第730話 娼館改革

さてミエが公営娼館を作るにあたってまず着手したのは募集要項の制定である。

娼館に入るためにはこの街の住人であり、健康的にも問題なく、そして最低限の収入がことが必須条件とされたのだ。


つまり故郷が滅んだり故郷で立ち行かなくなり逃げ出してクラスク市に流れ着いた娘などが、生活に困窮し日銭を得るために娼館へ身を落とし店の劣悪な条件に耐えながら過酷な客取りをする…というような状況を一切断ち切ったのである。


だが店が採用せぬからと言ってそうした娘達の仕事先が降って湧いてくるわけでもない。

かつてのこの街で繁盛していた私設の娼館が彼女らに厳しいノルマを課して僅かな収入しか与えなかったとしてもそれでも僅かな収入は得られたのだ。

それを断つと言う事は彼女たちの収入の道をひとつ潰したことにはならないだろうか。


だから……そうはならぬよう、ミエはある施設の併設を娼館に義務付けた。


職業紹介所である。


つまり娼館にやってきたはいいものの就職要件を満たせなかった者を、そのまま隣の職業紹介所に案内し適切な職をあてがってやろうというわけだ。


流浪の末クラスク市に流れ着いた女性などの場合、そもそも学がないことも少なくない。

この地方では天翼族ユームズ複音教会ダーク・グファルグフ などで青空教室を開催し田舎の村人などに無料で読み書きなどを教えているが、これは義務教育ではなく半ば布教をセットにしたボランティアである。


田舎などでは子供にいらぬ知識をつけさせると仕事を嫌がる頭でっかちになってしまうと嫌う親も多く、そういう親は無料であろうとそうした教室に子供を通わせぬ。

一生村の中で閉じた暮らしをするだけならそれでも問題ないのかもしれない。

だがいざ己の村を出た、あるいは出ざるを得なかった時、学びを知らず育った者はいらぬ辛酸を舐める事になりかねないのだ。


そうした娘は知識を知らず、知識がないゆえに情報も集められぬ。

結果悪賢い連中に騙されにされることも珍しくない。

娼館などはそんな彼女らが案内される最も典型的な末路の一つと言っていいだろう。


ミエがわざわざ自ら娼館を建てたのは、そうした女性達を保護して適切な職をあてがうためでもあった。

貧しく非力な女性が見知らぬ街ですぐに就けて日銭を得られる職と言えばまず娼婦であり、そうした娘達は男の噂などに釣られ騙され娼館などへのこのこと足を運んでしまう。

いわばこの街の娼館は見知らぬ土地で惑う貧しい女性達をひとつところに集めるための『餌』なのだ。


街の北部には力仕事をあまり必要としない工場勤務などもあり、保護した女性達にはその手の職を優先して紹介することにした。


次に行ったのは病気対策である。

ミエはネッカに頼みイエタと協力してもらって〈状態確認ティセスト〉の魔術を石板に込め、それを店の入口の一室に設置した。

店に入る者は必ずその部屋を独りでくぐらねばならず、その際にこの呪文の効果を受けることとなる。


以前イエタが〈状態確認ティセスト〉の呪文で謎の襲撃者の種族を確認しようとしたことがあったが、本来これは相手の怪我や疲労などの健康状態、朦朧や魅力などの特殊効果などにかかっているかなどを調べ、適切な解呪や治療を行うための呪文である。

それらの『確認できる状態』の中には毒や病気も存在しているのだ。


状態確認ティセスト〉は初歩的な呪文のため効果も単純である。

そのため相手が病気かどうかは判別できるがどんな病気なのかまではわからない。

ゆえにこの呪文で検知されたからと言ってその相手が性病なのかまでは断定できぬ。


だがそれで問題ないのだ。

娼館の仕事は部屋で二人きりになることが多く、飛沫感染・接触感染・粘膜感染などのリスクが常に付きまとう。

喩え性病であろうとなかろうと病人を店に入れてよい理由などどこにもないのである。


ゆえにこの娼館の内に入る前の小さな部屋。

ここで病気と検知された者はそのまま店の外へと回れ右させられる。

そして…職業紹介所と同様に、娼館に併設が義務付けられたもう一つの施設へと案内されるのだ。


診療所である。


診療所と言ってもミエの世界の総合病院のような本格的なものではない。

相談しに来た相手の様子や症状などから何が怪しいか、どれほど危険かを判断するのが主な仕事である。


実際には抗生物質などがあれば性病のほとんどは治療可能だし、ノーム族の錬金術があればビーカーやシャーレといった器具も用意できるため、抗生物質を作る環境自体は整っている。

整っているのだが肝心のミエがその製法をうろ覚えでありこの計画は頓挫してしまった。


「w-っと確かカビを培養して…培養して?」


あたりでミエの知識は止まっていた。

なので必要なカビの種類もわからなければどうやってペニシリンを厳選し純粋培養するのかの手法もわからない。


知識自体であればペニシリンとストレプトマイシンがあるのは知ってはいるし、サルファ剤についても聞いたこと自体はある。

いずれも抗生物質の一種である。

ただその正確な製法を…となるとてんで覚えていなかった。


既に当たり前のように存在する抗生物質の製法をわざわざ調べ、いざという時の自作するために必要素材を覚えておこう、とまではならなかったのだ。

このあたり医学の知識が多少あっても医学生でもなければ医者志望でもなかったミエの限界である。


まあミエの知識は置いておいて、その診療所で行うのは字の如く診療である。

その診療の結果栄養不足などであればしっかりした食事を支援してやり、普通の風邪などであれば薬(錬金術で作られたもの)を渡して静養させ、重篤な病気の疑いありと判断されたら教会に連れて行って奇跡の力で治療してもらう。

そのための教会もまた市の財政によってこの近辺に建てられた。


そして娼館に務めている娘であればそれらの治療費は基本無料となる。

働く娘たちのための保険料は娼館経営者が負担し、教会への寄付金の大半は市が負担、残った金額も娼館が支払う、という形にしたのである。


さらに言えばこれらの職業紹介所、診療所、教会などは娼館の専用施設ではなく、街の者にも解放されている。

いわば公共施設の建設とセットにすることで、近辺に住んでいる人たちに娼館を許容させたわけだ。


このあたり公共事業の地元還元政策に近いものがあり、ミエの故郷のお家芸を彼女も踏襲したことになる、

こういうところに関して、ミエはなかなかにしたたかである。


さて娼館が立てられたのは下クラスク西、すなわり下街であり、このあたりはアパートなどへの再開発も進んでおらず、低階層の木造家屋が目立つエリアだ。


そんな中公共施設として娼館が建てられ、さらに義務として併設された職業紹介所や診療所などが一般に解放されたwけだ。

当然教会もだ。


となれば娼館の近辺のそれらの施設に地元の住民たち足げしく通うようになる。

より稼げる、より自分に向いた仕事を紹介してもらったり、あるいは体調が悪いと感じた時診療所で相談したり、といった具合である。


多くの人が集まればそれを目当てに近辺に食事や酒などの飲食の店ができる。

飲食店ができればそこで食事をするために人が増える。


結果人通りが増えた娼館の前では、あまりができなくなってしまった。

娼館にありがちな淫らな客引きや恫喝的な勧誘などがそれだ。

店の前に人通りができるということは人の目によって監視されていると言う事でもあるからだ。


こうしてミエは娼館を限りなく健全に仕立て上げ、公営娼館としてオープンしたのである。





ただ…少しだけミエの予想外というか、想定外のことが起きた。

集まったである。





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