを入れる人間の客。


「すきって。なにがすきなの」

「あースキモノの話ね。えっちが好きって事よ」

「ちょっとシャル」

「えっち? えっちってなに?」

「だから交尾のこと」

「あー!」

「ちょっとシャールー!」


口ではそう突っ込みつつもエィレは内心ハタと考えた。

人魚族のシャルは今でこそ地上で他の人型生物フェインミューブ同様二本足となっているが、下半身は本来魚の尾びれのような姿のはずである。

となると一体どうやって夜の営みをしているのだろうか。


胎生なのだろうか。

それとも卵生なのだろうか。


交尾と聞いてすっかり皮肉や侮蔑的な表現だと思い込んでつい声を上げてしまったけれど、もしかして人魚族の営みの仕方によっては共通語ギンニムの表現的に交尾の方が正しいのではなかろうか…

などといらぬことを考えてしまったのだ。


「アッハハハハハハ! 交尾ときたか! 言ってくれるねえ!」


クエットナモは再び高笑いする。


「けどそりゃちょっと違うね。交尾ってのはまあ虫だろうと獣だろうとヒトだろうとセックスして子を産むことさ。ここはそれが目的じゃあない。むしろの為の店さ」


くつくつと笑いつつ、クエットナモは皮肉気に肩をすくめる。


「楽しみのためにセックスするのはあたしらの特権みたいなもんさね。なんせあたしゃこれでも人妻だからねえ」

「「「えええええええええええええええええ」」」


さらりととんでもないことを告白するクエットナモ。


「え? え? 旦那? 旦那がいるの? そいつは何か言わないの?」


シャルが口をパクパクさせながら訪ねる。

人魚だけにまるで陸に打ち上げられた魚のようだ。


「そりゃあまりいい顔はしないねえ」

「ですよね!?」

「けど文句を言われる筋合いはないさ。なんせうちの旦那は元あたしの客だし? あたしがこの店を続けるってえ約束で結婚を承諾したんだから」

「ええー?!」


シャルは驚くがそれはエィレにとってはわからぬ話ではなかった。


「ええっと、それでその相手は…オーク族ですか?」

「そうそう。店に来たアイツがやたら私を気に入ってね。こっちもカラダの相性悪くなかったから受け入れたのさ。前のトコと違って店に余計な金とか払う必要もなかったしねえ。即決さ」

「ああ、やっぱり…」


彼女の返事が予想通りであることにエィレは小さく肯いた。

そもそもミエが娼館をわざわざ公営にしたのはそうした目的があったはずだからだ。


「前にあったお店とだいぶ違うって話ですけど、お店で働いてる女性達の評判はどうなんでしょうか」

「まあおおむねいいんじゃないか? というか他の街に比べたら遥かにいいと思うね。店が働く女のことをちゃんと考えてるとこがいいねえ」

「ですよね!」


大きな街となれば娼館などは勝手に生まれるものだ。

絶対的な需要があるからである。


だから仮に街が娼館のような店を好まぬ方針だったとしても、単にそれらの店を取り潰すだけでは駄目なのだ。

それでは根本的解決にならぬ。


仮に街が強引に潰したとしても、今度は一見普通の家に見せかけてその家に女を通わせるなどといった抜け穴を見つけて必ずそうした店は生き残る。


だから…どうせ消せないのなら、よりよい条件を公式に用意してしまえ、というのがここの娼館なわけだ。


これなら止まぬ需要にしっかり応える事ができるし、私営の娼館に対する牽制にもなる。

金儲け前提で女性の扱いを厳しくしてしまえば働き手である娘達はすべてこちらに流れてきてしまうからだ。


エィレはミエのそうした建前より実利を求めるやり口に感心する。


「前の街と比べられるって事はここに来る前からこーゆー仕事してたワケ?」

「あーそうそうう。前の街でもその前の街でもあたしゃずっとさ」


そう告げながらクエットナモは三人に顔を寄せ、耳打ちする。


「この街じゃあ年齢制限とかあるから大声じゃあ言えないけどさ、だいたいこれくらいの年齢から…」

「「「えええええええええええええええええええええ!?」」」


耳元で囁かれた言葉に三人が目を丸くする。


「ウッソー!?」

「すごい…すごい?」

「………………………!!」

「アッハハハハハハ! この街に来たのもアタシを満足させるオトコを探しに来たからだしね! なにせオークの街だ。まさにアタシが働くための街ってことじゃないか! いい旦那は見つけたけどこの仕事を辞める気はないねえ!」


高笑いするクエットナモに三人が目を丸くして唖然とする。

こんな理由でこの街を訪れる娘もいるのだ。

エィレはそんなこと考えたこともなかった。





……エィレの手によって書かれたその記事はやがて新聞に載って、読者を驚かせることとなる。





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