第720話 第一農業区農長ラルゥ
「へー、街の最新情報を! そりゃ面白そうだね!」
「野良仕事終えて街に帰ったらその新聞ってので街の様子がわかるってことか。そりゃ便利だねえ」
「で、いつ出るんだい?」
「ええっと、詳しくは聞いてないですけど、近いうちとか…」
「へええ…」
単純な技術上の問題だけなら正直明日にでも新聞を出すことは可能なはずだ。
ただその場合紙質がよく高い新聞になってしまうし、その分発行部数が減ってしまうし、記事も全然足りていないし、なにより王都ギャラグフ側で同時発刊できなくなってしまう。
だからまず安価で大量生産向けの印刷用紙研究をしなければならないし、大量の記事ストックを貯めこんでおかなければならない。
その間にアーリンツ商会が印刷機を王都へと運ぶ手はずとなっているのだ。
「で、そのシンブンとやらに載せるためにコルキ様の取材? をしたいってことか」
「なるほどねえ。確かに他の街では見かけないだろうからねえ」
「へえ、コルキみたいなのって他の街じゃいないんだ」
「そーなの?」
シャルとヴィラが顔を見合わせて首を傾げる。
当たり前だ、とエィレは思った。
コルキは狼である。
つまり肉食獣だ。
そして肉食獣は常に魔物化する危険をはらんでいる。
とてもではないが
だからこそコルキは珍しいのだし、珍しいからこそ記事として取り上げる価値が高い。
間違いなく王都側の興味を引く記事なるだろう。
「そうだねえ。ミエ様なら簡単に呼び出せるんだろうけど」
「えっと、ミエさんは最近ずっととびっきり忙しいみたいで、できればお手を煩わせたくはないかなって…」
「まーた忙しいのかい、あのひと」
「ほんといっつも忙しくしてるねえ」
「自分の子供だっているのに。ほんと何やってるんだか」
呆れたような口調で娘達が顔を見合わせる。
「じゃあラルゥ様に頼んでみたらどうだい? あの方ならコルキ様を呼び出せるかもだ」
「そうそう! そう言えばラルゥ様がいたね!」
「ラルゥ……?」
ぱちくり、とエィレが目をしばたたかせる。
初めて聞く名だ。
ただ語感からして女性だろうということはだけわかった。
「ラルゥ? ラルゥがどーかしたの?」
「シャル、知ってるの?」
「わたしもしってる! かくれざとにたべものはこんでくれるひと!」
「へえ…?」
二人が知っているという事は隠れ里に関連ある人物なのだろう。
あの村の危険性や秘匿性を考えれば、円卓のメンバーにこそ入っていないけれどミエやクラスクから相当信頼されている人物ということになる。
「で、ラルゥがなんなの?」
「ごはんのひと?」
シャルとヴィラのそんな台詞に、その場にいた娘達がどっと笑う。
「あっはっは、アンタたちなんにも知らないのかい?」
「そりゃあの人は自分から話す方じゃないだろうしねえ。謙虚だし!」
「そうだねえ。あんたとは違って謙虚だし」
「そりゃどーゆー意味だい!」
軽口を叩きながらも、だが口調はともかく険悪な雰囲気はない。
エィレには皆がその女性のことを信頼し、また尊敬しているであろうことが雰囲気からもすぐにわかった。
「ラルゥ様はこのあたり、こうクラスク市に隣接してるあたりからここの北のヴェクルグ・ブクオヴ街ってあるでしょ? へえ行ったことある? なら話が早いわ。そこの手前あたりまでの北部耕地一帯、区分でゆーと…なんだっけ? 確か第一農業区だとかをまるっと管理してる農長様さ」
「「「ええええええええええええええええええ!?」」」
三人娘が目を丸くして驚嘆する。
「って二人とも知らなかったんだ?」
「ぜんぜん! しらなかった! いつもごはんはこんでくれるいいひと! とは思ってた」
「そりゃ確かにいい人ではあるわね!」
「あはは! ラルゥ様をいいひとか! 確かに! 確かにね!」
楽し気に娘達が笑う。
どうやらなにかのツボを突いてしまったらしい。
「まーうちら隠れ里の場所を知らされてるんだから色々事情を知ってる人だとは思ってたけどねー…そんな偉い人だったんだ」
「偉いだけじゃないわよ。あの人はこの街がまだクラスク村って呼ばれてた頃の、それもいっとう最初の村民の一人だからね。この街のことなら色々知ってる古株中の古株さ」
「「「へえええええええええええええええええ!!」」」
それは興味深い。
エィレは俄然瞳を輝かせた、
そういう人の話を是非聞きたいと考えていたところだったのだ。
むしろ今回合えれば色々探す手間が省けたというものである。
「それで、その方はどこに?」
「あっちあっち、あそこの牧草地で働いてる人がそうさ」
娘が指さしたずっと先には剥き出しの地面…畑地があって、そこでも幾人かの女性が働いていた。
距離が離れているため詳しくはわからぬが、どうやら他の女性から少し離れた場所で何やら書き物をしている娘がそうらしい。
「せっかくだし案内するわ。みんな、少しの間こっちはお願いね」
「「「はーい!」」」
「あ、ありがとうございます!」
娘の一人が手を挙げて、他の娘達が元気よく返事をした。
三人はその娘の案内で畦道を越えて目的の畑へと向かう。
エィレは靴が汚れぬように、作物を踏みつけぬように気を付けて進んだ。
「……………………」
エィレは歩きながら己の隣を歩く娘を観察する。
年の頃は二十歳前後だろうか。
まだ若く、それでいて農婦と言うには随分とあか抜けている。
こうなんというか、農作業でどうせ汚れるから、と諦めておらず、身だしなみに気を使っているのだ。
こういうあたりもこの街の雰囲気の為せる業だろうか。
「おおいラルゥ様! ラルゥ様ー!」
娘の声に顔を上げた女性……畑仕事をしている娘達の横で腕に板敷を乗せ、その上に置いたノートのようなものに何かを走り書きしている女性だ……が顔を上げた。
「フェディラさん、どうかなさいましたか?」
静かな、そして柔らかな声だった。
面を上げたのは、落ち着いた佇まいの美しい女性だった。
どうやら彼女がラルゥという娘らしい。
体型はやや痩せ気味だが、それは栄養不足から来るものではなく、おそらく生来のものだろう。
むしろ肌の張りや瑞々しさは彼女の身体が健康そのものであることを示している。
「あら、シャルさんさんにヴィラさんも。あとそちらの方は……」
「エィレッドロです」
「……まあ、これは初めまして。ラルゥと申します」
「…………!」
エィレはそのラルゥという娘の反応に少し驚いた。
自己紹介をした時、彼女は少し目を見開いた。
きっとエィレの名に聞き覚えがあったのだ。
つまり彼女はエィレの正体を知っている人物、ということになる。
にもかかわらず彼女はすぐにそれまでと変わらぬ挨拶を交わした。
正体を知っているのなら当然王族である彼女の身分も知っているはずであり、慌ててそれに応じた言葉使いや丁寧な態度を取ってもおかしくない。
だが彼女はそれをしなかった。
それは何故か。
エィレが自分の正体を秘密にしており、そして周りに明かして欲しくないと思っているとその態度と周囲の反応からすぐに察し、それに合わせてくれたからに他ならぬ。
その一瞬のやり取りだけで彼女が相当に賢く、また気遣いのできる娘であることがエィレには見て取れた。
「らるぅ、おはよう!」
「はい。おはようございます」
「ラルゥ、あんた偉かったのね」
「シャルさん? それはどういう…」
「あ、ごめんラルゥ様、この子たちに色々吹聴ちゃった」
「あ、はい、えっと、ラルゥさんがこの街がまだクラスク村だった頃の最初の村人の一人だったとお伺いして……」
「ああ……」
ぱちくり、と目をしばたたかせたその娘は、小さく息を吐く。
「少し、お話を聞かせて戴けないでしょうか」
「わかりました。わたしに話せることであれば」
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