第693話 出かかった答え
その日、エィレはずっと考え事をしていた。
午前中には
特に
なんでもこの街の運営に関わっているサフィナ相談役は
その旧友に説得されこの街を訪れた当時の外交特使がこの街の様相に仰天し、
ただオークだからという理由で彼らを差別し排斥したなら、我らは千年後愚か者の誹りを受ける事になるぞ、と。
それでなんやかやあって最終的には立候補した彼女…アルヴィナが外交官として選ばれ、この街に派遣されたのだという。
とても調味深い話だったし、大変ためにもなった。
だが彼女の話を聞いたことでエィレの脳内にはますますとある思考が渦を巻いてしまった。
朝のように心ここにあらず、といった風情ではない。
きちんと会談をこなし、書類をまとめ、必要な決済にサインをしながら、その心の奥底でずっと何かを考えていたのだ。
そしてアルヴィナの話以外にも彼女の心に去来しているものがあった。
朝に言葉を交わした彼女の護衛騎士の一人、ガーバントについてである。
彼はよくも悪くも翡翠騎士団の正騎士団だった。
堅物で、生真面目で……そして貴族出身として当たり前のように特権意識と差別意識を持ち合わせていた。
以前この街で元翡翠騎士団団員であり、その日は衛兵として門番を務めていたライネスやレオナルと角突き合わせたことがあった。
それは彼らが翡翠騎士団を捨てたから、というのももちろんあるが、根本的に互いの出自が異なるからだ。
ライネスやレオナルが所属していたのは翡翠騎士団の第七騎士隊。
隊長のキャスバスィはハーフエルフ、隊員の殆どは貴族の三男四男や騎士に憧れた農家や商人の息子達であった。
先ほどの二人も農家の出身である。
ゆえに同じ翡翠騎士団とは言いながら、彼らの仲はあまりよろしくなかった。
貴族に対する僻みと、農民風情がという偏見と。
互いが互いを見下し合っていたのである。
だがその日のガーバントは違っていた。
いやおそらくもっと以前から変わっていたのだ。
彼はマンションの中庭で、レストランで知り合った他の種族の大使館関係者たちと言葉を交わし、友諠を得て、互いの身の上を話し合ったという。
おろらくそうした見分が彼の見識を広げ、貴族的な差別意識に変化をもららしたのだろう。
それはとても素晴らしいことだ、とエィレは思った。
王族や貴族としてそうした風潮を嫌い厭う者もいるけれど、エィレはむしろ積極的に認める側である。
多くの知り合いを得て知見が広がれば人としての視界が広がる。
視界が広がれば多角的にものを見る事ができるようになり、そうすればより多くの情報の中からよりよい道を模索できるようになる。
そうした変化ならむしろ大歓迎ではないか。
「う~~~~ん…」
そんな事を考えながら、エィレは街中を歩いていた。
時は夕暮れ時、時刻にして17時過ぎあたりだろうか。
街のあちこちに建っている柱時計のお陰で、時間の確認は容易である。
なお余談だが一般的な街で時を知らせる教会の鐘の音…
それも他の街に比べて遥かに正確に鐘を鳴らしてくれる。
なぜならこの街の鐘楼は日の高さや影の長さで時を測り鐘を鳴らしているわけではなく、時計に合わせて鳴らしているからだ。
ともあれエィレは街の中を歩いていた。
時刻的にまだ馬車が激しく行き交う時分であり、エィレは街灯の外側にある歩道を歩いていた。
道の中央を行き交う馬車を避けるため歩道は雑踏でごった返しており、エィレはたびたびすれ違う相手と肩をぶつけ謝罪する。
だがそこまでしてこの時刻、彼女は一体どこに向かっているのだろうか。
「姫様!」
「フェイダン。久しぶりね」
さてエィレが訪れた場所…それはクラスク市の中心部、上街のさらに中央部にある居館であった。
これが王都であればこう呼ばれていたことだろう。
『王城』と。
「アルザス王国外交官、アルザス=エィレッドロ。太守夫人ミエさん…様との面談を希望します」
「は! 少々お待ちください!」
元翡翠騎士団の衛兵がエィレの来訪に驚き、伝声管で城の中と通話後彼女を城内に通す。
どうやら折よく城にいるようだ。
普段お転婆ですぐに街中に繰り出してしまうエィレだったが、ミエもまた放っておくとあちこちに顔を出す。
ほうぼうを出歩き、困っている人がいれば手を差し伸べ、頑張っている人を≪応援≫する。
そんな彼女は円卓会議などの用件があるとき以外大概城の外にいる。
アポもなしに訪れて彼女が都合よくいたのはひとえにエィレの運がよかったからに他ならぬ。
エィレは案内されるままに階段を登り、円卓の間の扉の前まで来た。
「アルザス王国外交官、第三王女、エィレッドロです。本日はお話したいことがあって参りました」
「入レ」
中から響いてきたのは男の声だった。
(クラスクさま!?)
ミエと一緒にいたのだろうか。
少し驚いたけれどまあこの居館の主なのだし、ミエの夫でもある。
この場にいて何の不思議もない。
中から少し動転した声が聞こえたような気もするが、エィレはそのまま扉を開けて……
「…………………ッ!?」
そして、そのまま固まった。
部屋の中央にはこの部屋の名称の由来ともなっている丸い机…円卓がある。
そその奥の椅子に座っているがクラスクだ。
ただ……彼の前に、もう一人の人物がいる。
ミエではない。
白い僧衣を纏い、背中に羽を生やした美しい娘だ。
この街の司教、イエタである。
街の各所に点在している教会を取り仕切るこの街の最高位の司教であり、大オーククラスクと共にかの赤竜を討った英雄の一人。
その苛烈な戦いの中でひとたびは命を落としたクラスクを蘇らせたとすら噂される高位の聖職者。
死者の蘇生には様々な条件や制約があり、自由に死者を蘇らせることができるわけではないけれど、それでも世界のことわりのひとつ…『死は絶対』を覆すまさに神の奇跡の体現であり。それを神に祈ることのできる者は限られる。
アルザス王国の国土に於いてそれを成し得る者は現状王国最高司教たるヴィフタ・ド・フグルを除けば彼女しかおらず、この国の実質ナンバー2の座にいると言っても過言ではない。
そんな、彼女が…
クラスクと同じ椅子、彼が開いた股座の間にちょこなんと座り込み、肩をすぼめ頬を染め、クラスクに己の羽を繕ってもらっていた。
「「あ……」」
エィレはなにか見てはいけないものを見てしまったような気がして、少し頬を朱に染めた。
だが反応というならイエタの方がより劇的であった。
その身を震わせ、顔がみるみる赤くなり、遂には耳先まで真っ赤に染め上げて、ばっと立ち上がって慌ててその椅子から飛び離れた。
「ち、ちがうのです王女様、これはその、クラスク様がねぎらいにと…」
「あ、いえお気になさらずに! その、よかったら続けて戴いても!」
エィレとしては気を使ったセリフのつもりであった。
なにせ司教だ聖女だと言われていても彼女はクラスクの妻女なのだ。
しかもここは彼らの居城である。
そこで妻と夫がいちゃいちゃしていたとてなんらおかしくはないではないか。
けれどエィレにそう言われたイエタは何故かますますその頬の赤味をいや増して、すり足ですすす……とクラスクとの距離を空ける。
そして……
そして上目遣いの、少し非難を込めた潤んだ眼差しでこう呟いたのだ。
「その、人間族の王家の方はずいぶんと大胆なのですね……」
(なんでーーーーーーーーーーーーーー!?)
エィレがその渾身のツッコミを口から迸らせなかったのは、ひとえに彼女の強い自制心の為せる業だった。
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