第692話 騎士達の生活
「まず私が驚いたのはこの街の食事の充実です」
「それはもう私があらかじめ驚いておきました」
「ははは、それでは私の立つ瀬がないですな」
「それはまあ…あんなものを見せられてしまっては納得せざるを得ないというか…」
「わかります」
エィレとガーバントは互いに苦笑しながら視線を交わす。
「ですが姫様、姫様は主街道沿いのレストランにはまだ赴かれてはいないようですが」
「え…? いえそうですね、言われてみると立ち寄ったことがありません」
言われて己の行動を思い返してみる。
朝はいつも朝市に行って新鮮な食材を吟味し、採れたての素材で朝食を作る。
夜はだいたい朝に市場で仕入れてきた食材を使ってこれまた大使館の台所で食事を作る。
もしくは買っておいた食材は冷蔵庫に入れたまま、出先のどこかの店で買ってきた食べ物をそのまま夕食にする場合もある。
昼時は外に出かけている事が多く、街のどこかで買い食いをする。
その時にレストランやカフェを利用することもあるけれど、大使館街のすぐ近く、南外大門から続く主街道沿いのレストランを利用した事はない。
その時刻は大概遠出しているため大使館の近くをうろつくことがないからだ。
最近は連日各国大使館の外交官たちと会談することも多く、そのため昼時にもこの地区…下クラスク南にいることも多いけれど、そうした場合食事はだいたいあらかじめ用意したものを食べるか、あるいはこちらに料理を直接届けてもらうことが多い。
相手の外交官と一緒に食事を摂る時もそうしている。
外交官二人で外食をすると互いの護衛がつくためやたら目立つし、大使館街の堅牢なセキュリティの外で要人が固まって行動するのは色々リスクが高い気がして彼女はそうした行動は避けてきた。
あの謎の中年男の襲撃などからもわかる通り、街中だとて安全とは言えない。
アルザス王国の第三王女でありかつ外交官である彼女は狙われる可能性が高いのだ。
そんな人物と一緒に外で食事など誘えるはずがない。
まあそれと、これは彼女の外交官としての責務の範囲ではないけれど、なるべく大使館街の外で大使館然とした行動は取りたくない、というのも大きい。
もし友人たち…ヴィラやシャルらに見つかってしまったら色々気まずいからだ。
もちろん彼女たちに己の身分を絶対明かしてはいけない、というわけではない。
単に言いそびれて今日までずるずる来ているだけだ。
ただそうして言い出せずにいる己の身分を、こちらから告白せずに相手に目撃されてバレる、というのはいささかよろしくない気がする。
下手をすると関係が険悪や疎遠になりかねない。
それは避けたいものだ。
そうしたもろもろの事情によって、彼女は主街道沿いの、つまり手近なレストランでの食事をまるでしたことがなかったのだ。
「そのレストランになにがあるのですか?」
「従者がおります」
「ああ……そうですね」
エィレは最初にこの大使館に案内されるときに違和感を覚えていた。
このクラスク市はまずクラスク村からはじまって、その後どんどん外に拡大を続けてきた。
当初クラスク村だった場所はその後地底軍や王国軍から村を守るために城壁で覆われた。
それが今の上街だ。
その後街が発展するにしたがって移住希望者が次々に集まって街の周りに勝手に住み着き、そんな彼らを半ば飲み込むようにして新たな城壁が張り巡らされ現在の形になったという。
そうして生まれたのが中街、そして下街だ。
その結果街の中心部に行くほど発展した、より洗練され煌びやかな街になり、外周に近づくほどより簡素で貧しそうな家並みとなる。
それは以前エィレが城壁の上、歩廊を歩きながら確認した事だ。
だが……街の南部に限り、街道沿いの街並みがとても洗練され整っていた。
それを当時は違和感に感じていたわけだ。
だが今ならその理由がはっきりとわかる。
街の南部には大使館街があり、そこにはエィレのような各国の外交官が住み暮らしている。
そして国の要人である彼らを守るために護衛達が共にこの街に一緒にやってきており、そんな彼らがマンションに居住している。
大使館街の広さとマンションの規模を考えても結構な数のはずだ。
つまりそんな彼らを目当てに生まれたのが下クラスク南のレストラン街だったわけだ。
各国の要人が通うのだから当然安かろう悪かろうの店は敬遠され、洗練された技術や優れた味の店だけが生き残る。
だから街の南部だけレストランの様子が他の地区と違っていたのだ。
「各国の従者たちが利用するので様々な国の料理があります。そうした料理を注文してみるとその国のお国柄や特産物なども見えてきます。面白いのは店の方が客に料理のコツなんかを尋ねてることですね。各国から来た従者たちも故郷の料理が食べられたら有難いということで積極的に教えたりしています。食事の際に知り合った方々に伺ってみたところなかなかの再現度だそうで」
「へえ。それは興味深いですね」
各国から集まってきた護衛や従者たちがレストランを利用し、そんな彼らを呼び込むために各国の郷土料理を供出する。
だが遠方の国の料理についてはよくわからないから客に直接聞いて確認し、客としても故郷の料理が恋しくなるから積極的に教え伝える。
ただそれは言うほど簡単な事ではない。
仮にレシピを伝えられても素材が手に入らぬことが多いからだ。
けれどこの街の畑からは多様な食材が産出し、砂糖塩香辛料それに蜂蜜など調味料も豊富だ。
さらに四方に交易路を有する交易の中核都市であるクラスク市は、各国各地方から様々な物資食材なども運び込める。
そうした背景があってこその高い再現度なのだろう。
エィレは手近だからと後回しにしてきたそれらのレストランに顔を出してこなかったことを少し後悔した。
「ですのであそこのレストラン街に行けば様々な国の様々な料理が味わえつつ各国の護衛や従者などの会話が聞こえてきます。まあわからぬ言語も多いですが、従者に選抜されるようなものは
「なるほど…それはいいですね。従者同士の交流というのは。ですが一般にも開放されているレストランですよね? あまり機密事項は話さないよう気を付けてください。貴方達に限って問題があるとは思いませんが」
これだけ急速に発展した、だがオークの街。
何とも興味深く、だが怪しいことこの上ない。
この街を訪れたことのない者であればそうした感想を抱くことだろう。
それは個人だけでなく国であっても同様である。
となれば当然この街についての詳細を調べんとする調査隊…あるいは密偵などが街に潜伏している可能性は十二分にある。
外で下手な機密事項を漏らしでもしたら大変な事態になりかねないのだ。
「はい。ですのでそうした場所で仲良くなった連中とは…マンションで詳しい話を聞くことにしています」
「マンションで? 自室に招待するのですか?」
エィレはマンションについては初日に案内されて以降訪れていないけれど、確か数人ずつ普通に住み暮らせる広さの部屋があてがわれていたはずだ。
あれなら客人を呼ぶのにも失礼には当たらないかもしれない。
「それでもいいですが…気兼ねないのは中庭ですね」
「あ……!」
言われて思い出した。
確かあのマンションは通りに面してぐるりと一区画を囲うような構造となっており、中央部分がぽこっと空いて広場になっていた。
ちょうど上から見ればカタカナのロの字のような構造である。
案内された時は夜だったからよく見えなかったけれど、確かに中央に庭があると言っていた気がする。
「あの場所で…外で仲良くなった各国の従者たちが落ち会って話をするんです。おそらくは…そのためにあえてああいう構造にしているものかと」
エィレは直感した。
おそらく、ではない。
間違いなくそうだ。
クラスクなら、そしてミエなら、かならずそうした確固たる意図を以て図面を引いているはずだ。
エィレにはそうした確信があった。
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