第698話 羽つくろい
「以上となります、クラスク様、ミエ様」
居館、円卓の間にてイエタがその日の顛末を報告する。
今日は会合が開かれているわけではないため他には誰もいない。
「ナルほド。御苦労ダッタ」
「いえそんな。神に仕える者として当然の責務を果たしたまでです」
椅子に座ったままのクラスクがイエタの労をねぎらい、イエタが謙遜し深く神戸を垂れた。
「そういえば同道してくださったっていうティルさんはどうしたんです?」
「それが…このお城についた時エモニモ様に見つかってしまいまして…」
「あー……」
イエタの護衛をしてくれたテルゥではあったが、実際には副隊長としての仕事をサボってあの場にいたわけだ。
それはまあ規律を重んじるエモニモとしては怒るだろう。
イエタが見つけたものは捨て置けない重大事であり、その彼女の身辺警護を務めていたことは十分情状酌量の余地があるのだけれど、それだけにエモニモは苦い顔をしていそうである。
ミエにはそれがありありと想像できた。
「しかし気になりますねえ。ずっと前からの計画…の割に看破されたらあっさり除染とか」
「フム…」
「それは…わたくしも確かにそう思いました」
「旦那様はどう思われます?」
「…誰かガ計画を見つけル。防ぐ。安心すル…」
クラスクは己ならどうするのかと思考を巡らせる。
「ダガそれハ見つけやすイ奴ダ。実際にハ別に本命があル」
「「!!」」
ふむふむとクラスクが思考を逆算する。
相手が悪意のある存在なら、もし己がその立場だったらと。
「俺達がそこデ調査を打ち切れば儲けモノ、そんな感ジジャナイカ」
「ならもし私たちが気づいて残りも見つけようとしたら…」
「そうデなけれバ下街あタりを虱潰しに探す必要があル。手間も人手もかかル。俺達街を運営する人員少ナイ。それにかかりきりにナレバ他の事が疎かにナル。こっちがそうすルなら向こうはその『他のコト』をすればイイ」
「あ……」
「ドう転んデモそいつには困らナイ…そんな感じカ」
クラスクの解説にミエは額を押さえ面を伏せた。
「それは…痛いところを突かれましたねえ」
「アア」
軍事、政治、経済…クラスク市は近隣の街に比べて相当に優秀な施策が敷かれており、それらはすべて優れた人材を集め街を運営できている証である。
例えばシャミルは学者と自称こそしているが、学問だけでなく錬金術にも詳しく政治や経済についても博識だ。
さらに建物や発明品の図面を引いたりもできる。
とんでもない多彩さである。
クラスク村がこのクラスク市へと発展する際、彼女の貢献はとんでもなく多大であった。
ミエの様々なアイデア…元の世界の知識や経験も、シャミルが形にしてくれなかったら実現できなかったものは多いのだ。
だがそれゆえの弊害が最近出てくるようになった。
シャミルが多才過ぎるゆえこれまで多くの業務を彼女がこなしてきたけれど、街が大きくなりすぎて彼女一人では手が回らなくなってきたのだ。
そして……その代わりが、いない。
これまでシャミルに頼りきりだったために、後人がまったく、育って、いないのである。
それはこれまでの円卓会議を見てもわかるだろう。
会議を行っているのは首脳陣の面子のみ。
衛兵などが伝令に来ることはあるが。彼らの下の文官などの姿は一度たりとも出てこなかったはずだ。
組織として整っているのは衛兵隊やオーク兵達の軍事方面。
そしてアーリンツ商会の下の経済方面。
政治や行政方面の下部組織はほとんど育っていないのである。
戸籍なども衛兵たちの人海戦術でまとめているのが現状なのだ。
今回の件などもまさにそれが響いた。
シャミルがイエタからの要請で報告証言から図面を引き怪しい場所を洗い出せたけれど、これも彼女の手が空いていたらもっとずっと早くに判明していたはずである。
シャミルやアーリなど、なまじ初期に優秀な人材が集まり過ぎてしまったがゆえの弊害と言えよう。
「早急に行政担当の方を集めて育成しないとですねえ」
「そうダナ」
「では他にも同様の瘴気溜まりがあるかもしれない件につきましては…」
「シャミルさん忙しいですからねえ…でも捨て置けない問題ですし、なんとか時間を作ってもたえるようお願いしてみます」
「はい。私の方からもお願いしに参ります」
これでとちあえずの結論は出た。
ミエは椅子から立ち上がると台所の方へと向かう。
「お茶がなくなってしまったのでお替わり持ってきますね。イエタさんはここで少し休んでいてください。あまり体丈夫じゃないんですから」
「はい、申し訳ありません」
そうして円卓の間にはクラスクとイエタの二人だけが残された。
「…………………」
てとてと。
無言のままイエタがクラスクの椅子の後ろにやってくる。
そしてそのまま彼の後ろ姿をじいと眺めながらほうと肩の力を抜いた。
クラスクの妻女たちは皆クラスクとの時間を大切にしているが、イエタの場合それは静謐な時間であることが多かった。
クラスクがぼーっとしている時ても何かに打ち込んでいる時でも、ただ彼を見つめ眺めている事が彼女にとっての安らぎであり充実だったのである。
「………………」
だが背後からずっと視線を感じるのはクラスクにとってあまり居心地のいいものではない。
常であれば仕事なり趣味の模型造りなり他に熱中するものがあったので大して気にならなかったけれど、今の彼は珍しく手持無沙汰である。
いや実際にはやるべきことはたくさんあるのだけれど、今はちょうどミエのお茶待ちだし、きっと冷蔵庫からケーキなども持ってくるだろう。
それを待つ間無言で視線を浴び続けるよりは、彼自身もまた妻を愛でたいと思いついたようだ。
「イエタ」
「はい」
「前に来イ」
「わかりました」
てとてと。
イエタが言われるがままクラスクの前にやってきて、正面からクラスクを見つめる。
「そうじゃナイ」
「はい?」
「俺の前に来い。ここに座レ」
「……? はい」
クラスクが指し示したのは彼の座っている椅子だった。
正確には彼が開いた両腿の間、クラスクの股座の間に座れと言っているのである。
イエタはよく意味もわからぬまま、クラスクの前にちょこんと座り込んだ。
やや座りにくいけれどクラスクの要請ならば彼女に逆らう気は毛頭ない。
ただ彼に背を向けてしまったせいでクラスクの姿を眺める事ができなくなってしまったのは残念だけれど。
「あの…クラスク様、これで一体何を……?」
「羽広げロ。繕っテやル」
「え? え? ええ……?」
そう言われて…イエタははじめて動揺した。
「嫌カ」
「クラスク様のなさることに嫌なことなどあろうはずがありません! ありませんけど……!」
必死に抗弁しつつ、その語尾はどこか弱弱しい。
その頬は赤く染まり、耳先が充血している。
明らかに羞恥によるものだ。
彼らを生み出した空の女神リィウーが、他の種族との最大の違いとして与えたものがその羽であり、ゆえにこそ
翼とは彼らにとって何物にも代えがたい、まさに神の恩寵そのものなのである。
それゆえ
羽の扱いを心得ぬ他種族などにはもってのほかである。
多くの若者にとって己の羽に触れたことがあるのは己自身を除けば幼少期に羽の手入れを教えてくれた母親くらいしかいないはずだ。
だが…何事にも例外というものがある。
とても親密な間柄…例えば恋人同士や夫婦などであれば、その翼を触れさせることもあり得る。
実際クラスクはこれまで彼女の羽に幾度も触れているし、イエタもまたそれをよろこびとしていた。
ただこれまでその行為は常に彼らの自宅、それも寝所でのみ行われていた。
それは何故か。
それは…羽を他者に触れさせる行為を抑制し、禁忌としてきたがゆえに、
人間族で言えば普段衣服で隠れている下着などがちらりと覗き見えた時、隠匿されているがゆえに背徳的に感じ、性的に興奮してしまうのと似ている。
他者の手によって為される
だいたい性行為の一歩手前くらいの高ぶりと考えてもらえばいいだろう。
そう、先のイエタが口にしたよろこびとは…
『喜び』ではなく『悦び』なのである。
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