第699話 痴態
それも他者の、さらには異性によるそれは
クラスクとイエタは夫婦である。
ゆえに二人が寝所でそれを行う分にはなんら問題はない。
その前にしろ後にしろそうした行為を行っているだろうはずだからだ。
だが昼日中の、それも他人が入ってくるかもしれぬ居館の円卓の間で、となると話は変わって来る。
無論イエタとて嫌なわけではない。
むしろクラスクに羽を触られるのは好きな方だ。
婚前のイエタが眺めるのを好んでいた(今も暇を見つければ通っているが)クラスクの趣味…模型造りからもわかる通り、彼はオーク族でありながらその手先指先はとても繊細であり、触られているだけで甘やかな声が漏れてしまうほどである。
だがそれゆえに人前で行うのは少々気恥ずかしい。
普段聖職者として、司教として他者に見せぬ痴態を誰かに見られてしまうかもしれないのだから。
とはいえ聖職者にあるまじき…とまでは言うまい。
この世界では聖職にある者が婚姻することは(教会の上の者達からいい顔こそされないものの)別に禁じられていないのだし、性的なまぐわいもまた別に禁忌ではないのだから。
「嫌デナイナらすルぞ」
「! ……! わ、わかりました」
己の背中にクラスクの息遣いを感じながら、イエタは覚悟を決めて居住まいを正す。
「ん……っ」
クラスクの指が、羽に触れる。
ただそれだけでイエタは小さな喘ぎを漏らした、
取り乱さぬようにしているからか、それとも平静を保とうとしているからなのか。
普段通りあらねばという彼女の抑制が、逆にその
「ん、あ……」
クラスクの手指がゆっくりと羽を撫でつけ、丁寧にさすってゆく。
我慢しなければ、というイエタの想いとは裏腹に、その唇からはくぐもった声音が漏れた。
「奇麗ナ羽ダナ」
「あ…」
「昼間にこんな間近デ見タ事ナかっタから気づかナかっタ」
「ん……っ」
「うン、奇麗ナ羽ダ」
「うん、んあ……っ」
クラスクの言葉を背中から感じる。
それだけでその身を火照らせてしまう。
己と違って高揚も興奮もしていない落ち着いた声。
だがそれゆえにイエタは自分だけが
はしたない。
淫らだ。
もちろん彼とは愛し合う男女であり、夫婦でもある。
聖職者だとて男女の営みを行うことはなんら悪いことではない。
ないけれど。
これほどに想いを募らせてしまうのは。
これほどにその身を滾らせてしまうのは。
やはりいけないことなのではないだろうか。
ついそんな愚にもつかぬことを考えてしまう。
クラスクに告げたら言下に否定される事だろう。
なにせオークが配偶者を求めるのは子を産んでもらうため。
イエタもまたその覚悟を以て彼と連れ合いになったのだ。
だからイエタがそういう反応をしてしまうことはクラスクにとってむしろ喜ばしいことのはずである。
この半年の間に彼女は色々な事を教わった。
教会では教わらなかった夜の営みについてをだ。
それをイエタは半年間みっちりと(それも姉嫁達からの指導も含めて)教わってきたのだ。
当然その身はオーク好みに開発されつつあるし、オークが好む反応を示すようになってしまっている。
クラスクとの関係性という話であればそれは全然悪いことではないのだろうけれど、信者たちに赤裸々に語れない内容である以上、それはやはりはしたないことなのでは…などと考えてしまうのだ。
「んく…っ、あ……」
「ここカ。ここガイイのカ」
「あ、ダメです、ダメですクラスクさま…っ、そこは、あ、ああっ」
びくん、とその身を震わせ、羽に這わされた彼の手指に悶え、呻く。
だが駄目ならば拒絶すればいい。
立ち上がって距離を取ればいい。
なのに彼女はクラスクの
唇から何を漏らしても。
どんな理知の言葉を並べ立てても。
彼女の心と
「アルザス王国外交官、第三王女、エィレッドロです。本日はお話したいことがあって参りました」
その時…扉の向こうから声が聞こえた。
「え?」
「入レ」
「え、ええ……ええっ?」
「では失礼します」
イエタの羽をつくろう動きを止めぬまま、だが当たり前のようにクラスクがその声に応え。
そして……そのまま扉が開いた。
完全に固まるイエタ。
これまた完全に硬直するエィレッドロ。
それはまあ……前に述べたようなやり取りも起ころうというものである。
× × ×
「お待たせしてすいません。さ、お茶とケーキです」
「ありがとうございますミエさん」
「ミルクの方がよかったですか? それともお茶にミルク入れます?」
「あ、御遠慮なく…」
ミエに給仕されながらエィレが恐縮し、ミエが嬉し気に微笑んだ。
その横で椅子に座りながら、イエタがどこか非難めいた瞳をミエに向けている。
無論クラスクの椅子からは既に離れた後だ。
「ミエ様……ずっと観察してましたでしょう」
「はい。それはもう」
「なんで止めて下さらなかったんですか」
「あら、だって夜は私たちより旦那様のが遅いことが多くてだいたいいつも二人以上でお相手すること多いじゃないですか。旦那様と二人きりで睦める機会なんてそうそうないんですし、ここは姉嫁として温かく見守るのが筋なのかなー…て、物陰から」
「「もの
かげ
から」」
イエタとエィレの言葉が期せずして重なった。
「そ、それを言うならミエ様こそ、いつもわたくしたちに譲ってばっかりですし…」
「いや私はほらほらもうクルケヴもミックもピリックもいますし、まだ懐妊されてない嫁を応援するべきだと思うんですよね。まあできれば四人目でも五人目でも
「「そん
なに」」
ミエの赤裸々な発言にイエタとエィレの台詞が再び被る。
「それにほらー、私は第一夫人ですから。旦那様と二人きりの時を一番長く経験しているわけで。イエタさんそういうの少ないでしょう?」
「それは…そうですね。その点に関しては素直に羨ましいですが…」
姉嫁と妹嫁の会話。
オーク族には一夫一婦制の縛りがない…というか、そもそもクラスク市以外であれば妻や嫁や婚姻という概念すら彼らにはない…ため、こういったやり取りは別に珍しくはない。
ないのだが…やはりエィレには少々刺激が強すぎたようで、彼女は顔を真っ赤にさせ下を向いている。
まあ密かに想いを寄せているクラスクと、憧れの体現(本人)のようなミエである。
その二人の夜の営みの話などを聞けば、こう色々と想像してしまうのも無理からぬことだろうけれど。
「あー…ごめんなさいエィレちゃん、こっちだけで勝手に盛り上がっちゃって」
「あ、いえいえいえお構いなく!」
己の不審な態度がミエに気を使わせてしまったと、慌てて取り繕うエィレ。
「それで…今日は一体どんなご用事なのかしら」
「あ……」
言われて今更思いだした。
そうだ、ミエに伝えたいことがあったのだ。
エィレは今更ながらに己の身を引き締め、居住まいを正ただす。
「あの……本日は私の為にお時間を作っていただきありがとうございます。その、どうしても伝えたいことがあってこちらに参りました」
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