第722話 棄民の行く末

「私達棄民は王都を放逐されこの地までやってきました。そしてこの地で荒野を前に途方に暮れていました」


ラルゥは静かに当時の事を語り始める。


「畑を耕すための農具は最低限用意されていました。畑に撒くための種籾はありました。ただ…私達には決定的に足りないものがあったのです」

「足りないもの…?」

「…食料です」

「!!」


エィレはハッとした。

王国からここまでの距離は馬ですらかなりの距離があった。

それを徒歩でやってくるだけでも大変なはずだ。


そこに至るまでの食料と、そこから種を撒いて収穫するまでの食料。

ではないか。


「それは、その、最初から持たされてなかった、ということでしょうか」

「多めの食料自体は荷駄に積まれて渡されていましたが、そちらは山賊の襲撃に遭って奪われてしまいました。ただ読み書きや計算などを教わった今なら、あの食料がまるまる無事だったとしても私達全員が収穫まで食べ繋ぐのは無理だったと思います」

「…………………」


ショックのあまり押し黙ったかに見えたエィレだったが、その脳裏では高速で思考を巡らせていた。

あの父王がそんな救いのない決定をするはずがない、という前提があったからだ。


そもそもこんな僻地まで開拓に向かわせて護衛もろくにつけていないのがおかしい。

騎士団がいれば山賊などにむざむざ荷駄を奪われはしなかったはずだ。


となると同じ時期にこの地方にオーク族の討伐に向かったという翡翠騎士団…キャスのことだが…が怪しい。

本来ならあの騎士団は棄民…もとい開拓民達の護衛を任されるはずだったのでは…?

などと考えたわけだ。


…エィレの推測は正しい。

実際翡翠騎士団第七騎士隊は棄民達による開拓団の護衛として派遣される……


だが己の計画のため地底の者達の奸計に乗った愚か者の手によってその両者が共に出立することはなく、だいぶ遅れて王都を経つこととなった第七騎士隊は、そのタイムロスを埋めるため隊長であるキャスの交渉により王国中央の暗がりの森バンルラス・ヒロスを抜けるしかなかったのだ。


また本来であれば棄民達について隊長であるキャスが話を通されているべきなのだけれど、これまた策謀により情報が途中で止められていた。

それでも翡翠騎士団団長であるヴェヨール・ズリューが王都にいればどうにかできたのかもしれないが、生憎彼と翡翠騎士団の第一から第三騎士隊はその時北方の防衛都市ドルムへと食料を護送する荷駄の護衛任務に就いており、結局キャスが己の本分を知らされることはなかったのである。


(もし騎士隊が護衛についていたら…)


仮に理想通りの展開となった場合、キャス達翡翠騎士団が開拓団を護衛しながらこの地に到着し、ラルゥ達が開墾をしている間に騎士団が中森ナブロ・ヒロスのオーク達を討伐していたのだろう。

そうすれば豊富な森の資源が手に入るようになり、狩猟や採集によって食料の時給が可能になったはずだ。

それならば収穫期まで持ちこたえる事ができたのでは…


そこまで考えたところで、エィレはかぶりを振った。


でもそうはならなかった。

この街に着いてから知ったこと。

キャスが率いる騎士団はクラスクが率いたオーク達によって破れ、彼女は部下を救うために虜囚となったこと。

その間クラスク村の手伝いをしている内に彼に敬意を抱き、やがてそれが思慕へと変わったこと。


「途方に暮れていた私たちのところに…クラスク様がオーク達を率いてきてくださったのです」


その結果として……ラルゥたちはよりにもよってオーク達に救いの手を差し伸べられることとなったこと。


「クラスク様がこの地に村をお作りになる、とお決めになった時、私達棄民はあの方に雇われ、家と食料を与えられ、この地であの方の為に開拓に従事するようになったのです。そういう意味で…私達はこの地のと言えるでしょう」

「「おおお~~~」」


シャルとヴィラが感心したような声を上げる。

そしてエィレもまた彼女の話を聞いて得心した。


クラスク市のオークの原形はこの街の南、中森ナブロ・ヒロスにあった集落だという。

オーク族の集落である以上、当然そこには各地の村などから攫われてきた女性達がいたはずだ。


ただこの時点ではクラスク達が住んでいたのはただのオーク族の集落であって、外に開かれた村ではない。

クラスクがこの場所…現クラスク市があるこの地にアルザス王国から放逐された棄民達…開拓団の皆のために家を建て、彼らに鋤や鍬を持たせ周囲の開拓を始めた時、はじめてそこに『村』が生まれたのだ。

そういう意味で、確かにラルゥはこの村の最初の住人であると言える。


「私達はクラスク様に命を救われて、安住の地を与えられました。あの方はオーク族ですが、立派な方です。初期からこの街に住んでいる者達で、あの方を悪く言う人は一人もいないと思います」

「へえー、随分立派なことするもんね」


シャルは感心しつつ納得もした。

人魚族である彼女を助け、金に換える事もせず街で保護するなど地上の為政者にしては相当珍しいはずだ。

そういう人物だからこそラルゥも助けたのだろうと。


まあシャルの件に関してはクラスクというかオーク族がそもそもこれまでの長い歴史で金銭自体をまるで使ってこなかったため売って金に換えるという発想自体出てこなかった、というのとそもそもがオーク達は人魚族の価値や境遇をまるで知らず無頓着だったから、という面もあるのだが。。


「…ラルゥさん。一つ質問よろしいでしょうか」

「はい。私に答えられる事であれば」

「クラスクさまは…その、なぜ他種族であるラルゥさん達を助けようとしたのでしょう。何か伺ってませんか? キャスさんに取りなされたとか?」

「そうですね…」


ラルゥは少し考え込んだ後、小さく肯いた。


「確か…この辺りはクラスク様の縄張りで、そこに住み着いていた私たちはあの方の所有物なのだと」

「所有物」

「はい。そして私たちがクラスク様の所有物である以上、あの方は私達を守らなければならない責務があると」

「ああ……」


つまり親分と子分のようなものだろうか。

要はクラスクはラルゥ達を自分の子分と見なしたのだ。

そして子分である以上親分である自分が面倒を見なければならぬ…とそう判断したという事だろうか。


ただそれにしてもオーク族以外の相手に対しそうした判断を下すというのはオーク族にとってかなり稀有な事だとは思うけれど。



「ウオオオオオオオオオオオオオオオン!!」



とその時、空を切り裂く雄叫びが響き、空が一瞬暗くなる。

そして陽光を遮るようにして何者かがエィレ達の頭上を奪い、次の瞬間目の前にどすんと着地した。


「ばうっ」

「あらコルキちゃん。早かったわね」

「ばうっ」


ラルゥが挨拶をすると、コルキは尻尾を振って彼女に近寄り、ラルゥに撫でられ気持ちよさそうに目を細め尻尾を振った。


「これが…これが守護聖獣……?!」


そこまで呟きエィレは絶句した。


狼だ。

狼である。


つまり肉食獣だ。

魔物になるかもしれぬ危険をはらんだ肉食の獣である。



そして大きい。

とにかく大きい。

全長12フース(約3.6m)近くある巨大さである。


どう考えても並の狼のそれではない。

魔物のような巨大さである。


だがその瞳には獰猛さはなく、瘴気を失い血走ってもいない。

むしろ落ち着いていて、叡智すら宿っているように感じる。


つまり彼は魔物ではない。

だが魔物ではないなら…この巨大な獣は、一体何者なのだろうか。





エィレの思考はしばしそこで止まって、ただその巨大な獣に目を奪われていた。




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