第721話 発展と城壁

「私に御用事なのですね」

「はい。少しお時間宜しいでしょうか」


エィレの言葉にラルゥと呼ばれたその娘は手元の紙にペンで書き記す手を止めた。


「わかりました。では私だけ手を休めるのもなんですし、ここで一旦休憩としましょう。皆さんも少し休んでください」

「やった!」

「ちょうど慣れない作業で腰がきつかったとこだったのよ」

「いやー助かる! ありがとうねアンタたち! …ってでかいわね!」

「あーアンタちょくちょく見かける巨人族のコかー」


ここでもヴィラはよく知られていて、彼女を大いに照れさせた。

働く巨人族というのは、それだけで相当に目立つのだ。

まあ街の周囲は遮蔽物のほとんどない一面の畑と牧草地ばかりなのだから、巨人族の背丈が目立って当然ではあるのだけれど。


「じゃあ私は仕事に戻るわね。ラルゥ様、あとはよろしくお願いします」

「はい。怪我などしませんように」

「はいはい」

「ありがとうございます!!」


案内してくれたフェディラが片手をひらひらしながら仕事に戻り、エィレ達が頭を下げ礼を言った。


「それで…一体どのようなご用件でしょうか」

「ええっと…」


エィレは手早く己の用件を説明する。

背後では畑仕事を中断し休憩中の女性達が他愛ないおしゃべりに興じていた。


「なるほど…コルキちゃんですか」

「ちゃん、ですか…」


仮にも聖獣と呼ばれている相手に対してだいぶフレンドリーすぎる気もするが、エィレはとりあえずそのまま聞き流すことにした。


「一応あの子が小さい頃から知ってはいますから、私も彼に声をかけること自体はできます。ですがミエ様と違って呼べば来てくれる、というわけではありません。あくまで選択権は彼の方にあって、気が向いたらこちらに来てくれることもある、程度のものですが……それで構いませんか?」

「はい。それで十分です」

「わかりました。では……」


ラルゥは顔を上の方に向け、己の指を二本はむ、と咥えると、そのまま甲高い音を発した。

口笛を鳴らしたのだ。


その音は広い畑中に広がって、各所で作業していた者達の注目を集めた。

周囲から集まる視線に少したじろぐエィレ達だったが、ラルゥは特段気にする様子もない。


「それで…」

「少し待ってください。静かに」


口を開きかけたエィレはラルゥに鋭く制されて、シャルやヴィラと顔を見合わせ慌てて口をつぐむ。

そんな彼女らの前でラルゥは目を細め、息を殺し耳を澄ませた。


「あれ…なんか聞こえるわね」

「ほんとだ。きこえる」


シャルとヴィラに聞こえたらしきものが、数舜遅れてエィレの耳にも届く。

それは「うおおおおおおおおおん……」という、いくつかの残響音を従えた何者かの咆哮のようだった。


「コルキちゃんの遠吠え…彼の返事のようですね。この様子ならたぶん来てくれるかと」

「「やった!」」


シャルとヴィラが嬉しそうに相好を崩し、エィレが安堵の溜息をつく。


「…彼が来るまでにまだ少し時間がありそうです。その間何か私に聞きたいことがありますか?」

「はい! ありがとうございます!」


エィレはすぐに手帳を取り出しメモの準備をした。

紙が安価に作れるようになってこうした小さな紙の束…メモ帳の供給が始まり、この街で広く採用されるようになっていたのだ。


「ええと、ラルゥさんはこの街の最初の住人と聞きましたけど本当ですか?」

「それは……少し難しい質問ですね」


至極単純なエィレの問いかけに、だがラルゥは少し困惑したように眉をひそめた。


「難しい…ですか?」

「はい。太守クラスク様とその妻のミエ様がオークの氏族…中森ナブロ・ヒロス氏族の改革を志した時、そのオークの集落に私はいませんでした。ですので厳密には私は太守様が今の道を歩まんと決意した時に立ち会っていた人間ではありません。そういう身に於いては『最初』ではないのです」

「ああ……では最初の方、とかそういう……?」


エィレの重ねての問いに、ラルゥはこれまたかぶりを振る。


「それも少し違います。私は棄民。アルザス王国王都より放逐された棄民の一人なのです。貴女なら少しは事情をご存じかと思いますが」

「あ……っ」


知っている。

エィレは知っている。

王国が為したその施策を知っている。


このクラスク市ほどではないけれど、アルザス王国の王都ギャラグフもまた人口増に悩んでいた。

ミエの故郷ではあまりピンとこない感覚なのだが、この世界のような街の構造の場合、人口が増えるという事は街づくりとその運営に大きな問題を発生させる。


居住区画の確保である。


木造でなく石造が基本の街づくりの場合、街の周囲は防衛目的のための土塁や城壁で覆われることが多い。

また防衛という観点に於いては平地より高い丘の上や山の上に町や城を造る事も珍しくない。

いわゆる山城である。


山城は高低差を利用することで高い防御力を得られる反面、山の上であること自体が発展の阻害となる。

山頂の面積を越えて横に広がることができないからだ。


洋の東西を問わず、古代に於いて城塞などは山や丘の上に作られることが多かったけれど、その後徐々に徐々に平地へと移ってゆく。

これは戦時より平時の時代の方が増えたことで軍備より経済の方が重視されるようになったことと、またそれにより人口が増加し、狭い丘の上ではその規模を抱えきれなくなってしまったことなどが大きな要因だ。


わざわざ山の上に登らなければならない街より馬車が簡単に行き来できる平地の街の方が利便性が格段に高く、経済的に有利なのは道理である。

高度があると水の確保も大変なのだ。


その意味で最初から平地のど真ん中に建てられたクラスク市は近隣の街より最初から経済を重視した街づくりをしていると言えるだろう。


まあこれに関してはクラスク市周辺で当時もっとも高い武力を誇っていたのが当のオーク族であるため、彼らが街づくりをすれば襲撃を警戒すべき外敵が(アルザス王国の正規軍以外は)周囲に存在しなかった、という理由もあるのだが。


ただ城が平地に移ったとて城壁自体が消えてなくなるのはもっとずっと後の時代だ。

そうでなくともこの世界には魔族や魔物、竜種と言った危険な生物が跋扈しており、防衛のための城壁の重要度が高いのだから。


となると当然、街が発展するにしたがって増えた人口は、街自らが防衛のために築いた城壁によって阻まれてしまうことになる。


その対策として街の再開発があり、多くの街では内部の建物の高層化が進むこととなる。

ただそのためにはどうしてもやらなければならないことがあるのだ。


それが旧街区の区画整理であり、低階層建造物の撤去である。

簡単に言えば低い建物を取り壊し高層建造物に建て替えるのだ。


そうすれば同じ敷地面積でも居住できる人口が格段に増え、街の広さは変わらぬままその許容量を増やすことができる。

クラスク市が現在取り組んでいるのもまさにこれだ。


アルザス王国王都ギャラグフでも同様の問題が持ち上がった。

そしてもっとも高層建造物が少ない区画が再開発のやり玉として挙げられた。


それが王都最下層の貧民街……いわゆるスラム街と呼ばれる区画である。

そしてそこに住み暮らしていたのがラルゥら棄民たちだったのだ。


彼らは瘴気地に虜囚となってその病んだ心を魔族どもの餌として喰われ続けた哀れな犠牲者の子孫であり、消えぬ偏見により差別を受け続けてきた者たちであった。


それでもアルザス王国の代々の国王は彼らを城壁にて庇護し続けてきた……が、三代目となって遂に拍車のかかる人口増に耐え切れず、彼らが放逐されるに至った、


棄民たちは新たな生活拠点として王国の南西部、すなわちクラスク市の土台となったかつての廃村へと送られ、そこで瘴気開拓の事業に従事する予定だった。


ただ……その地は長い間オーク族が跋扈支配する土地で、つまり体のいいであると、街の者達のもっぱらの噂であった。


エィレが知っている棄民たちの顛末……いわゆるはそんなところだ。




実際には地底の連中の暗躍など様々な勢力の策謀の結果為された施策だったのだけれど、流石に政治中枢に顔を出せぬエィレにはそこまでは知り得ない。




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