第十五章 新たなる一歩

第689話 悩み多き朝食

「う~ん、う~~ん」


首を傾げ、心ここにあらずといった風情で。


「う~ん、うう~~ん」


市場で買い物をして、台所で調理して。


「う~ん、ううう~~ん」


じいやと一緒に朝食を摂る。


「姫様。食事の時はあまり考え事はおよしになった方が…」

「う~~~ん……ハッ! そ、そうよね! ちゃんとごはん食べないと!!」


慌ててテーブルを注視するエィレ。

ほぼうわの空で作っていたので自分が何を用意したのかすら覚えていなかった。

もしかしてとんでもないでも作ってしまったんじゃないかしら…などと己の戦火に…もとい戦果に戦々恐々とする。



…米だ。



この街に来て初めて見かけた米という穀物である。

麦と似ているけれど、製粉せずに料理に使えるのがとても便利だ。


麦を料理に使おうとするとだいたいの場合小麦粉にする必要があり、麦粒のままでできる料理はとても限られる上に正直あまり美味しくない。

このあたりも米は料理のバリエーションが増えて有難い穀物だ。


その米をで煮込んでいる。


出汁の材料は肉料理を作った際に出た、牛や豚や小鶏の骨など。

それに野菜を料理に使う際に切ったり剥いたりした際の余りもの皮や、根菜を食べた後の葉っぱなど、いわゆる野菜


それらを冷蔵庫に入れて保存しておき、ある程度溜まったら鍋に入れてじっくりコトコト煮込んで出汁を作る。

これをこの世界では『ヂャウリム』と呼ぶ。

ミエの世界で言うところのブイヨンに近いものだろうか。


王宮で過ごしていた頃、料理を作る際に出てしまうそうしたものを、エィレは単に不要なもの、つまりゴミだと認識していた。

お忍びで外に出るときでも基本日帰りで泊まり込むことはなかったし、食事も店で買うことがほとんどだった。

つまり彼女はこの街に来るまで庶民の家で食事に預かる機会がほとんどなかったのである。


だからそうした骨や野菜くずから出汁が取れると聞いた時、いざ自分でやってみた時美しいレモン(オレンジ)色の液体が取れた時、そしてその出汁から作った料理を口にした時、エィレは感動した。

あんな余りものからこんな美味しいものができるなんて、と。


そうしてすっかり出汁ヂャウリム作りにハマったエィレはいつも出汁ヂャウリムを作り置きしており、色々な料理に使うようになっていた。


さて心ここにあらずで台所に立っていたエィレだったが、どうやらその出汁ヂャウリムを使って米を煮込んでいたようだ。

バター、タマネギ、唐辛子…この世界に唐はないので赤辛子だろうか…をさっと炒め、そこに米を投入し馴染ませる。

さらに適当な酒を入れて蒸発させ、水をどばっと入れてぐつぐつと煮込む。

その後冷蔵庫にあった数種の野菜を刻んで投入し、最後にここ最近のエィレお気に入り、この街独自の調味料ショーユでさっと味を整えそのまま食卓へ。

最後のひと手間でいろいろ台無しというか、だいぶ食味が変わってしまっている気がするが、製法的にもっとも近いのはリゾットだろうか。


「うん、よかった。ちゃんと料理になってる…」

「姫様もすっかり料理する姿が様になってきましたな」

「そんな…毎日食事の支度をしている市井の主婦の方々ほどではありません」


うわの空で料理していてもここまでまともなものができるのなら、すっかり料理が板についたという事だ。

当初は王家の娘が料理を作ることに難を示していたじいやであったが、今ではすっかり朝食は彼女の担当となっていた。


ただまあ主婦の苦労には全然足らぬという彼女の述懐は実に正しい。

なにせこの街の主婦の亭主の多くはオーク族であり、彼らはよく食べよく飲む。

そこにさらに毎日ように旺盛な子作りと育児が加わるのだ。

毎日の食事の支度だけでも一苦労だろう。


ただそんな中でもこの街の食糧事情は少なからず彼女たちの助けとなっているはずだ。


ミエの世界の欧州の畑と言うと広大な麦畑をイメージすることが多いのではないだろうか。

それが中世に於いてはさらに極端だった。


飢えなどが身近にあった時代、主食である麦はとにかく最優先の生産物であって、他の作物は後回しにされることが多かった。

だが土がむき出しの畑で麦を大量に育てると地味ちみ…土地の栄養を著しく消耗してしまう。


土地を回復させるためには定期的に牧場にして家畜などの糞尿で土地に窒素等の栄養素を戻してやる必要がある。

こうしてこの世界で生まれたのが二制…すなわち麦作と家畜の放牧を交互に行い、そのタイミングを逆転させた畑を複数作る事で毎年麦が収穫できるようにした農法である。

これが発展すると冬麦・夏麦・放牧の三制へと進化する。


ただしこれらの農法では他の農作物を挟む余地がない。

麦の生産が最優先だからどの畑も麦ばかり作る。

当然街に入って来る食料も麦ばかりだ。


となると…そこから導き出される答えは単純明快である。

そうした地域、或いは時代の住人の食事はパン、パン、パン…とにかくひたすらにパンを食べていたのだ。


国や地方によってはこの主要作物が変わることもある。

たとえば毎日毎日ジャガイモとか、いつでもどこでもトウモロコシとか。

共通しているのは飢えをしのぐために特定の作物に傾斜した作付けが行われている事だ。


だがこの街は違う。

多種多様の野菜と甜菜から取れる砂糖、さらに最近では香辛料の栽培まで行われるようになって、料理の素材がとにかく豊富なのだ。

これはミエが各地から集めた種や苗などがこの地で根付くかどうか実験的に作付けしていることと、蓄熱池エガナレシルを利用して亜熱帯の気候を再現できるためより多様な気候での作物が栽培できるようになっている事、そしてなにより米の栽培が安定化した事が大きい。


米は育成のために水田が必要であり、これは畑より遥かに高い技術が必要とされる。

だが逆に水田さえ維持できるのであれば、単位面積当たりの収穫量は麦より米の方が遥かに多い。


それはつまり街の人口を賄うのにより少ない作付面積で事足りるということであり、飢えを凌ぐためだけの穀物ではない、様々な換金性の高い商品作物を栽培できる余裕ができた、ということでもある。

以前エィレが城壁の上から外の景色を眺めた折、あちこちで畑のチェック柄の色が変わっていたのはこれが理由である。

この街は既に麦を最優先で育てる必要がなくなっていたのだ。


さらに様々な食材を美味しく調理するためのレシピをこの街の料理人の第一人者である小人族フィダスのトニアが幾つも開発しており、それらをまとめ活版印刷技術によって書籍化し本屋で販売している。

新しくこの街にやって来た新参者もこの本さえ手にすれば豊かな食生活が約束される……とはアーリンツ商会一流の売り文句である。


「うん、我ながらいい出来!」

「はい。また腕を上げられましたな」

「ふふーん」


料理の腕自体はまだまだじいやの方が上だろうけれど、褒められて嫌な気はしない。

エィレは少し得意げになってテーブルの中央に置かれた皿から何かを一枚摘まんで口元に運んだ。


それは手のひら程度の大きさの薄くて丸い食べ物だった。

クリーム色で、食べる時ぱり、と小気味よい音がする。

味としてはやや風味の強い薄焼きクッキーのようなものだ。



エィレは米を食べる際、一緒にそれを食べるのが習慣となっていた。

では、そのクッキーは一体何者だろうか。



麦から米を主食に変える際、ミエには大きな懸念があった。

問題である。


いや精米のやり方自体に問題はない。

問題は精米と共に失われてしまうである。


米は籾から籾殻を取り去ることで玄米となり、玄米を精米することで白米となる。

玄米は食味がパサパサになりやすく、また消化もあまりよろしくないため料理としては不人気だ。


だが白米にすることで取り去られる『ぬか』は栄養の宝庫でもある。

米という穀物が有する栄養素の実に九割以上がこの米ぬかに含まれていると言っても過言ではない。


ミエの故国にはかつて軍隊があり、その軍隊は入隊すれば美味しい白米が食べ放題を謳い文句に兵を集めた。

だが白米ばかりではビタミンが不足し、結果兵士達は脚気かっけに苦しむこととなる。


当時は西洋医学が最先端で信仰に近いレベルで隆盛していたけれど、その西洋医学でさえ栄養学についてはまだ主流にはなっておらずそれゆえ脚気かっけの医学的原因は不明のままであった。

経験則として麦飯や玄米が脚気かっけに有効だと知られてはいたが、西洋医学への盲信からそうした対策が軍隊で取られるようになるのはだいぶ遅くなってからである。


なにせ脚気かっけにかかって病院送りにされた兵士たちが病院食として白米でなく玄米を喰わされ続けて、たちまち元気になって原因不明のまま次々と退院してゆく…などといったコントのような事態が起きていたほどだ。



ゆえにミエとしては白米を売り出す際どうしても精米の際に出た米ぬかを放っておくわけにはいかなかった。


そこでクラスク市として法令を施行、米を精米する際に出た米ぬかは必ずその米とセットで販売するように、としたのである。






それがエィレが食べていたものの正体…

である。






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