第728話 公営娼館トゥヴラムツ

「ええっと、ここは街が公的に許可し支援している娼館って事で合ってますよね?」

「そうだね。ちゃんと看板にもそう書いてあるだろ?」

「どれどれー?!」


どたどたどた、と娼婦クェットナモが指さす方向へ駆けて行ったヴィラが看板を覗き込む。


「??」

「読めないなら読めないって言いなさいよ!」


シャルがツッコみながらヴィラの後に続き、看板の文字を読んでやる。


「クラスク市公認 娼館『トゥヴラムツ』だって」

「とぅヴ……らむつ?」

「『春』って意味ね。イメージ的なものかしら」

「なるほどー!」


文字は読めてもニュアンスまではわからぬシャルが適当なことを言って、ヴィラが本気で感心する。


人生に於いて若き日々のことを青春と呼ぶ。

若く青臭い時代が若芽が萌える春を連想させるからか、この世界でも青春時代のことを『春時トゥヴラムツーノ』と呼ぶ。


そこからこの単語には若者を指すニュアンスがあって、店名はそこからつけられたものなのだろう。

つまりは、下世話な話だが『若くてピチピチな子がいっぱいいるよ!』と店名でアピールしているわけだ。


「それでその…以前私営の娼館が取り潰しにあったと聞いたのですが」

「あー、あったねえそんなこと。あたしもそこに務めててさ」

「そうなんですか!?」

「そうそう。そりゃあ見事にぶっ壊されたさ。いやホントオークってのは怪力だねえ。キレイに更地になってたよ」


クェットナモ がそう語る背後で、店に並んでいるオークどものうち二、三人が両肩を怒らせ力こぶをつくり己の筋肉をアピールする。

どうやら彼女の話が漏れ聞こえて自分達の魅力をアピールするチャンスだと思ったらしい。


「それで今度は公営の店ができたからこちらに…?」

「あーそうそう。もし娼館ができたら紹介しておくれよって衛兵に言っといたらあとから紹介状が届いてね。そのままこの店に入ったのさ」

「へえ……」


エィレは少し意外そうな声を上げる。

彼女は娼婦というのは貧しい女性や他の仕事に就くのが難しい女性などが仕方なく働く仕事のようなイメージを抱いていたからだ。


だが目の前の女性は不健康そうにも見えないし細腕なりに農作業程度はできそうな健康体に見える。

そんな彼女がわざわざ一度潰された娼館に再就職をしたい、というのがエィレには不思議に映ったのだ。


「それでクェットナモさんはなんでわざわざこの街が私設の娼館を潰して公営のものを作ったかってご存じですか?」

「さあ? そーゆーのは上の仕事さね。あたしらが気にすることじゃあないさ」


その答えにエィレは顔にこそ出さなかったが内心眉をひそめた。

そういう自身の思考を放棄したようなものの考え方は彼女の好むものではなかったからだ。


だが多くの人々がこうした思考放棄に近い考えをしているのもまた事実である。

その方が楽だからだ。

エィレはそんな心のうちなどおくびにも出さず、そのまま彼女の話に耳を傾けた。


「ただまあ、今の娼館の方が前よりずっとマシってとこは間違いないかねえ」

「マシ…ですか」

「なになになに?」

「なにがマシだって?」


エィレの呟きを聞き付けて、ヴィラとシャルが戻って来る。


「このお店より前に私営の娼館があったんだけど一度クラスクさまが潰してるの」

「へえ」

「それで今度は街公認でこのお店ができたんだけど、だいぶ以前よりよくなってるって話」

「ふーん」


エィレの話にシャルが相槌を打つ背後で、ヴィラが腕組みをしながら上半身を横に傾け全身で疑問を訴えていた。


「どうしたの、ヴィラ」

「『シエイ』と『コーエイ』ってナニ?」

「そこからか。そこからせつめいしないとだめか」


シャルが手刀でツッコミを入れながらかいつまんで説明する。


おおやけってのは簡単に言えば街とか国とかのことよ。ここならクラスク市が『公』。公営ってのはその街とか国とかが主体でやることね。で私営ってのはその反対に個人でやること」


シャルの説明はエィレの意向に沿っているしエィレ自身もそう認識しているが、厳密に言えばクラスク市がアルザス王国との協議を成立させるまではクラスク市を公と呼ぶか私と呼ぶかは議論の余地があるだろう。

とはいえ少なくともこの街の住人にとってはそれで通じるはずだ。


「なんでたいしゅさまは前にあったおみせつぶしたのに同じおみせたてたの?」

「ええっと、それは……」


ヴィラの素朴な、だが実にもっともな疑問にううんと腕を組んで考え込むシャル。


「儲かるお店だったから自分達だけで独占したかったとか……?」

「それは違うと思う」


シャルの推測にエィレがフォローを入れた。


「そう噂する人もいたみたいだけど、たぶんそうじゃない。クラスクさまとミエさんはあまりお金儲けとか考えないタイプだと思う」


金儲けどころかあの二人は権力すら、自分達がこの街の支配者であること自体にすらあまり頓着していなさそうだった。

もし自分達の手を離れても街が同じように維持発展できるのなら喜んで譲り渡しそうな気配すらある。


ただアルザス王侯との交渉が妥結されていない現状、他の者に街の運営を任せるのは事実上の責任放棄になりかねない。

だから彼らは街のトップとして君臨し続けているのだろう。


「じゃあ何が目的なの?」

「なのー?」

「それをクェットナモさんが教えてくれたんだと思う。たぶん……働いている人の環境改善をしたかったんじゃないかな」

「へえ!」

「「???」」


エィレの言葉にクエットナモは少し目を見開いて歓心の体を見せた。

一方でヴィラとシャルがいまいち納得できぬ顔で首をひねった。


「どゆこと?」

「その……娼館ってことは女の人が身体を使って、えっと、さけでしょ? だから健康を害する人が出ちゃうことがあるの」

「そーなの?」

「そうなの?」

「私おそこまで詳しいわけじゃないけど…」

「それで合ってるよ。勤務時間とか性病とか色々ね」

「「「性病?」」」


クエットナモの言葉に今度はエィレまでが首をひねった。

彼女も型通りの知識として娼館や娼婦について知ってはいても娼館の実態についてそこまで詳しいわけではないのだ。


「そうさねえ。性病にかかるとココの周りにでっかいおできができたりとか、子供が埋めなくなったりとか、ひどいのになると体中に斑点ができて狂い死にしたりするからねえ」

「「「なにそれこわい!」」」


わざとおどろおどろしい風に語るクエットナモの言葉にエィレ達三人は抱き合って震えあがる。


「それって…コウエイになってどうにかなるの?」


だが半泣きのヴィラの問いにエィレはハッとした。


そうだ。

わざわざ私営の娼館を潰してまで作った施設である。

なにがしかの意味があるはずなのだ。


もちろんミエに聞いたほうが早いのだろうけれど、仮に聞くとしてもそれは最後だ。

現場の声から調べないと記事にはできぬ。

記事が書けなければ記者とは呼べぬ。


「とりあえずそれがぜーんぶ違う病気だってのは教えてくれたね。娼館の中の壁にも貼られてるよ。以前は性病つったら梅毒以外だいたいひとまとめだったんだけどねえ」


性病には様々な種類がある。

例えば彼女が先程言っていた大きな腫物ができるのは尖圭コンジローマ だろう。

不妊になるのはおそらく性器クラミジア感染症。

そして狂い死にするほど重篤なものはほぼほぼ梅毒と考えていい。


これらは皆性交渉を行う事によって交渉相手の性器に感染し、広がってゆくだ。

男女がペアで性交渉を行う限りそれ以上外に感染は広がらない(厳密には出産の際子供に感染するリスクもある)のだから、これが伝染病と呼ばれるためには娼館のように複数の相手と性交渉を行うなんらかの組織や施設が存在している証となるだろう。


ただ…多くの国や地域に於いて、ほとんどの性病はひとまとめに語られてきた。

『性交渉をすると感染し様々な諸症状を引き起こす』ものが性病だとひとまとめに考えられてきたからだ。


そして個々の病気に対して娼館はしっかりと対策を行わない。

やってもせいぜい水での膣洗浄くらいだろうか。

娼館の商売上性交渉をしないという選択肢があり得ないからだ。


それゆえ誰かが性病に罹患しているとまたたくまに娼館全体に、そして顧客に病気が広がってしまう。

性病の恐ろしさである。





公営にするにあたってミエが真っ先に手を付けたのが、その性病対策であった。




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