第700話 クラスク市の弱点

小さく深呼吸をして、エィレが静かに語り始めた。


「その…わざわざお時間を作っていただいた上で申し訳ないんですけど、実は自分でもそこまでしっかり考えがまとまっているわけじゃなくって…」

「大丈夫ですよ。口に出すことで考えがまとまることもありますから。気にしないで」

「ありがとうございます」


ミエにフォローされがエィレが、お茶で喉を潤しながら話を続ける。


「まず最初に断っておきます。今から述べることは私の個人的な意見や想いであって、我がアルザス王国の判断や決断に一切関わりはありません」


エィレの言葉にミエとクラスクがそれぞれ頷くが、イエタはまだ少し恥ずかしいのか少し視線を逸らしていた。

彼女のこうした反応は少々珍しいかもしれない。


「その上で私の判断を述べます。アルザス王国はこの街と友好を結び、平和裏に事態を収拾すべきであると」

「まあ!」


イエタの言葉にミエが両手を合わせて微笑んだ。

それだけであまりの眩しさに少し眩暈を感じるエィレ。


「理由を聞イテもイイカ」

「はい」


クラスクの問いにエィレが頷き、胸に手を当て己の心の内を語りはじめる。


「私は外交官としてこの街をあちこち巡りました。そして様々なものを見てきました」


これは半分本当だが半分はやや怪しい。

どう考えても生来のお転婆から来た好奇心優先で行動した時もあったからだ。


だがそうした奔放な行動が、結果的にこの街の様々な側面や魅力を彼女に教えてきたのもまた確かである。


「技術、魔術、文化、政策…そして様々な種族が融和する『』。どれもとても素晴らしいものと感じました」


エィレは己がこの街を歩き、素直に感じたことを伝える。

この街はとてもいい街だと。


「素晴らしく魅力的で、そして進歩的です。可能ならば我が王国にも取り入れたいほどに。そのためにはこの街を戦で蹂躙するより、交渉で手を取り合った方がより有効であると、そう思いました」


エィレの言葉にはある種の傲慢がある。

武力衝突すればアルザス王国側が勝つ、そういう前提の下に彼女は語っている。


だがそれについてはクラスクもミエも承知の上だ。

どんなに進んだ施策や方針を取ろうが、戦争になった時点でクラスク市側に勝ち目はない。

割ける総戦力に差があり過ぎるからだ。


クラスク市の兵には精鋭が多いけれど、そうした人材が生きるのはあくまで軍隊同士が相手と最低限渡り合えるだけの規模があってこそである。

だからこそそうなる前に決着させたいのだ。


二人がクラスク村を計画した当初から目標としてきたアルザス王国との対立関係の修復、そして軟着陸。

王国からの外交官とのこうしたやりとりはいわばその最終段階に入ったという証でもある。

ミエは感慨にふけりながらエィレの言葉を待った。


「ですが同時に、この街には大きな問題があるとも認識しています。その点に関しても、王国との連携はこの街に利があると思います」

「問題トハナンダ」

「クラスクさまのです」

「「!!」」


言われてミエはハッとした。

それは確かにこの街の、そしてミエたちが敷いた体制の最大の問題点であり、課題であり、そして懸念材料でもあったからだ。


この街の強みは頂点に君臨する太守クラスクの権力が絶対的であることだ。

通常『瘴気法』によって農民が耕した土地の権利は開拓した彼ら自身のものとなる。

だがクラスクはそれを賃金を支払うことで自分のかわりに耕させる、という形式を取ったため広大な土地の権利を独占する事ができた。


すべての土地が個人所有なのだから街の住人が住んでいる土地も彼の私有財産であり、いつでも自由に立ち退かせることができる。

彼が強力なオーク族であり、多数のオーク兵どもを従えていることもその強権を後押しした。


それは街の運営側が街を発展させるための計画を施行する際、住人達が住んでいる家を強引に破壊して追い出しても許されるという事であり、これによりこの街は節目節目で街の構造を大規模に変革する際それをすみやかかつ効率的に行う事ができた。


例えば屋台から喫茶店やレストランへ。

あるいは木造家屋から石造りのアパートへ。


都市計画を進めるうえで住民との協議に難航することなく即座に、そして大胆にそれを遂行できることがこの街の発展に大きく寄与してきた。


だが単純に強権なだけではこの街のこの雰囲気…エィレの言う『魅力』は生まれない。

それは街が敷く施策や事業がこの街の価値や利便性を大きく向上させ、また住民たちも決してないがしろにしないという大きな信頼があるからだ。


例えば木造家屋を壊してアパートを建てる場合、彼らは公営のアパートに一時的に住居が確保され、元いた場所でのアパートの建造が完了したあとその一室が優先して与えられる。

強権によって家は壊されているが『この街に住む』という目的自体は損なわれていないのである。


街の一等地にケーキ屋さんヴェサットリオ・トニアを開店させたときも近くの料理屋などをまとめて叩き壊したけれど、その一角にレストラン街が作られて彼らの売り上げはむしろ上がった。


このような実績と信頼があるから、彼らは街の強引なやりくちに文句を言わぬ。

最終的に自分達の利益になるとわかっているからだ。



ただ…その信頼は、上に立つ者が善良であり、正しい政治を行う、という前提の下でのみ成立している。



例えばクラスクと同じ権力をこの世界のどこかの王族や貴族が得たとしたら、クラスク市のような街づくりができるだろうか。

答えは否である。


彼らには特権意識があり、金や権力に執着し、そして専門知識を持たぬ。

なにより殆どの者が街の住民達のため、といった視点を持つ事ができない。


なぜならこの世界の権力は選挙などの選出によって与えられるものではなく身分によって獲得するものであり、そして権力者に生まれた者にとって権力を振るうのは当然のことであって、己が支配している領地の住民たちは従うのが当然という感覚に陥りがちだからだ。


それでもまあ瘴気開拓民を擁する国であれば地権が農民の側にある分まだマシではある。

上がどんなに酷い政策を為そうと先祖代々の土地が奪われる危険だけは少ないだろうからだ。



言うなればクラスク市の急速な発展と豊かな暮らしは『優れたブレーンを擁し彼らに耳を傾ける善なる絶対君主』という極めて稀な状況でのみ成立していると言えるだろう。



問題は…、だ。



そもそもオーク族はあまり寿命が長くない。

だいたい人間族の七~八割程度と言われている。

これは彼らが粗野な生活をしているから、というのもあるが、その圧倒的怪力や頑健さなど、肉体的に優れた特質を有するがゆえに、人間などより早く肉体にガタが来てしまうのだとも言われている。


となると当然発生するのが後継者問題である。


後継者を誰にするのか。

人間族の王侯貴族のように世襲制にするのか。

オーク族伝統の実力至上主義にするのか。

それとも選挙で選ぶ民主主義にするのか。


市長…もとい太守だけではない。

現状街の首脳陣のほとんどは替えの効かない人材である。


街を運営する女性達の多くはオーク達の妻であり、つまりオーク族ではない。

その寿命も人間族こそオーク族に近いが、それ以外なら大概長命な種族が多い。


だがならばこの街は安泰か、というと決してそんなことはない。

なぜなら彼女たちの夫は彼女達より先にいなくなってしまう可能性が高いからだ。


そうなったとき…彼女たちは果たしてこの街に残ってくれるだろうか。

もしかしたら旅に出たり故郷に帰ってしまうのではないだろうか。



もしクラスクが、そして首脳陣達が替わってしまったら、この街はきっと立ち行かぬ。





そして…今日まで生き延びるために、そして少しでも街をよりよくするために必死だったクラスクやミエは…そうした対策を後回しにしてばかりでまともにしてはこなかったのである。





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