第697話 計画と勢力
魔術的に何かを探す・調べる・知識を得る系統の呪文群全般を『占術』と呼ぶ。
探す、という意味に於いては失せものを探し、悪を探し、魔術の痕跡を探し、そして瘴気を探す、と言ったことが可能だ。
魔術が発展するとするならまず占術から発達するのはある意味当然の帰結と言えるだろう。
魔術の発達していないミエの世界でも、おとぎ話に出てくる魔女には水晶球、女王には魔法の鏡がつきものだし、現実でも王侯貴族の近くには大概占い師がいたものだし、古代に於いては巫覡が女王を務めていた事すらある。
知る、ということが古くから重要であり続けた証拠である。
だが魔術による探知探索が発達し、それにより様々な分野系統の魔術が発展してゆくにしたがって、同時に発展し続けたもう一つの系統がある。
物理的な打撃を防ぎ、精神的な攻撃を防ぎ、そして占術による情報の漏洩を防ぐ…
そうした身を護るための呪文群を『防御術』と総称する。
防御術の中には対探知用の呪文も当然存在し、そうした魔術によって守られた対象は占術による探索の目から逃れる事ができる。
だが当然占術の方もそうした防御魔術を打ち破らんと強力な探索魔術を編み出して、それに対抗してより強力な防御術が生み出され…と、魔術の世界では古くからいたちごっこが続いてきた。
ミエの世界で言うならハッカーとセキュリティソフトの戦いのようなものだろうか。
今回この瘴気溜まりを生み出した防御術は強力なもので、低位の占術を防ぎそれらの対象として探知されてなくなってしまう。
聖職者たちが毎日祈りを捧げる際唱えている〈
だが…そうした防御魔術をあざ笑うような存在もいる。
野生の知覚能力や生来の直観などに優れた者達だ。
対探知防御を提供する魔術は、あくまで魔術に対する守りしか提供しない。
一方で直感能力は非魔法なのだから、当然対占術防御では防ぐ事ができぬ。
ゆえにそうした直感持ちが近くに来れば、怪しい気配などで気づかれてしまう危険があるわけだ。
「なるほど…確かに勘が鋭いと言われても相手がある程度近くにいなければ気づけなかったりするからな。それで人避けか」
「はい」
近くに来れば占術防御を無視して気づかれてしまう。
だが勘の鋭い者であっても別に魔術が効かぬというわけではない。
ゆえにそうした彼らにはそもそも気取られぬ程遠くで追いやってそれ以上近寄らせなければいい。
そのための結界だったわけだ。
だが目的地に近づかれると気取られてしまうと結界の効果範囲を広くとったことが逆にイエタに怪しまれ、こうして見破られてしまった。
この辺りの塩梅はなかなかに難しい。
「で、どうするんだこれ」
「消します」
あっさりそう言い切ると、イエタはおもむろに詠唱を始めた。
「
イエタの呪文と共に地面に撒かれた聖水が白く輝き、その中央からなんとも嫌な臭気と黒い煙が立ち昇る。
だがそれも一瞬のことで、その煙はすぐに薄れて掻き消えた。
「見つけさえすれば対処は簡単ですから」
「ほほう、流石司教殿、大したものだ」
ティルゥも長い傭兵稼業で聖職者の世話になったことは幾度もあった。
だが間近でこれほどの凄みを感じたことは殆どない。
術師であればそれを魔力と呼ぶのかもしれないけれど、ティルゥは戦士であってそうしたことはよくわからない。
わからないけれど、とにかくその凄さはわかる。
そうした直感能力は、情報漏洩を防ぐ防御魔術に対するある種のメタとして機能するため、今回もかなり警戒されていたわけだ。
「…これで処置は済みました」
「ふむ。大過なくて何よりだ」
そう言いながらもティルゥは少し違和感を感じていた。
「ただ…いささか簡単に事が済み過ぎるのは少々気になるな」
「やはりそう思われますか」
二人は互いに視線を合わせ、小さくため息をついた。
「確認しておくが、この建物は外城壁が建てられる前からあったのか?」
「シャミル様が調べた限り、そのようですね」
「ではこれも半年前から?」
「いえ…それはどうなのでしょう。半年前からあったのならもっと大きな溜まりになっているような気もしますが…」
「ふむ、司教殿が最近怪しむようになったということは、この染み…瘴気溜まり自体は最近生み出されたのか?」
「どうなのでしょう。そのあたりは詳しく調べてみませんと」
クラスク市は中心部の上街以外なし崩し的に大きくなってきた経緯がある。
この街には将来性があると見込んだ者や(そしてそれはとても正しかったわけだが)、或いは食い詰めた末仕事を求め発展中のこの街に流れついたような連中が城壁の周りに勝手に住み着き、街の発展拡大に合わせてその外周部に城壁が張り巡らされ、結果彼らは城の内側に組み込まれ住民となったわけだ。
無論戸籍はしっかり取られており管理もされてはいるけれど、初期に徹底されていた住んでいる住民の厳選までは到底手が及んでいない。
街の発展速度に街の運営が追いつけておらず、手が回り切っていない状態と言えるだろう。
そこにこの計画の主は目を付けた。
石造りの丈夫な家を建てて街の商人を装い移住希望者に安く売り渡す。
喜び勇んでこの街に移り住んできた者達は…その後長い倦怠感や無気力感に襲われることとなった。
家のすぐ裏にある瘴気溜まりの影響によって。
だが…それがいつからか、となるとよくわからない。
半年以上前からずっとであればもっと瘴気溜まりが大きくなっているはずだし、このあたりももっと荒んでいてもおかしくない。
一方で準備を整えた上で最近計画を実行に移したとなると、その者は街の魔術的セキュリティを突破して街中に侵入している事になる。
どっちに転んでも厄介な相手という事だ。
「気になる点が三つある」
「お聞かせください」
聖水で広場を清めた後、二人は帰路に就いた。
その道中、ティルゥは少し考え込みながらイエタに語り掛ける。
「一つ、相手はこの街の上の連中、その個人個人をある程度把握して動いていること。王国の連中だとてクラスク殿以外ろくに意識していないのに、だ」
「そうですね」
この街の運営側でことさらに勘の鋭い者、というとサフィナやティルゥがそうだが、今回の一件の犯人はその二人…或いは少なくともその一方をある程度想定していた節がある。
魔術なのか他の手段なのかは知らぬが、情報収集に長けた相手と言えるだろう。
「二つ目に今回の件だ。なぜこうもあっさり浄化できた。ここまで入念に練った計画なら阻止すべく誰かが襲ってくるものかと待ち構えていたのだがそれもなかったしな」
「そうですね…それは確かに」
石材を購入し、家を建て、人を住まわせて、城壁に囲まれた後その内側に設置した瘴気溜まりで周囲の者達の心を汚染し負の感情を集める。
さらには勘の鋭い者を柄づけぬよう人避けの結界まで張り巡らせて。
かなり入念で準備された計画のようだけれど、その割にはイエタにあっさり見破られ、浄化されてしまった。
魔術探査にも非魔法の相手にもしっかり対策できていたのだから油断していたという事だろうか。
ここまで計画性のある相手がそんな油断をするものなのだろうか。
「で、三つ目。そこまでしてこの街に瘴気を振りまいて…そいつは何がしたい」
「……わかりません」
ティルの問いにイエタは答える事ができなかった。
彼女自身も答えをもっていなかったからだ。
「ただ…目的はわからなくても勢力はわかります」
「…まあ、そうだな」
この世界の邪悪は多種多様だ。
けれど敵の敵は味方にはならぬ。
第三の陣営として敵にしかならないのだ。
竜は瘴気をものともしないが別に好みはしない。
地底の連中が求める地上世界は瘴気に侵されていない土地であって、彼らにとっても瘴気は厭うものだ。
であるなら…瘴気を広げようとする輩は一種しかいない。
…魔族である。
強大な防御術に護られた魔族そのものが街に入り込んでいたのか。
それとも魔族の息のかかった彼らの信徒が街に入り込んでいるのか。
そのいずれであっても、この街の危機には変わらない。
イエタは深く息を吐いて…報告のため居館へと向かった。
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