第723話 守護聖獣コルキ
エィレの認識は一部間違っている。
彼女が危惧した通りコルキは形成要素的には間違いなく魔物だからだ。
ただ魔物はその獲得した知性と魔物に至る過程的に容易く邪悪な化物に堕してしまうだけで、魔物それ自体が邪悪なわけではない。
まあこの世界の殆どの者が知らぬことなのだが。
そしてコルキは奇跡的にそこに至る前に厳しい教育と強い愛情を注がれてしまった。
それゆえ彼は
実際今の彼ならミエなど前脚の爪のひと撫で容易く引き裂くことができるだろう。
だがコルキはそうしない。
できない。
幼少時に叩きこまれた恐怖と先入観が、いつまで経ってもミエを絶対に叶わない存在であると彼の中で定義づけてしまっているからだ。
ともあれコルキは魔狼…すなわち狼の魔物であり、そして同時に
言ってみればこの世界で初めての飼い犬…もとい飼い狼なのだ。
無論この世界にもペットの概念はある。
小鳥や兎、リス、小型の馬など、王侯貴族や富商などが金に任せて様々な動物を飼育したり愛玩したりしている。
だがそうしたペットの中に犬や猫などの肉食獣、或いは鷲や鷹などの猛禽類はいない。
野生の肉食の鳥獣は人肉を喰らうことがあり、神の似姿たる
そして加護を喪った彼らは自然の中に残存した瘴気溜まりなどから容易に瘴気の影響を受け魔物と化してしまう恐れがあるためだ。
だからと言って
人の肉さえ食わなければ彼らは単なる野生の生物に過ぎないのだし、エルフ族や
まあそうした秘儀が他の種族に伝わることはこれまで全くと言っていいほどなかったけれど。
ただ…この世界の住人は肉食獣が人の肉を喰らうと魔物と化すことは経験則として知っていたけれど、その魔物化のプロセス自体は解明できてはいなかった。
それを知っているのはこの街の首脳陣…コルキを目の当たりにして知見を得たミエ達だけだ。
そして彼らは決してそれを外部に漏らさない。
当たり前である。
並の獣より遥かに巨大化し、人間に近い知恵を有し、それでいて教育次第では命令もしっかり聞く魔獣が量産できるなどと知られれば、当然どこの国だって戦力として活用しようとするだろう。
そんなことになれば各国の戦力バランスが魔物の数によって決まるなどという事態になりかねず、軍事バランスが崩壊しかねない。
そして量産可能と言ってもその成立過程でどうしても経なければならぬこと…すなわち人肉を喰わせる、という過程が大きな問題だ。
コルキのように偶発的なものでなく、意図的に発生させようとするなら当然そのプロセスは非人道的なものにならざるを得ない。
それをさらに量産ともなればとんでもなく冒涜的な所業にならざるを得ないだろう。
現在の魔物の用途とはまた別の意味で魔族がとほくそ笑みそうなではないか。
そもそもコルキもまた魔物である。
魔物はただの獣から魔物へと変じる過程、すなわち知恵を得る段階で
コルキはたまたまその完成に至る前に魔物としての道を外れミエのペットとして己を自認してしまったわけだが…そうした冒涜的な手法によって自分達の量産を図らんとする愚かな
もしそうした感情を得てしまって、獣たちが本来の意味での魔物へとなってしまったとしたら、その被害は、そして危険性これまでの比ではない。
何せ彼ら魔物を軍隊に組み込まんとしているのだからその育成と養成は街の近くで行われる(死体の入手先から考えてもそうならざるを得ない)わけで、そんな場所で魔物が大量に発生してしまうのだ。
まず街を護る防衛の要である軍隊が甚大な被害を受け、続いて街で魔物どもによる大量の殺戮が起きる。
そしてその過程で走り回る彼らから噴き出た瘴気がそのあたりを染め上げて人々から滲み出た恐怖や慟哭などの感情がその地に満ちれば…そこに魔族どもが好んで住まう瘴気地が生まれてしまう。
そんな危険を冒すわけにはゆかぬと、クラスク市の首脳陣は緘口令を敷き自分達の知っている情報を決して外に漏らさぬようにした。
結果としてコルキはこの世でオンリーワンの存在となり、その後幾つもの戦いに於いて太守クラスクと肩を並べ戦うことで街を護る守護聖獣としての地位を確立してしまった、というわけである。
当人の認識的には未だミエの忠実なペット程度なのかもしれないけれど。
…まあ己の首から伸びる鎖を括りつけた鉄杭を自ら引き抜き散歩に出かけ、戻ってきたら自らその杭を地面に嵌めたしたしと肉球で叩き埋め直す存在をペットと呼んでいいかどうかについては議論の余地があるだろうが。
「ばうー」
コルキはラルゥの前で腰を落とし、伏せの状態となった。
彼女が撫でやすいようにするためである。
そしてラルゥがいつものようにその毛並みを撫でつけると気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「へええー、間近で見るとホントにおっきいわね」
「おっきい! びっくり!」
「でかさならアンタも負けてないでしょ」
シャルとエィレが感心したように瞳を輝かせコルキを見つめている。
並の狼の倍以上の大きさのコルキではあるが、大きさで言うなら巨人族であるヴィラもまた人間の倍程度の大きさがある、
ゆえにヴィラとコルキが並べば縮尺的にはほど不自然ではなくなるのだ。
まあそうすると今度は周囲の景観とのサイズ感が違和感の要因となってしまうだろうが。
さて一方のエィレは目を細めラルゥに撫でられるに任せているコルキを見ながらとある強い感情に襲われていた。
それはミエの世界にとってはある意味当たり前の、だがこの世界の住人にとっては凡そあり得ぬ心の働きであった。
(か、かわいい……っ!)
…これである。
コルキの鼻を鳴らしながら大人しく撫でられる様子がエィレにはとてもとても可愛く感じられたのだ。
彼女はコルキが魔物そのものだと気づいていない。
ミエとクラスクが連れている魔獣…聖獣? のようなものだと思っている。
だがそれでも肉食獣である。
肉食獣は、危険だ。
この世界の
にもかかわらずエィレはついコルキを可愛いと思ってしまったわけだ。
「…皆さんも撫でてみますか?」
「いいの?」
「やりー!」
「い、いいんですか?」
「はい。ね、コルキもいいでしょう?」
「ばうー」
ちらりとエィレ達の方に目を向けて、だがラルゥに鼻の上を撫でるに任せ身じろぎもしない。
嫌がっていないという事だろうか。
「では失礼しまーす…」
「あまり強く触ったり毛を毟ったりはしないでくださいね。怒って食べられちゃうかもです」
「「「きをつけますっ!」」」
洒落や冗談ではない。
仮にもクラスクと並んで地底軍を退け赤竜と対峙した歴戦の獣なのだ。
今は大人しいけれどいざ暴れたら自分たちなどまたたくまに切り刻まれてしまうに違いない。
エィレは少し気を引き締めて…
「ああシャル、ヴィラ、待って待って、わたしもー!」
気を引き締めてコルキの元へと駆け寄った。
「しかしでっかいわね!」
「ほんとおっきい!」
「いやだからでかさならアンタもまけてないでしょーが」
「思ったより柔らか…ううん奥の方はすごいごわごわしてる…?」
コルキの脇腹辺りに群がってその背や脇の毛を撫でつける三人。
コルキの毛は一見柔らかそうだが奥の方へ手を沈めるとものすごい弾力と硬さを感じた。
これでは並の剣や槍なら突き通らぬかもしれない。
「あれでもこのあたりはだいぶ柔らか……あれ?」
「きゃんっ!」
コルキの脇腹から甲高い音がして、娘達がうん? と首を捻る。
「ええと、なになに?」
「ちょっと待って、今何か手触りが…」
慌てたエィレが目の前の極太の毛をかきわけると…
目の前に、愛らしいつぶらな瞳をした小さな狼が、いた。
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